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ミュージカル「ケイン&アベル」
ミュージカル「ケイン&アベル」
劇 場 東急シアターオーブ
観劇日 2025年2月11日、12日、13日
今回、配信やパッケージ化がないと早々に発表され、その瞬間からチケットを2枚追加し、自分の中での「同じ演目を見るのは3回まで」という上限でいかせていただいた
3日連続、全て1階席という或る意味恵まれた席運であったが、本当は2階席からも観たかった(どうやらこの演目に限らず、オーブは2階席が音響的に最良らしい)
地方住みの子持ちの身でかなりの贅沢をしてしまったが、悔いはないどころかお釣りが十二分にくる満足感を得られた
何とかこの記憶を自分に残しておきたい…
「御上先生」の中の「授業の内容を思い出しながら、ノートにまとめるのが一番記憶に定着する」という言葉を信じて、今回のこの記憶を記録する
今までの自分の傾向から、どうしても先に情報を得たものが1番鋭利に心に刺さってくるので、今回はこのミュージカルそのものを楽しむことを最優先するために、あえて原作は読まずに、鑑賞
結果、多分正解だった
壮大な大河ドラマである原作を読んでいたら「この場面が入っていない」「このエピソードを使って欲しかった」と気が散ってしまったような気がする
正直ミュージカル初見の印象(特に1幕序盤)は「ちょっとダイジェスト感が強いかも」だったので、先に読んでいたら益々その印象が強くなっていたように思う
であるので、この感想は「ミュージカル ケイン&アベル」を観た感想でしかない
ミュージカルを観た今、原作を読みたいと思っている
第1幕
★プロローグ 1901年 ♪宿命の二人
壮厳なオーバーチュア、そしておおきな白いキューブに投影される近代アメリカの歴史を感じさせる映像から、ここから始まる波乱の物語を予想させて、期待が高まる
キューブが割れ、その間からフロレンティナが登場(ちょっと記憶に自信がない)
ゆうみちゃんの美しく鈴を転がすような声で「スナップショット」、アルバムをめくり、物語は始まる
同じ日に生まれた2人の男の子、宿命の2人の人生がここに始まる
第1場 1921年
★客船の船首~エリス島 ♪アメリカン・ドリーム(AMERICAN DREAM)
スナップショットが投影されていたキューブが回転し(おそらく全て手動、気になるという声もあったが私は特に気にならず、鈍いのかな)、アベル達移民の乗る船へと転換し、アベル、ジョージ、ザフィアが登場するのがいかにもミュージカル!ここから始まる物語に高揚する
若い3人がとても可愛いが、アベルの「(キスの)やり方もわからないし…」爽やかに演じていても隠し切れない色気の塊の優也くんなので、このミュージカル中で1番「んなことねーだろ」な台詞だった(笑)
★ニューヨーク ハーバード・クラブ ♪最高の時代(BEST OF TIMES)
ケイン登場シーンの華やかさは言われているとおり、宝塚の男役トップスター!リアル男子であそこまでタキシードが似合うとは恐ろしい…からのキレ キレで踊る姿は繰り返すが宝塚トップスター…華やかさと相まってちょっと忘れられない格好よさ
思えばここまでちゃんと踊っている洸平くんを観るのは初めてで、評判に違わずダンスのセンスを感じた
「母さん、この人何言ってるの!」の言い方といい、若きケインのちょっと甘えたお金持ちのお坊ちゃんの未熟さみたいな在り方が絶妙
高潔であるがゆえに自分が卑しいと思ったものは、受け入れを完全拒否してしまう青さがあり、ヘンリー・オズボーンとの生涯に渡る確執を生んでしまう
♪父の名に恥じぬよう (LIVE UP TO HIS NAME)
「父の名に恥じぬよう」は台詞からすっと自然に歌に入っていくのが印象的
ケインが誠実で、そして後にマシューが言う「善良な心の持ち主」であることが佇まいでよくわかる
「父の教え」を大切にし、銀行に、人に尽くすという決意の歌は希望しか感じない
「あさイチ」でもこの曲の練習風景がピックアップされていて、歌唱監督の塩田先生からの「ブレスをもっと大きく!」の指導も見ていたので注目していたが、前方席で観劇した際に、洸平くんが思い切り息を吸い込む生の音が聞こえ、「生音!!」とちょっと興奮してしまったのは内緒の話
おそらくかなり難しい歌と思われるが、声楽を学んできたミュージカル俳優の方とはまた別の味わいのある素直な歌い方が役柄にもあっていて、それがケインという人物をより立体的にして、ケインの生き方に感銘を受け、「この人の味方になりたい」という共感を呼んだように思う
第2場 1924年
★プラザ・ホテル ♪ゲームのルール(RULES OF THE GAME)
ホテルのレストランのマネージャーとして働くアベルとウェイターとして働くジョージの洒脱なナンバー
優也さんもだけど、ジョージの上川さんの動きがかっこよすぎ(ピルエットはトリプル回っていた?!)
