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【キー2】今

新人研修をうけた時の心拍数の上昇感を忘れてしまった先輩方や、或いは、この頃心拍数があがって汗がとまらない同胞におくる

不安のタイプ

今週も、先週に引き続き、新入社員向けの研修をうけていた。育成担当の「研修中、不安になることも多いと思います」の言葉通り、さまざまな不安を感じている人が多いはずだし、僕も漏れなくその1人である。

研修をうけていると、度々、僕は「今」を生きているのか不安になる。

「こんなに沢山教わっても自分の能力的に処理し切れるか不安」という不安も当然あるが、それらはやってみないと分からないという点で、不安になる優先度が低い。「やってみてできなかった時に不安になればいいか〜」という風に先送りにできる感じ。

だけれど、「僕は今を生きているのか」という不安は現在進行形の不安だから、なるべく早く対処しなければと思った。

仕事の進め方研修と「未来」

水曜日の話。

「ホウレンソウ」をキチンとしましょうとか情報を整理してスライドに起こしましょうとか、そういう研修をうけた。

部署や事業説明といった物事の内容を解説する研修とは違い、本配属された後の仕事の進め方ハウツーを学ぶ研修だったからやむを得ないのだけれど、僕はこの研修中に何度も聞いた「これから」という言葉がえらく耳についた。

「これから皆さんが仕事を進めていく上で必須のスキル云々」
「皆さんはこれから社会人として学生の頃とはちがった自覚が云々」
「この言葉は皆さんがこれから何度も言われることだと思います云々」

これからこれからこれからこれからこれから… うわーーーーーーーー

そんなに未来の話ばかり一気にしないでくれーーー!と、思った。

就活相談と「過去」

土曜日の話。

大学の後輩から就活相談をうけた。面接に向けて想定質問とその回答を考えたから目を通してほしいという旨のものだった。

久しぶりに就活というイベントに触れて思ったけれど、就活においては、とにかく過去が重視される。

これまで1番苦労したことを教えてください
これまで周囲と力を合わせて物事を成し遂げた経験(400字以内)

入社するまでは過去過去で入社した途端に未来未来で、いったい「今」はどこにあるのだろう。

手触り感のない「今」

というふうに、ここまで研修や就活を特別扱いしてきたが、これらに限らず日頃から「今」をちゃんと味わうことは難しい。

「今」以外の過去や未来を味わうことは昔から幾度となく経験してきた。

同窓会で昔の自分の話をされ小っ恥ずかしくなる
大学時代のサークル活動を思い出して懐かしくなる

明日からの旅行が楽しみでドキドキする
来月に迫る人生はじめての手術にソワソワする

「懐かしい」とか「ドキドキ」とかが、過去や未来の味なのだと思う。

ところが、同窓会や旅行の真っ只中にいる間は、まさにその時「今」の味がよく分からない。無我夢中すぎて味がしない。
極端な場合、同窓会や旅行が早く終わらないかな〜と思ったりする。はやく家に帰ってスマホの写真を振りかえって、「今日も楽しかったな〜」と確認したいのだ。「今」をいちど過去にすることで、あとでゆっくり味わいたいと思ってしまう。

僕たちは常に今だけを生きているはずなのに、その今を感じることが1番難しいなんて不思議だ。

この普段意識しないような不思議感が、おばあちゃん家の毛布くらい重たく、そして勢いよく覆いかぶさってくるのが研修や就活だから、びっくりして心拍数が上がるのだと思う。あと数週間もすれば慣れて忘れるだろう。
だからこそ、忘れないうちに、今、書き残しておくことが大切なのだと思っている。

手触り感のある「今」のコレクション

冒頭のように、今を生きているかどうか不安になった僕は、手触り感をもって今を感じられるように、目を見開き耳を立て手を伸ばした。
こうして集めた、「今を感じたコレクション」をどうぞ。

・網棚の上の温度
これは月曜日。
帰宅ラッシュの電車で僕はリュックサックを網棚の上にのせていた。
自宅の最寄り駅に着いて、荷物を取ろうとしたとき、ふいに手をリュックサックへ直に伸ばさず、一瞬だけ網棚の上にのせてみた。そしたらひんやりと冷たかった。

名前では「網棚」といっても、いまの電車の網棚は金属製だから冷たいのは当たり前。なんだけど、これまで網棚に手の平を置くことなんてなかったから、僕には新鮮な冷たさだった。

