【小説】便利屋玩具のディアロイド #06『悠間』前編
【前回】
「起動完了! えーっと、聞こえますかー? 私のこと、分かる?」
その機械が起動して初めて見たものは、分厚い眼鏡を掛けた若い女性の顔だった。
曖昧な問いかけに機械は戸惑いって、ただ周囲を見回す。
「境川君、質問に。……おはよう。自分の名前は分かるかな?」
「……GRP-7が私の型番号です」
「よろしい。私は有岡勇人。ここにいるのは皆、君を作った人間たちだ」
ゆっくりと、言い聞かせるように話す、長身の男。
有岡勇人。機械が名前を繰り返すと、彼は頷いて、周囲の人々を機械に紹介した。
「彼が板東大治。彼が布上敦哉。彼が伊佐木逸次で、彼女が……」
「境川星奈です! よろしくね~!」
ぐわっと前に出て、大きな声で自己紹介する星奈。
隣に立っていた伊佐木逸次と呼ばれた痩身の男は、迷惑げに眉を寄せた。
「境川さん、声がデカいんだってだから、声が」
「あらら、そうでした? まぁいいじゃないですか、小さいよりは!」
「反響するでしょう、反響。元気なのは良いですけど」
目の前での軽い言い合いに、機械は困惑した。
「ケンカは、よくありませんよ」
「ケンカ? 違う違う、そういうんじゃないよ。……ケンカ、分かるの?」
「データにあります。言葉や暴力による諍い。これは、違うのですか?」
「違うねぇ、違う。でも言語の認識は合っているし、間違いとも言えないのかな?」
どうでしょうか、と逸次は有岡勇人へ視線を向ける。
そうですね、と勇人は自身の顎を撫ぜ、ややあってから答えを発した。
「GRP-7。君の見立ては間違ってはいないけれど、言い合いが全てケンカであるとは限らない。個々の関係性や、状況に応じて個別に判断する必要があるんだ」
「……分かりました。状況に応じた判断、ですね。けれど」
そのための情報が不足しています、と機械は答える。
彼は目覚めたばかりだった。言語や映像の知識はある程度与えられているものの、その思考力には欠けた部分が大きい。
「ああ、そうだね。だが今は、君に経験を積ませてあげる段階じゃないんだ。色々と君の能力をテストしたい。良いかな?」
「ええ、喜んで」
プログラム通りの返答だった。
そこに喜びの感情なんてものは存在しないことを、機械も開発者たちも理解している。
それでも、彼らはその機械と会話らしい会話が出来ることに安堵して、銘々に笑みを浮かべ頷き合う。
「ああ、そうだ。これも聞いておかないといけないね」
「なんでしょうか、有岡勇人さん」
「君の生まれた意味は、何かな?」
「マスターとなる人間が幸せとなるよう、サポートすることです」
淀みなく、遅延なく答えた。
これもまた、電子回路に刻み込まれた回答でしかない。
だがそれで良かった。今のところは、与えた命令がしっかりと機能していることの方が大切だと、誰もが思っていたからだ。
(……って、いうか)
その光景を、回想しているのだと、ボイドが気づく。
(過去の記録か、これ。更新の時は必ず見るんだよな)
現実でのボイドの体は今、境川星奈の元でアップデートを受けていた。
その最中、システムを再構成する段階で、ディアロイドは己の過去の記録を振り返る。
自己の同一性を保つための処理だが、この工程をボイドはあまり好んでいない。
(嫌なフラッシュバックだ)
機械であるディアロイドの記録は、簡単には劣化しない。
一度思い返せば、その日感じた事をそのまま再生することが出来てしまう。
普段は圧縮し細かな情報として認識しているが、これからボイドは、自分が歩んできた道をもう一度歩み直すのだ。
GRP-7。それはボイドが一番最初に与えられていた名前。
ガイストロイドプロトタイプ、七号機。これは未だディアロイドという名称すら確定していなかった頃の、彼の記憶だった。
(この後、俺はKIDOやカブラヤのヤツらと動作実験を重ねて……)
「次は……私へ攻撃を向けてもらえるかな?」
「それは、出来ません。人間や生き物を攻撃することは禁じられています」
「なら、あそこの扉はどうだろう? 生物ではないけれど」
「それも、出来ません。器物の破損には責任者の許可か、相応の目的理由が必要です」
「目的理由か。なら、どういった事情なら出来るだろうか」