全編を通じての上川さんの居方が本当に上手い、ジョージ最高!
とても情報量の多い場面で、アベルの有能さや目端の利き具合、リロイとの出会い、そして実はここが運命の2人が初めて出会う場所で、片や銀行の取締役への昇進祝い、片や給仕、立場の違い、持っている者、持たざる者の違いがはっきり描かれている
アベルはこの出会いを忘れなかったし、ケインも忘れていなかった意味とはと今も考えている
明らかに失礼な言動をとっているのはマシューの方で、ケインはそれを窘めているにもかかわらず、敏感なアベルは直接的に不快な言動をされたわけでもないケインの言葉に薄っすら含まれている給仕をする者への見下しを感じ取って、寧ろケインに対して怒りを感じたのではないだろうか(実際アベルは給仕が終わって客の3人から自分の顔が見えない位置に来た瞬間に笑顔から真顔になっている)
演じ手のここの塩梅がとても上手い
第3場 1924年
★ケイン&キャポット銀行
ケインの有能さがわかる場面(後の大恐慌を予感している)でもあり、人としてまだ青く、正論で食って掛かるし、意外と短気で頑固であることもよくわかる
マシューはいい相棒だな、ちゃんとケインとアランとの緩衝材となってくれて
★シカゴリッチモンド・ホテルの屋上 ♪めざせ摩天楼(SCRAPE THE SKY)
「できると思います」ではなく「できます」
アベルのアメリカン・ドリームはここから始まる
★フロリダ ケイトの家 ♪波のかなたに(IN WAVES)
フロリダに債権回収に来たケインがケイトと初めて出会い、ケインが一目惚れしたということが細かい仕草で遠くから見ていてもよくわかる
家の説明をしているケイトの後ろでちょっとでもよく見せたいのか髪を直したり、話しているケイトに吸い込まれていきそうな姿勢だったり、つい心配して声をかけてしまう声の温度だったり
ケイトのあゆっち、元々の声質が低めで、宝塚時代も感じていたが、落ち着いた低い声が魅力的で聡明さを感じとてもよかった
ケインとのデュエット「波の彼方に」、夫を亡くし、喪失感の真っただ中にいて、気丈に振舞っているが、世間からの心無い視線に張り詰めている中、その気持ちに寄り添ってくれるケインに心がほどけていくケイトの気持ちがよくわかる
ケインも途中から声を合わせて、その入り方も溶け込むような入り方で、声の相性も良いのか本当に素敵だったし、洸平くんと女性とのデュエットって殆ど聞いたことなかった(「夜来香ラプソディ」で木下晴香ちゃんと少し歌っていたか)ので、とても新鮮だった
大切だった人を亡くした心の喪失への労りだけでなく、恋の始まりの予感の煌めきも感じてとてもよかった
★リッチモンド・ホテル ロビー ♪俺は右腕(THAT'S MY GUY)
アベルに「俺は口が堅い」と言った舌の根も乾かなうちに「俺はスパイ!」と歌い出すジョージに愛しさしか感じない
メラニーに「私はレディーなの」と散々な振られ方をしてしまうアベル、どんなに有能であっても出自が移民だとあからさまに差別されてしまう
きっとこれだけではない、様々な差別を受けてきて、アベルの中で拭いきれない怒りが積み重なって、それが全てのエネルギーになっていたのか
★ケイン&キャボット銀行 ♪俺は右腕(リプライズ)(THAT'S MY GUY(REPRISE)
恋に落ちたケインとマシューの如何にも親友同士のわちゃわちゃ感が楽しい場面で、実はそういう場面はここ以降ない
「好きになった!」のでれっとした浮かれ具合もよいし、「ばあさんに!」に対してほぼ素に近い状態(笑いをこらえるのを放棄した感)からの「馬鹿か」も楽しい
ケインが唯一心許せる人で、2人が長く支えあってきた(学生時代の2人の姿まで見える)のがよくわかり、後の展開を知ったうえで見ると幸せそうな2人が眩しくて泣きそうになってしまう
★スナップショット ♪愛が始まる時(THAT'S WHEN LOVE BEGINS)
