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【キー5】裂け目/嫌いな言葉

裂け目

例えば、新海誠『すずめの戸締まり』(2022)における日本列島とミミズの関係のように、とある世界の裏にべったりと張り付いているものが、僕たちの周りには沢山あると思う。『すずめ〜』では、要石が外れたのを機に「後ろ戸」から、この普段は見えないミミズを見ることができた。この「後ろ戸」のようなものを、世界の裏側が溢れだしてしまうポイントとしてここでは「裂け目」と呼ぶことにする。

トングラム

「トングラム」ときいて、「ああ、tgのことか」とすぐに変換できただろうか。僕はできずに「とんぐらむ?」という表情をしてしまった。「kg」も「トン」も馴染みがあるのに、「トングラム」になった途端、全く異世界の言葉のように聞こえてこないだろうか。

算数の教科書に載っている単位表には、グラム(g)・キログラム(kg)・トングラム(tg)が一直線に並んでいるのに、どうやらキログラムとトングラムとの間にはその存在にも気付けないほど深い溝があるらしい。

「トングラム」が裂け目となって、僕たちの扱える重量の限界を見せてくるようだ。

土曜日、歯医者の帰りに本屋によって伊舎堂仁『トントングラム』(2014)を買って思ったことだ。

「先生 全て表示をクリックですべてが表示されたんですけど」などを面白がる人向けの歌集だと思う

方言

GWに恋人のいる青森にいった。彼女は東京の大学を休学して、春から実家に帰っているのだった。そんな彼女が上京した数年前には、その言葉に若干の訛りがあったのだが今では殆どない。

そんな彼女も、両親と話しているときはすっかり訛りを取り戻し津軽弁もガンガン飛び交わせる。僕のいる前だから無意識に控えめにしてはいるのだろうけど、祖母と話しているときの訛りっぷりたらなかった。彼女とであった当初を思い出して懐かしくなると同時に、彼女の裏側に「青森」が張り付いてることが強烈に意識された。

普段は標準語を話す彼女の口から、青森なまりや津軽弁が溢れたとき、彼女の裏にある文字通りの「バックボーン」が顔を覗かせるのだ。

「遅咲き」が褒め言葉になるんだよってそれ津軽弁で言ってみて

5月になってようやく咲いた桜を座って眺めながら
石川さゆり「津軽海峡冬景色」の歌碑からは「津軽海峡冬景色」が朗々とながれていました

「裂け目」だなと感じることは他にも沢山ある(あった)のだが、手元のメモにまとまっていないので、他にも思い出したり見つけたら改めて書き直そうと思う。

「裂け目」と「嫌いな言葉」をつなぐ橋

大谷翔平とホットドッグ

あまり感動はしないけど、有名人の意外な一面を知った瞬間もある種の裂け目かなと思う。
先日、Twitteにて、大谷選手が「ホットドッグに何つける?」というインタビューに意外な回答をしているという動画を偶然みかけた。
なんの気になしに再生したらおもしろくて変な笑い声がでてしまった。暇だったら見てください。

GW

当然、僕らはゴールデンウィークと変換できるわけですが。

「GWってジョージ・ワシントン?」ってとぼける父のシャツの首裏の色

鈍く輝いている箇所。GWに僕たちを休ませてくれた全てのサラリーマンに感謝

TPO

僕は「標準語」という言葉が嫌いだが、用いた方がよい場面というのがあるのも理解しているので、本記事では使用した。嫌いだけど使わざるを得ない場面が多い言葉」は他に「社会人」とか「令和◯年」とかがある。

嫌いな言葉

「裂け目」が小さかったので橋をわたって第二章。

誰にでも嫌いな言葉や言い回しというのがある。
彼女は「だから」という接続詞を「怖いから」という理由で嫌う。

ここでは上に書いたものとは別に、いろいろな作品にあらわれた嫌いな言葉と言い回しを3つ紹介して終ろうと思う。

ツマラナイカラ

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節に、「北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」という箇所がある。読みやすく直すと、「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い」となる。

僕はこの「つまらないから」が嫌いだ。「つまらないなんて何様だよ」と思うからだ。喧嘩や訴訟のあるところには、本人たちがそれらをしなければならないほど譲れない思いがあったりする。大のおとなが、「今回はゆずりますよ」と言えずに訴訟にまでなってしまう事情を、「つまらないから」でなだめようとするなよ。と思う。

先日あった友人が「ウチ、宮沢賢治アンチの友達がいるんだよね」という話をしていて思い出した。

気立てのいい

「何様だよ」という理由で嫌いな言葉は他にもある。

ハヌマーン『幸福のしっぽ』(2010)の歌詞の一説に「気立ての良いお婆さんに」という箇所があって、僕はこの「気立て」が気持ち悪い。

気立てが良い/悪いというのは、なんて品のない語句なんだろだと思う。上から目線で人の性格を評価するときにしか使わないからだ。僕はハヌマーンのアンチでもファンでもないが、この人たちは内心で世界を見下しているのではないか、あるいはその偉そうな態度を恨まれてぐさっと包丁で刺されてもいいと思うほど世界を諦めているのではないか、と思う。

ことわざを引用した言い回し

僕もやってしまうことが多々あるのだけれど、ことわざを引用した発言は大抵面白くない。どうしてかというと、その人が楽をしようとしていることが筒抜けだからだ。「端的にまとめて効率的に伝える言葉」って面白くない(事務的な報連相をきいてもワクワクしないじゃないですか)から、その最たるものである「ことわざ」を、楽しいはずの雑談中に持って来られると「冷める」。

上で触れた『トントングラム』の作者、伊舎堂氏の作品が僕は好きなのだが、彼がある歌評にて、ことわざの引用について文章を載せているので引用する。

だから先生、苦労と努力は違うんだ。彼は苦労のイチローだった。
(上梨裕奨)

(前略)一方で「ことわざを新たに作る」という営みの濁ってなさがすごいと思う。「イチロー」で、ことわざを作ってくれたみたいな歌。
「努力のイチローにはなっても、苦労のイチローにはなるな」みたいな。ごめんってくらいキレ悪いけど。

伊舎堂仁『わたしが2012年から2022年の間でビリビリときた短歌はこれだ』

おまけ

僕の好きで大切にしていることわざ(?)というか座右の銘は2つ。

「世界はまだ楽しみ放題」と「何とかなることは何とかなる 何とかならないことは何とかならない」です。

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