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【キー3】逃げ道

「にげはじ」を見ずに働き始めてしまいました。

逃げ場

仕事においては逃げないことが重要、といっているおじさんたちも、自分だけの「逃げ場」をたくさん持っていると思う。
それは例えば、家に帰って妻に話を聞いてもらうことかもしれないし、パチンコかもしれないし、あるいは年に一回の同窓会だったりするだろう。

いざという時に逃げ込める場所があるから、こういう人は、強く逃げないで立ち向かい続けられるのだと思う。

「逃げる」にもいろいろなレベルがあって、それは逃げる対象(追ってくるヤツ)によっても異なってくる。

僕は逃げ症なので、いろいろな逃げ場に飛び込んでは出てきて飛び込んでは出てきてを毎日繰り返している。今回は僕がこの一週間に逃げ込んだ場所などを振り返ってみたいと思う。
参考にしたい方はぜひどうぞ。

三省堂書店

月曜日の話。

いつも本を職場に一冊もっていくのだけれど、この日は忘れてしまった。一時間ある昼休みに、すぐに手持ち無沙汰になってしまった僕はこれを機に近くの本屋さんを調べて行ってみることにした。

そうして見つけたのが、駅ビルに入っている三省堂書店だった。

コンパクトな店内にはいま流行りの話題作が中心に並んでいた。漫画や雑誌もあって、平日の昼にも限らず店内には常に5名ほどの客がいた。サラリーマンらしき方もいた。

そんな本屋で僕は、歌集の中では話題作となった、岡本真帆『水上バス浅草行き』を買った。持っていたのだが随分前に人に貸して以降帰ってこないので我慢できずに再購入したわけだ。

前回も紹介した、2022年最大のヒット歌集

その本屋の短歌・俳句スペースは非常に小さく、数冊しかその場所はなかった。それも本屋の端の棚の左上という絶妙に気づきにくい場所だった。

短歌ブームがきている昨今といえども、本屋でまだまだ歌集コーナーは小さいし、その場所が無い本屋もある。でも会社の1番ちかくの本屋には短歌コーナーがあってよかった。本屋の隅っこで客もあまりこないし、まさに「逃げ場」という佇まいをしている。

シャッフル再生

火曜日の話。
今日はいつもより遠いビルに集合ということで、早めに家をでた。

僕は電車の中ではよくイヤホンをして音楽を聴いているのだが、その際にシャッフル再生を使うことが多い。ダウンロードした膨大な曲がランダムな曲順で再生されるわけだ。
だけど僕は、こうして提示された曲がその時の気分に合わないとかでスキップしてしまうことが多々ある。ひどい時には目当ての曲が来るまで何曲も飛ばすことがある。

その度にいつも小さな罪悪感を憶えていたのだが、今日は一曲も飛ばさないことに決めてイヤホンをつけた。

普段より長い時間電車に乗る日だったので、最近はいつもスキップしていた懐かしの曲がたくさん聴けて面白かった。
それに今日はいつものプチ・罪悪感を感じなかった、つまり僕的な善行をしたということなので(そういうことにして)、今日はこの後いっこくらいズルいことをしてもいいだろう、という逃げ道を作ることができた。僕の小さな善行は、逃げ道たる小道を拓いたといえる。

その時の曲目。文脈もへったくれもない。

尾久駅

水曜日の話。
苦しい思いをして満員電車にのっていたり、待ち合わせの時間ギリギリの電車にのっているとき、「この駅はそんな利用者いないしラッシュの時間は飛ばしちゃえばいいじゃん」と文句の一つも言いたくなる駅がある。

例えば宇都宮線・高崎線・上野東京ラインの尾久駅。東京・上野・赤羽・浦和・大宮と主要駅のオンパレードの上野東京ラインで、なんで尾久駅に止まるのよ、と思ったことある人は多いと思う。

検索候補に「いらない」が出てきて流石に同情する

でもきっと僕が、例えば上野東京ラインにのって職場に毎日向かう生活を送っていたとして、電車にはのったものの途中で「あぁ今日はもうだめだ休もう」と決めて朝の満員電車から降りるとしたらそれは尾久駅だろう。