実は宝塚以外では珍しいと思われるタイトルロールを担うプリンシパルが踊る2組のペアダンス(この場面のダンスの振り付けシーンが「あさイチ」で放送されていた)
恋の始まりからそれが育っていき、プロポーズにまで至る過程をダンスで表現していくのは、宝塚を見慣れた身ではあるが、新鮮に感じた
ケインのケイトを見つめる目が甘すぎる
第4場 1929年世界恐慌
★ニューヨークの街中~ケイン&キャボット銀行~ケインの家
♪大恐慌( FALLIN' ON HARD TIMES)
大恐慌そして唯一の友に迫りくる病魔
すっと長机に音もなく飛び乗るケイン
絶望し、生きる気力を失った人々に囲まれ、ケインは薄暗く細い道を青白い顔をして、ゆっくり歩いていく
銀行が本来担うべき社会的役割を果たすことができない自分の無力さを感じながら歩んでいるのか
照明が消える直前、遠くを見るケインの顔が忘れられない
★リッチモンド・ホテル デイヴィス・リロイのスイート ♪潮時(RISE AND FALL)
リロイの歌う「潮時」、優しく、温かくて、メロウなメロディで、逆にそれが喪失の悲しさを際立たせるものとなっていたように思う
山口祐一郎さんを初めてきちんと見たのが劇団四季時代の「永遠の処女テッサ」というストレートプレイで「何だか不思議な質感の方だな」と思った記憶がある
「オペラ座の怪人」のCDは何度も聞いたし、「エリザベート」初演も観に行った。「モーツアルト!」の猊下が一番最近に見た山口さんだが、存在感が桁違いで、どこか浮世離れしたところがあるから、このリロイという役にはぴったり嵌っていたように思う
アベルに甘えるようにもたれ掛かるリロイの背中が寂しい
本人にはそんなつもりはなかったと思うが、ここでリロイはアベルの生涯に渡る呪いの言葉「ウィリアム・ケインを殺してやる」をアベルに託してしまう
第5場 1929年~1930年
★アベルとザフィアのアパート ♪あなたならできる(EVERYTHING YOU HAVE TO GIVE)
リロイの自殺を目の当たりにしたアベルは取り乱し、絶望する
そんなアベルを鼓舞するザフィアの「あなたならできる」は力強く、そしてアベルへの信頼に満ちていて、こんな歌を歌われたらそりゃ頑張っちゃうよな、アベル
夫婦の絆を感じるとても好きな曲だった
知念さんの歌は勿論知っていたし、ミュージカルで活躍されているのも知っていたけど、これまで縁なく初めて生で拝見
ひとつ芯の通った歌声はザフィアにぴったりで、本当に素晴らしかった
★ケインの家 ♪また会う日まで(マシュー) MATTHEW'S GOODBYE
アベルが大切な人を亡くした時、ケインもまた大切な人を亡くしていた
危篤状態のマシューのベッドに俯して泣き崩れるケインに「泣き虫ウィリアム」と呼びかけるマシュー、ケインがこんな姿を見せるのはマシューだけだったのだろう
恐らくマシューはケインに対して友情だけではなく、ちょっとの劣等感も持っていたのは歌詞にも出ていたが、本当にほんのーり友情以上の気持ちもあったのかもなと思わせる風情が何とも切ない
マシューとの別れはケインの青春の終わりでもあり、ここからケインはアベルとの全面戦争に突入していく
★ケイン&キャボット銀行
アベルが銀行に融資のお願いに来て、始めは興味なさそうにアベルのプレゼン資料をみている(腕時計をチラ見したり、机に座ったり)ケインが資料の2枚目を捲ったあたりからどんどん見入っていって、アベルの経営力の凄さを感じながらも銀行の方針には不本意ながらも従わなければならない、それが取締役としての責任であるとケインが葛藤しつつの
「私たちは皆苦しんでいる!」
「お前は苦しんでいないだろう!」
ちょっと台詞はうる覚えだが、このセリフの応酬がとても印象的で、ここが二人の今後の人生の分岐点であったことがよくわかる
★灰と化したリッチモンドホテル~ケインの家/アベルの家 ♪命ある限り(AS LONG ASIM ALIVE)
