【キー12】他人-オーバーオール
「究極的には親だって他人だからね」の他人ではなく、出会うには出会ったけどあんましらない、という意味の他人、を思い出す営み。
「ありがとうございます」
うちの学区には団地があって、その中心にはちょっとした広場があった。昼間から放課後の時間は子どもたちで賑わっていて、僕も何度かそこのベンチで友だちとデュエル・マスターズをしていた。
その広場で、うちの中学の2年生の男子が数人で大騒ぎをしたらしい。僕が入学してすぐの頃だったと思う。
大騒ぎと言っても、バイクで乗り込んだとか爆竹を鳴らしたとかではなくサッカーだかドッチボールだかをしただけらしいが、これが団地の管理組合のおじいさん達には我慢ならなかったらしい。
お宅の中学生がうるさいから団地住みじゃない子どもは立ち入り禁止にするぞ、という趣旨の、強いご意見が学校に届いたのはその2日後のことだったと思う。
そしてその翌日に、現場いた男子生徒数人が先生たちに呼び出されたらしく1階の教材倉庫で事情聴取とお説教があった。僕の担任も、お前達の中にも関係者がいたら素直にいいなさいとか言っていたから全校中が知ったことだろう。
その日の昼休みの終わり頃、5時間目の教室へクラスメイトと移動していたら、たまたまその倉庫の前を通っていた僕らの前で、ドアがガララと開いた。説教が終わったタイミングだったようで、さすがの2年生も小さい声で文句を言いながら上履きを引きずって出てきた。
そしたら彼らの後ろからさっきまで説教をしていただろう教師が、「大ごとになる前に説教したもらったんだから、ありがとうございます だろ」と言っていて、最悪だった。
実際、その後の中学生活は最悪だった。
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フライングゲット
※【キー9】カラオケより
僕の小学校では5・6年生に委員会に入らなきゃいけなくて、僕は放送委員になって給食の時間に生徒がもってきたCDをかけるというのをしていた。こういうときにCDをわざわざ渡してくるのは、地元の野球クラブに入っているか放課後校庭でサッカーをやり続ける男子、又はそういう男子と仲のいい女子と決まっていた。
そういうわけで給食の時間は殆どGReeeeN「キセキ」かイナズマイレブンか、あるいはAKB48とKARAとE-girlsが順番に流れていた。
僕が5年生になって放送委員になりたてのころ、AKB48「フライングゲット」が流行って、僕の初仕事は誰かが渡してきたそれをかけることだった。
それで、僕ははじめてで調子はよく分からないけど細かい使い方をいちいち6年生に聞くのは面倒だったので、見よう見まねで再生ボタンを押した。そうしたら、とんでもなく大きな音量で学校中にフライングゲットが流れてしまったようで、4階にある5年1組の教室で給食を食べていた僕の担任が、わざわざ1階の放送室まで走って怒鳴りにきた。
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オーバーオール
昔からサッカー部のやつと声が大きい人が苦手だ。
ただ、高校時代にサッカー部で声が大きいのに、いい奴がいた。
彼は、体育の時間にバスケのパス練習をやらされた時に、たまたま近くにいた僕を速攻でペアに選んでくれた。僕はボール全般が怖いから、バスケットボールをパスされても受け止められないんだけど、彼は真剣な顔で練習につきあってくれた。彼は運動が得意だったから、他サッカー部とかバスケ部の人とかと練習する方が楽しかったと思うけど。
僕の高校は男子校で制服がなかった。彼は、サッカー部だから当然にオシャレで他校に彼女もいるらしい。
ある冬の日に彼が、ニットの上にオーバーロールを着てきた。毎日体育着で通学するような人間だった僕からすれば、すごくオシャレだった。ただ、オーバーオールというやや攻めたアイテムは、他のサッカー部やその同類にはダサくみえたらしくあるサッカー部のやつが「今日の〇〇、マリオみたいじゃね」と陰で馬鹿にしていて、うちのサッカー部が弱いことに妙に納得したりした。
僕は彼に「それどこで買ったの?」ときいたら「GUだよ」と返してきて、「へ〜GU買ったことないけど、そんなかっこいいのもあるんだね」と言ったら喜んでいたので、僕は彼をいい奴だと確信した。
彼は、僕が音楽の歌のテストで「浜辺の歌」の歌詞を飛ばしかけたときも、まっすぐこっちを見ていた。
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鼻の骨
物心ついたときから本がすきだった。