「扉の向こうに助けるべき方がいる、などです。現在は認められません」
再三の要求を突っぱねるGRP-7に、勇人は「それでいい」と答える。
安全の為に策定していたプロテクト機構も、十全に効果を発揮していた。
予め用意していた装備のレギュレーション確認も滞りは無く、事故が起きる心配は無い。
そこまで確認した上で、彼はGRP-7に更なる実験を行う事を告げた。
「はい。どんな実験でしょう?」
「モニター試験だ。君を一般の子どもの元へと送る」
「つまり……その方が、私のマスターとなるのですね?」
「そうだよ~。人とおもちゃがパートナーになる! 記念すべき日だねぇ」
真面目な顔で話す勇人に、にへらと嬉し気な感情を隠さない星奈。
二人の言葉を聞きながら、GRP-7は自身の情報処理に熱が入っていることに気が付く。
それが人間でいうところの緊張だと、その時はまだ、気が付いていなかった。
*
車に乗り、連れて行かれた先は病院だった。
ここに、自分の持ち主となる人間がいる。
それがどんな人間であるか、事前に明かされることは無かった。
主に星奈の発案で、パートナーは互いを知らない方が面白い、という話になったのだ。
(まぁ、情報無しでの反応も見たかったってところだろうが)
ボイドにはその意図が読み取れるが、その頃は素直に信じていた。
クッションの入ったトランクケースへと入れられ、病院に着いたGRP-7は、音や振動で自分がどこかの病室へとたどり着いた事を把握する。
「お待たせ、悠間君。この子が例のロボットだよ~!」
「わぁ……ありがとうございます。開けても良いんですか?」
「うんうん。あ、記録だけは取らせてもらうけど、いい?」
「はい、どうぞ。それじゃあ開けますね」
かちゃり、とロックを開ける音がして。
暗いケースの中に、光が差し込んだ。
光の方へ眼を向けると、透き通るような白い肌を持つ、儚げな印象の少年が、こちらを見ている。……GRP-7はその顔をしばし凝視してから、先に名乗った。
「私はGRP-7です。ケースを開いたということは、貴方が……?」
ケースの中で彼が立ち上がるのを見て、少年はパァっと顔を輝かせる。
嬉しそうに微笑んだ少年は、「うん」と頷いてから、自分の名を機械へと伝えた。
「僕は碓氷悠間。君の友達になりたいんだ」
それが、ボイドの最初で最後の持ち主である碓氷遊間との、出会いだった。
*
「君の名前、アッシュなんてどうかな? 灰色だから、アッシュ」
「ありがとうございます。色からの着想ですね。私は、アッシュ」
「気に入ってくれた? それじゃあ改めてよろしくね、アッシュ。……あ、そういえば聞いてなかったけど、アッシュって男の子なの? 女の子なの?」
「私に性別はありませんよ」
「それもそっか。じゃあアッシュは格好いいと可愛いの、どっちが好き?」
「特にありません。悠間が好む方を私も好みます」
「えぇー。でもそっか、まずはそこからだよね。じゃあさ、アッシュ。カッコよくなってほしいな。映画に出てくる、ヒーローみたいなロボットになってよ」
「……どうすればいいでしょう?」
「まずは口調から、とか? 敬語で話されると、なんか堅苦しいしね」
アッシュと名付けられてからは、殆どの時間を病室で過ごした。
碓氷悠間は心臓の病気を抱えていて、病院の敷地から出ることは殆ど無い。
時折、看護師に促されて中庭へ散歩に出る以外は、ベッドの上で本を読んだり、映画を見たりしていた。
「なぁ、悠間。あの男はどうして怒っているんだ? 自分が悪いのに」
「うーん。悔しいんじゃないかな。自分が悪いって分かっていて、だから自分を許せないんだと思うよ」
「そんなものか。不思議だな」
アッシュは悠間と共にそれらを楽しみながら、疑問に思った事を何でも口にする。
悠間はその度にアッシュの方を向いて、じっくり考えながら答えを模索した。
この時間が、アッシュは好きだった。自身の人工知能が洗練され、人の考えをより深く理解出来るようになっていく。そのデータはKIDOにもある程度共有され、他のディアロイドの機能向上にも繋がった。
アッシュだけでなく、悠間もこの時間を楽しんでいただろう、とボイドは考える。
彼と話す時の悠間は、いつでも微笑んでいたから。
「悠間く~ん! お邪魔します! はいこれ、お見舞いのメロンソーダ!」