「活かせなければ何が財産だろう」1幕ラストのケインとアベルのデュエット「命ある限り」に挟み込まれるケインのソロのフレーズ、父の教えを例え銀行という枠組みを超えてでも守ろうとするケインの高潔さをあらわす最高の歌であり、ケインがアベルという男を認めているという後々の展開の皮肉にもなる場面、大好き
アベルが紗幕の中に入って、炎が燃える映像が映し出された時「まさか怒りを炎で表しているのか(ちょっとダサいな)」と思ったら、いえ、本当に物理的にホテルが燃えている場面だった(勿論心情と呼応しているとは思うが)
アベルの「お前を倒す!!」は全てに濁点が付いているかの如く、恐ろしい怒りが込められていて、そんな中でも声がぶれることなく、広い音域にも拘らず音はきちんと嵌っていて、感情と技術の両立具合が凄すぎる
個性と個性がぶつかりそうに思えるのに、合わせて歌うと2人の声の相性が素晴らしい
ラストの照明が消える直前の2人が帽子を被るシルエットの美しさがあの絶唱と共に忘れられない
第2幕
第6場 1931年~1941年
♪アントラクト(インストゥルメンタル)ENTR'ACTE INSTRUMENTAL
♪宿命の二人(リプライズ)(OCEANS APART AND WORLDS AWAY (REPRISE))
2幕始まりは多分「今が瀬戸際(POINT OF NO RETURN)」だった筈
緊迫した1幕終わりから怒涛の展開が続く2幕の幕開けに相応しい心沸き立つ曲で、2幕への期待が高まる
★ケイン&キャポット銀行/シカゴ パロン・ホテル ♪成功間違いなし(WHAT COULD GO WRONG)
ケインの軽やかなステップ、足の動きの柔らかさ、アイソレーションのこなれた動き、相対してアベルの階段を下りてくる堂々とした姿(ここは宝塚の男役みたいにという注文だったというのがよくわかる格好良さ)、お互いの人生の頂点でもあった時期が重なっているつくりで、2人の呼応する人生がここでも感じられ、見ていてとても楽しい
第7場 1941年
★ドイツの戦場 ♪最前線で(FRONT OF THE LINE INSTRUMENTAL)
「2人の男、臨戦態勢」
扉に吸い込まれていく2人、ダンスが得意な2人だからか、動きがとても美しい
ドラム音とマイム、ダンスと極力メロディや台詞を廃しての表現、このミュージカルの中で毛色の違うシーンとなっていて、ここを挟むことでエモーショナルな「また会う日まで」へのメリハリがついていてよかった
洸平くん、細マッチョ
行進しながら4年にも渡る戦争の状況の変化を表す振り付けが面白い(洸平くん、たまに行進の右手右足が同時に出そうになっている(笑))
★♪また会う日まで(ケイン) UNTIL WE MEET AGAIN
亡くなったマシューや父母に思いを馳せ、ケイトに感謝するケインが次第に死の淵までたどり着く歌、洸平くんの柔らかく温かくて、どこか泣いているようにも聞こえる声、儚げな風情は正に天に吸い込まれていくようで、背景の光の煌めきも相まって何もかもがよい
衣装的にも「ミス・サイゴン」のクリスのようで、あ、確かに洸平くんはクリスが似合いそうだな(別に演じてほしいというわけではないが、愛に満ちた瞳で歌う「世界が終わる夜のように」のデュエットは聴いてみたいかも)
階段を上り下りしながらの歌唱(当たり前ではあるが、全く息が切れないのが凄い)はまるでケインの魂が浮遊しているようでもある
中の人2人の素晴らしい連係プレーで(洸平くんが上手く体重移動して優也くんに背負われにいっていた)ひょいと瀕死のケインを背負うアベルの逞しさよ
ここでアベルが「お前が誰であろうと助ける」と言うということは、アベルはケインにこの時点で気が付いていたということであろうか
自分では観劇中全く思い至らなかったのだが「あの背景の煌めきはアベルの腕輪の光ではないか」という意見を見て、ちょっと唸った
なるほどそういう見方もあるのか
第8場 1945年~1955年
★ケイトとザフィアのそれぞれの邸宅 ♪戦争から戻って( COMING HOME)
ザフィア、ケイトの妻達のデュエット、赤い糸と青い糸が織りなす美しいタペストリーのような歌声