満員電車はどこも生あたたかい。空いた椅子に座れば前にいた人のお尻の暖かさがあるし、立って手すりや吊り革に掴まっても人の肌温度がうっすら残っている。座らず掴まらずとも、ぎゅうぎゅうの列車には、もわっとした人の温度が充満していて、とにかく、どこもかしこも温い。

ところが網棚の上はこっそりと冷たい。おお大発見だ、と心の中でにんまりして列車を降りる。いつもと同じ帰路なんだけど、この日の列車にゆられていた数十分は、しっかり「今」の味がした。

・ポケットチーフ
研修のあった水曜日の話。

「これから中毒」のお陰ですっかり未来に疲弊した僕は、なんとかこの研修に今を見出そうとした。
その時、講師の胸ポケットにさされた白チーフが目に入った。

入社して以来、これまでにないくらいスーツを着た人々に囲まれた日々を送ってきたが、初めてポケットチーフを挿した人をみた。
やっぱりカッコいいよなポケットチーフ。目に焼き付けて、僕はちゃんと研修にも「今」を感じた。

・ピンクの腕時計
土曜日の話。

歯医者にいこうとバスに乗ったら、運転手の方がビビッドなピンクの腕時計をしていた。

この日は久しぶりの土砂降りで窓の外は薄暗く、また運転席の周りは銀色や黒色や灰色のメカが多く、制服もモノトーンだったから、ピンクが場違いなほど眩しかった。

映り込んだオレンジは僕のパンツ。ピンクに負けていない。

乗り慣れた路線バスも、こういうぶっとい釘みたいなもので印象付けられると、たちまち今の味がしてくる。

・ブランコの裏
日曜日の夜。これを書いている直前の話。

僕はよく夜に近所を1人で散歩するのだけれど、この日は近くの公園へ向かった。目的は公園にあるブランコの下にあるであろう水たまり。

鞦韆の裏を映せるにはたづみ

佐藤文香『海藻標本』(ふらんす堂)

鞦韆は「しゅうせん」と読み、ブランコのこと。「にはたづみ」は漢字で行潦・庭潦などと書き、雨が降ったりして、地上にたまり流れる水や水溜りを指す。

ついさっきこの作品を知って、雨上がりの外へ慌てて飛び出した。

日曜の雨は通り雨だったせいか、水溜りが小さい
大きさは十分だけど、なんせ濁りすぎていた

近くの公園2ヶ所を見てみたけれど、暗くて、水溜りは濁っていたから残念ながらブランコの裏はくっきりと映っていなかった。
でも、この「あ〜あ残念」という感情が、今晩の散歩の味なのだ。

「自分の今」に自分からかぶりつく

「今」とは周りから与えられるものではない。

どんなに最新号の雑誌を追いかけても、追いかけているうちは永遠に「今」に追いつけない。むしろ自分の知らない最新トレンドを突きつけられ、自分が今に遅れていることに焦るだけだ。これはこれで心拍数があがって仕方ない。結局、自分の「今」は外からの情報で縁取られるのではなく、自分の内側から生み出すことが肝要なのだと思う。

先月、NHKの番組で短歌が若者に流行っていることを知った。若者の僕も短歌が好きだ。

ただ、僕は流行っていると知ってから短歌を好きになった訳ではない。ある日行きつけの書店で偶然手に取った歌集に魅せられて、短歌にハマっただけだ。世間のトレンドに短歌があろうがなかろうが、僕にとって短歌は僕の今を構成する重要な要素になっている。

日経新聞やTwitterから学んだトレンドを追いかけて、レコードを集めたりNew Jeansにハマるのも悪くない。が、仮にそうした外部からの情報が根底にあったとしても、例えば僕にとっての短歌のように内から生まれた「僕自身の今」をこれからも大切にしていきたい。

おまけ

まだ明るい時間に浸かる銭湯の光の入る高窓が好き

岡本真帆『水上バス浅草行き』(ナナロク社)

上で紹介したNHKの番組ページにも登場している、岡本真帆さんの大ヒット歌集からの一首。
すんごい素直な句なんだけど、それ故に、句そのものと描かれている直射日光と、そして岡本さんが体験した「今」への感動が三位一体となって、ストレートに僕たちに届いてくる。

今を瞬間冷凍したような短歌。たくさん集めておけば、疲れたときにぺろぺろ舐めて今の味を思い出せそうな気がする。短歌は頼もしい。

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