「病院に相応しい声量とは言えないな、星奈。あとそこはメロンだろ」
「あらら、真面目なツッコミ。アッシュまた言葉が上手くなったねぇ」
「こんにちは、境川さん。今日は何をするんですか?」
週に何度かは、KIDOやカブラヤの人間が視察に訪れた。
目的はまちまちで、単に様子を覗きに来ただけの日もあれば、アッシュのメンテナンスや、新機能の確認、それにバトルのテストなど、様々な理由で彼らはやってくる。
「今日はね、バトルモードのテストをしてほしいんだけど、平気?」
「僕は大丈夫です。アッシュはいける?」
「問題ない。悠間とのコンビネーションも更に仕上がったからな」
「言ってくれるねぇ。それじゃあ私が……と言いたいところだけど!」
星奈の後から、伊佐木逸次が病室へとやってくる。
その掌には、アッシュとは違う形のガイストロイドが乗せられていた。
「今日は新型を連れてきたよ、新型。まだ調整途中なんだがね」
「GRP-9です。よろしくお願いいたします」
「へぇ、アッシュの弟……妹?」
首を傾げる悠間に、どちらでもないだろ、とアッシュは肩を竦めて答える。
GRP-9と名乗ったそれは、アッシュと同じ灰色装甲の、けれど四つ足で獣のような骨格を持っていた。
「名前は無いんですか、その子」
「名前はねぇ、まだだね。もう少し開発が進んだら付けようかと思うんだ、名前」
「楽しみです、伊佐木さん」
「名前が付くのは良いぞ。逸次も早く考えてやると良い」
「ほほう? ふむ、大切にしてもらえてるようで何よりだよ」
アッシュの発言に、伊佐木は興味深げに眉を持ち上げる。
自発的な感情の発露。アッシュのAIが当初より更に変化していることが、その言葉には見て取れたからだ。
ともあれ、今はバトルモードのテストが優先だ。
屋上の使用許可を取った彼らは、悠間とアッシュを連れ、白いシーツのはためく中で試合を開始する。
「バトルモード、リンクスタート」
「バトル、スタート!」
*
「十戦七勝。まずまずの戦績だったな」
「アッシュは強いからね。隙を見逃さず、ズバーって!」
「その隙や作戦を考えてくれたのは悠間だろ。二人の勝利だ」
悠間のバトルセンスは、特別高いわけではなかった。
ただ多くの時間をアッシュと過ごした彼には、アッシュの動きの癖や限界がハッキリと理解出来ていた。その範疇で熟考し、思いついた作戦を実行すれば、一定の戦績を得ることが出来る。
「アッシュは僕の最高のパートナーだよ。君と一緒にいると、毎日が楽しい」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しい。俺は悠間を幸せにする為に生きているんだからな」
「……うーん。それは……ちょっと、困るな」
アッシュの答えに、悠間は目を伏せて曖昧な笑みを浮かべた。
迷惑なのか。困惑するアッシュに、違うんだと彼は続ける。
「それだとアッシュ、僕がいなくなった後、生きてく理由が無くなっちゃうじゃん」
「……。仮に、そうなったとして。"そうだろうな"と言ったら?」
「僕は、嫌だな。アッシュには幸せに生きていて欲しいし」
悠間は寂しげに零す。
アッシュにとってそれは、したくもない想像だった。
悠間がいなくなる。そうなってしまえば自分はどうなるのだろう。
「分からない。悠間のいない幸せなんて、俺には」
「……何か、無いかなぁ」
「無い。少なくとも俺には。……他の幸せは、分からない」
繰り返し、首を振る。持ち主に尽くすのが彼に刻まれた生存理由だ。
それ以外は与えられていないし、設定することも出来ない。
「悠間は……どうなんだ。悠間にとってに幸せとは、なんだ?」
「なんだろうねぇ。僕にも分からないや」
悠間は困ったように笑って、けれどアッシュと一緒にいるのは幸せかも、と呟いた。
「君が来てからは、幸せだ。……あはは、これじゃあ僕もアッシュと一緒かぁ」
「笑えないぞ、悠間。俺にあんなことを言うなら、自分の答えも探してくれ」
「そう、だねぇ。……うん、考えておくよ、その時までに」
アッシュにとってその言葉は、答えの無い問いを投げられた仕返しでしかなかった。
けれどきっと、悠間にとっては違ったのだろう、と今のボイドは思う。
碓氷悠間の病状が急変したのは、それから数日後のことだった。
【続く】