4年ぶりに戦争から戻って来る夫を迎える嬉しさと、4年という長い期間離れていて夫が変わっているかもしれないという怖さの両方を歌っているのが良い
車椅子のケイン(ここのビジュアルが恐ろしく良い、特に軍服に帽子をかぶっている姿はいつか見てみたいと思っていた)、ケインを助けたことで勲章を沢山付けたアベルとの再会、リハビリ(ケイン)からの仕事復帰、戦争を跨いだというのに、心はずっと憎しみという同じ場所にいる夫への苛立ち
このミュージカルが、圧倒的に多いと思われる女性客の心を掴んだ要因の1つは、この妻たちが「憎しみから逃れることができない人生は愚かである」とちゃんと夫に突きつける女性であることもあると思う
★バロン・ホテル アベルの部屋/ケインのオフィス ♪今が瀬戸際(POINT OF NO RETURN)
ケインとアベルの電話のシーンのやり取りは緊迫した、正に2人の芝居が楽しめる場面
ケインは話せばわかってもらえるのではないかという一縷の望みを持ってアベルに挑むが、アベルは全く受け入れるつもりはなく、あくまで冷静にケインを拒絶する
「俺は馬鹿か‼」からの反撃体制に入るケインの静かながらも絶対に許さないモード、そこからのマスコミへのリークのケインらしからぬ下世話な表情が堪らない(生着替えはオペラグラスを使わなかった私もこの場面だけはロックオンしていた)
「POINT OF NO RETURN」といえばかの有名な「オペラ座の怪人」でも同じ曲名のナンバーがあるが、日本語訳の歌詞は「もはや引けない/行く手には/ただ一筋の道が」ともう戻ることが出来ない=進むしかないとしている
ケインもアベルも「引くことのできない、前に行くしかない」戦いに挑む心情が激しい曲調に合わせて、表情豊かに畳みかけられていく
最初は今まで比較的動きの少なかったケインが珍しくキューブの周りを激しく動き回り(彼のいきり立つ心の表れか)、最終的に2人がキューブの上に上った状態で歌い合い、最後のロングトーンは不協和音で終わるのが、今後の行く末を暗示しているのか
第9場 1955年
★フロレンティナとアベルのアパート
時は確実に流れ、2人の子供達も成人し、自分の意思をもって歩んでいく
自分で道を切り開いてきたアグレッシブなアベルにそっくりのフロレンティナはここから登場(「ここから私が登場します!」のキュートさに心でスタオベ)
おじさんになったアベル(カーディガン!)はちゃんと声も背筋もおじさんで、優也くんのこだわりが感じられる
★ブルーミングデールズの1階 ~ ナイトクラブ「ブルー・エンジェル」 ~ 「フロレンティナの家」の玄関口~追いかけって~フロレンティナの豪華なアパートメント ♪手袋みたいに (HAND IN GLOVE)
「黙って!」「踊ろう…」ここに咲妃みゆ有り!この絶妙なニュアンス、キュートで自立心が強く、自分をしっかり持っている女性、本当に大好き
実は宝塚退団以来、初めてゆうみちゃんの生の舞台を観たが(育児&地方住みでほぼ生観劇できない時期が10年近く…)、ダンスも「ああ、ゆうみちゃんのダンスだー」と嬉しくなってしまった
カラフルな手袋を使った振り付けもとても可愛い
リチャードの竹内さん、ちょっとコミカルで少し情けない風情のあるお坊ちゃんが甘いマスクと声とも相まってぴったり嵌っていて、フロレンティナとお似合いのカップル
2人は「ロミオとジュリエット」であるが、自分の境遇を憂うばかりで終わらず、意思をもって生きれば(且つ伝達の不備がなければ(笑))未来は切り開けるという希望に満ちた「ロミオとジュリエット」だった
★ケインのオフィス/アベルのスイート ♪もううんざり( ENOUGH)
ケイン、アベル、フロレンティナ、ザフィア、ケイト、リチャードで歌う「もううんざり」、これはとんでもない6重奏、本当に素晴らしい
リチャードがフロレンティナとの結婚をケインに話した時、怒りのあまりに笑っているケイン、彼の性格から考える激おこ具合がバッチリ嵌っている