両親が毎晩膝のに乗せてしてくれた絵本の読み聞かせから始まり、『かいけつゾロリ』(原ゆたか)と『怪人二十面相』(江戸川乱歩)を経て、小学校低学年の頃にはすっかり本の虫になっていた。担任の先生よりも図書室の先生との方が仲がよくなって卒業した。
ただ、入学して1年以上は読書と同じくらい外で遊ぶのも好きだった。業間休み(2時間目と3時間目の間にある20分間もある長い休み時間)にはクラスメイトと勢いよく校庭に飛び出してサッカーや鬼ごっこをしていた。給食後の昼休みも、図書室に行く日と校庭にでる日が同じくらいあった。
鬼ごっこの勝ち方について。
当時から運動音痴で同級生に比べて足の遅かった僕にとって、バスケットゴールや体育倉庫の裏に隠れるてチャイムがなるまで乗り切るのが勝つための戦術だった。地元の野球クラブにはいってる足の速い男子はわざと鬼の前にでて挑発をしていたけれど、そういうことを僕はしない。
500人以上の児童数をもつ小学校の半分以上が校庭で走り回るのが業間休みだったから、体育倉庫の裏にだっていつもたくさん人がいた。垂れた木の枝をその葉っぱ同士で結びつけて秘密基地をつくっている人もいたし、なめくじを枝で潰している人もいた。僕も隠れている時に、たまにそういうことをして大きくなった。
足決め(参加者全員が片足を円状にならべてリーダー格の人が「神様の言う通り」の要領で鬼を決めるやり方)の結果、村人となった僕は校庭へかけていった。
その日は僕ともう1人が最後まで残っていた。彼は校庭でやっている別のクラスのドッジボールに紛れて鬼の目を欺いている。鬼がいったりきたりする校庭のど真ん中で大声を出しながら飛んだり跳ねたりしているのに鬼は気づかない。端から他クラスの団体だと思ってノーマークなのだ。
他クラスに紛れるなんて、路地のポストに変装して警官をやり過ごした怪人二十面相みたいじゃないか。かっこいい。でも僕にはできないよ。だってドッジボールの中にはいるなんて怖いし、他クラスのドッジボールに紛れるなんてその子たちに迷惑じゃないか。
みたいな言い訳をしながら僕は、鬼を目で追い続けた。すると、ついに怪人二十面相が捕まってしまった。鬼と2人で笑いながら話している。「こんなとこいたのかよ笑ぜんぜん気づかなかったわ笑笑」「俺もいつ見つかるかヒヤヒヤしながらやってた笑笑」とか言っているのか。遠くて聞こえないけど、さっきまで敵同士だったのに戦友のような眩しい笑顔だ。
たぶん僕は、当時よくみたリポビタンDのファイト一発!CMを連想したりしていたと思う。
それはともかく、いま大事なのは村人が僕だけになったことだ。唾を飲む。
教室に戻らないといけなくなる時間まであと数分だ。見つかりませんように。倉庫の角から目まで出して祈る。
しかし鬼は何を思ったのか、一直線に体育倉庫へ向かってきた。明智小五郎ばりのファインプレーをした鬼は頭が冴えているようで、まだ見ていないのが体育倉庫だけだと気づいたようだった。
残り時間も加味してかダッシュでこっちへくる。
やばい。きびすを返し倉庫の裏をダッシュでかけぬけて、反対側へ倉庫の角を折れた。
そこで記憶が一瞬ジャンプして、気づくと僕は地面によこたわり鼻血をだしていた。泣きながら顔をあげると、目の前にも鼻血を流した3年生の名札をつけた男の子が尻餅をついて泣いていた。
倉庫の角で勢いよく衝突した2人は保健室に連れていかれ、たしかその日は早退になった。
翌日父親と病院にいったらレントゲンをとられ、年をとった医者が「鼻の、まんなかの骨がずれてますけど、これ、どうしようもないんですよね」「いまはもう痛くないでしょ?だったら、大丈夫」とゆっくり言ってきて、また一回泣いた気がする。
僕はそれ以来、鼻の骨がひとつ外れたまま生きている。同時に、僕は鬼ごっこをやめて図書室通いに専念するようになった。象のように鼻を曲げながら。
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選挙カー
中学の頃、おなじ科学部に静かだけど当時の僕が好きなユーモアをもっている絵のうまい友だちがいた。
その友だちの父親が数年後に市議会議員選挙に立候補した。
僕はその友だちの家に何度も遊びにいっていて一緒にWiiの「007 ゴールデンアイ」をやったりしたから、その父親にも面識があった。
そしてその父親はうちの近所に選挙カーで回ってきたとき、たまたま通りかかった僕を見つけると車内からスピーカーを使って、「お久しぶりです。おおきくなりましたね。お元気でしたか。」と話しかけてきた。
僕は友だちの親に敬語で、選挙カーのスピーカー越しに大音量で、一対一で話しかけられるのが初めてで、すごく嫌だったから会釈をしながらすぐに角を曲がって逃げた。
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