それは尾久駅がなんだか上野東京ラインからぽこんとはみ出している、空気を逃すような穴に見えるからだと思う。主要駅や満員電車に乗っている強い僕たちからは、なんでお前いるんだよとかふだん睨まれているのだけれど、きっとこの駅がないと上野東京ラインは脱線してしまうのだ。上野東京ラインの「あそび」が尾久駅なんだと思う。中学校でいう心理カウンセラーのおばさんみたいな。

いざという時にお世話になる前に、こんど一度尾久駅におでかけしてみようかな。うん、乗ったことのない都電荒川線も近くを走っていて面白そうだし、挨拶がわりに行こうとおもう。

オンライン

木曜日は終日、はじめての在宅ワークだった。

在宅ワークに限らず、オンラインのコミュニケーションは非常に気楽だ。なぜかといえば逃げようと思えばすぐに逃げ出せるから。

zoomによる面接も、Teamsの会議もパタンとパソコンを閉じてしまえば、あるいはコンセントを抜けば一瞬で真っ暗になって終わる。その最終手段が僕の手中にあるのが心強い。

対面だとこうはいかない。面接で泣きそうになって、うわーと叫んで部屋を飛び出すのは現実的ではない。一方でパソコンを閉じれば済む楽さといったら!

一方で人は時に、この逃げ場があるゆえのオンラインコミュニケーションに不安を感じる。相手にパソコンを閉じられてしまうのでは無いか、着信拒否されてしまうのではないか、知らぬ間にブロ解されるのではないか。

だから人はよく、顔をつきあわせて、ある種にげられない環境に招き入れて、話をして仲がいいことを確認したくなるのだと思う。それは僕もするし、違うのはその頻度だったりするのだとおもう。

この日、僕は高校時代のある友人に久しぶりに連絡をとった。一年前になんどかLINEしたときは既読もつかなかったやつだ。周りにきくと、去年のその頃はLINEをみる余裕もないほど彼は追い込まれていたらしい。その時うまく逃げ道を彼はみつけられたのだろうかと心配していたが、この日はすぐに返信がきた。5月に飲みに行こうという約束ができて嬉しかった

そしてその飲み会が彼にとっても僕にとっても、いっときの逃げ道になれば、僕たちの仲は昨今大流行のオンラインコミュニケーションにも負けていないと胸を張れる。僕にとってはこの約束ができたこと自体が逃げ道だから既に大勝なんだけど、彼にとっては果たして。

心の底から「よかった!!!」と思いました

フラペチーノ

金曜日の話。
退勤!初任給後初の華金だよどうする〜などと話しながら駅にむかってぞろぞろと皆が帰っている中、この後スタバにいってメロンフラペチーノを飲もうという話をしている人もいた。

フラペチーノはフラッペとカプチーノを組み合わせた造語なわけだが、僕はフラペチーノという言葉をきくと、この語源に関連して思い出す歌が一首ある。

フラッペはふざけすぎだと思う
「っぺ」はさすがにだめだと思う

上牧晏奈『ふぁんふぁん』

この一首は、おふざけの面白の歌だと思う。
まず、フラッペという言葉自体のおふざけ。別に「かき氷」でいいじゃん。おもしろを狙って使ってるだろお前、というツッコミを心の中でする。
次にこの歌を声に出したときのおふざけ。ひとり「っぺ」を声にしている僕を誰もみていないから余計に恥ずかしい。間抜けすぎる顔をしている。

僕はこの一首を知ってから、フラッペという言葉を見るたびにウケてしまう。こわばった表情筋を緩ませる逃げ道となったフラッペ。

フラッペで検索していたら偶然みつけた。ポケモンも好きだからファミマを使うたび、余計にニコニコしちゃうかも。

あと、知らなかったけど昨年の夏にピカチュウコラボのフラッペがでていたみたい。「ピッカピカ」「ごっろごろ」「まっぜまぜ」も「っぺ」的なおもしろを狙ってないか??!フラッペは「っ」を誘うのだろうか。ウケる。

おまけ

先日とある場面で、「方向転換をこまめにする」の比喩で「スキーのパラレルみたいに」といったのだけれど、正しくは「スキーのアルペンみたいに」でした。スキーなんて普段しないのに比喩がそれしか出てこなかった。慣れないことはするもんじゃないね。それでも「言いたいことよくわかったわー」と言ってくれた方、ありがとうございました。

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