父親の「逆らえば、全部!全部!!なくすぞ」に負けないリチャードはやはり信念の男ウィリアム・ケインの息子、中の人はあまり年の差はないけど、見た目だけではなく、中身も含めてちゃんと親子に見える
第10場 1967年
★スナップショット ♪息子の歌(宿命の二人リプライズ2)(OCEANS APART AND WORLDS AWAY (REPRISE 2))
この物語はフロレンティナが自分の息子に語り掛けていた物語であった
駆け落ちをしてからもリチャードとフロレンティナは幸せを築き、子供も産まれていた
幸せな夫婦は自分の力で道を切り拓いていた
★IE FLORENTYNA'S ♪私にはできる(EVERYTHING YOU HAVE TO GIVE (REPRISE))
アベル譲りの商才とバイタリティでお店(ブティック?)を持ち、ニューヨークに凱旋するフロレンティナ
店舗のオープニングパーティーでフロレンティナが歌う「私にはできる」
力強い歌声には、こちらも鼓舞される力がある
「あなたならできる」のリプライズで、ロスノフスキ家の生き方ともいえる歌を歌うフロレンティナの歌を聞くザフィアが泣きながらうなづいているのを見て、こちらも泣いた
★店の外 ♪何のために(WHAT WAS ALL THIS FOR)
子供たちや女性たちが新たな道を歩んでいる(ケイトとザフィアは友情を育んでいるように見える)のとは対照的に、男たちは未だ動くことができない
ケインとアベルも歳をとって、より頑なになり、自分の子供の新しい門出を近くで祝うこともプライドだけは捨てていないためできない
でもそんな2人が何十年ぶりかにお互い出会った時、あそこまで憎んでいた相手を「自分の人生であった」と歌う
歌詞の中に断片的に出てくる「プラザ・ホテルだ(ここのケインの歌声がとても好き)」「ドイツの戦場で会った(アベルはやはりケインに気が付いていたのか??)」など波乱の人生の重なり合った部分を思う2人
お互い遠くまで来てしまい、その残痕を歌うデュエットは苦く切ない
歳をとった2人がすれ違い歌う「何のために」、とにかく、2人の歌も演技も素晴らしい
壮年期よりまた一段歳を重ねた風情が自然で、杖をついた姿勢も、緩慢な動きも、そして一言では説明できない相手への思いも感じて、この作品の中で一番好きな場面かもしれない
★アベルの住まい ♪フィナーレ(君の名に恥じぬよう)(FINALE:LIVE UP TO YOUR NAME)
「ごん、お前だったのか」のシーン
一筋の光の中を歩んでくるケイン(の魂)は、悲しみを纏っているわけでもなく、笑っているわけでもなく、「ただそこにいる」
「父の名に恥じぬよう」のリプライズでもある「君の名に恥じぬよう」を歌うケイン
「こんなところ見られたくない」と残痕の思いで泣くアベル、包み込むフロレンティナ、中の人は同じ年齢なのに、完全に似たもの親子になっている2人、素晴らしい
観劇中に思い出すことはなかったが、今改めて舞台について考えると、洸平ケインの佇まいについ「母と暮せば」の浩二を思い出す
彼が演じる幽霊は決しておどろおどろしいものではなく、死へと誘うものでもなく、残されたものに希望を託す役割を担っていて、そしてそれがとても似合っている
自分たちの名前を持つ孫、ウィリアム・アベル・ケインの背中を力強くアベルの元へ押すケインは、松下洸平という役者の芝居のよさを最大限を活かした役で、まるで宛書きかのよう
この物語のラストがこう納まるのであれば、この役に彼を起用したのは大正解だ
アメリカの近代史(移民、狂乱の時代からの大恐慌、そして戦争、復興)に乗せて描かれる、時に呼応し、時に相対する2人の男の生き方を骨太に描いたミュージカル。
最初に歌われるケインの大ナンバー「父の名に恥じぬよう」、そして最後に孫のウィリアム・アベル・ケインに向けて歌われる「君の名に恥じぬよう」、やはりこの曲がこのミュージカルの芯、親子の、思いの継承がテーマの作品
構成として飽きさせない作りになっているなと思うのは、ミュージカルだから当たり前と言ってしまえばそれまでだが、ダンスナンバーで盛り上げて、歌でエモーショナルに、芝居で見入らせるという風に様々な要素を入れ、そのバランスが絶妙であるところ
特にアベルがケインに融資を頼む場面、そしてケインとアベルが電話で話す場面は、ミュージカルだと歌での応戦になりがちなところをしっかり芝居で見せてくれるのがこの作品の魅力になっている
この2つの場面は、お芝居の上手い人でないと成り立たない細かいニュアンスが必要な場面だと思うので、この2人で大正解キャスティング
また、アンサンブルも大活躍で、ソロや大切な役割の役を担っている方も多く、やりがいがあったのではないだろうか
移民の人々が「アメリカン・ドリーム」を大合唱した後、コートや帽子を取ると豪華なパーティー会場にふさわしいドレスアップしたパーティー客に早変わりし、チャールストンを踊りだしたり、大恐慌の中、銀行経営を話し合う取締役から、コートを着込んで大恐慌で不安に怯える市民へと変わるなど出ずっぱりで活躍していて楽しかった
衣装も流石有村先生、見ていて本当に眼福で、如何にも上流階級の洗練されたケインと成り上がりのアベルの差が衣装でもバッチリわかって、特にポスターにもなっている2幕序盤及びカーテンコールのスーツは、ケインがグレンチェックのシングル三つ揃え、アベルは派手なストライプのダブルとなっており、解釈一致
個人的に洸平くんのベスト姿(そして腕まくり)が大好きで、1幕ラストにかけて着ているベストのデザインがとても素敵で有難い
ケインは上流階級の御曹司であるが、頭もよく、実行力もあり、確固たる自分の信念を持つ男であり、「銀行は人のためにある」という父の教えを守る誠実で高潔な人物をここまで説得力をもって演じることができるのが素晴らしい
衣装の着こなし(沢山のオーダーメイドスーツは勿論、タキシードの着こなしも洗練されていて、上流階級のお坊ちゃんだからちゃんと着慣れている感がある)も椅子や机に腰掛ける姿も上品で、全ての仕草(上着のボタンをはずしてさっと広げたり、ポケットに手を入れたり)が指先まで美しい
ノブレス・オブリージュ(高貴なものには義務がある)を体現していて、特に1幕最後の行動は父の教えに加えて彼に沁みつくその精神が影響しているのではないかと思われる
長年ミュージカルから遠ざかっていたこともあり、「あさイチ」にてご本人も「歌が一番大変」と言っていたが、明らかにライブでの歌声が年々よくなっていた事実から考えて、このミュージカルが決まる前からボイストレーニングを長期間頑張っていたのであろう、ミュージカル歌唱もここを主戦場としている俳優さん達に交じっても遜色ないレベルまで持ってきていたのは正直驚いたし、特に低音域から中音域の響きがとてもよかった
何より彼の芝居の一番の強みである「思いを声に乗せる」という技術が、ミュージカルでも遺憾なく発揮されていて、ケインのソロ歌唱は勿論、他のデュエット曲でもしっかりケインの思いが伝わってきた
「また会う日まで」は特に洸平くんの得意分野の曲なのではないかと思うが、死への恐れや懐かしい人への思い、大切な人への感謝などが心に染み入るように伝わった
「命ある限り」「今が瀬戸際」や「もううんざり」といった激高したり、激しい感情をうたう歌を聞いたのはCDでの「スリル・ミー」くらいしか記憶にないのだが、びっくりするくらい良くて、高い志を持つ高潔なケインが見せる迷いだったり、人として未熟な部分が見えるのが「人って多面的だよな」と思わせてくれる
(そういえば「放課後カルテ」でも牧野先生の過去パートで激高している演技がとても好きだったので、私にとっては彼の怒りの演技が琴線に触れるのかもしれない)
ケインはアベルとの闘争に否応なしに巻き込まれてしまい、応戦しているうちに愚かにも大切なものをどんどん見失って、最終的に一番大切にしていた「自分の名前のついた銀行」での立場を失ってしまうばかりか、自分の名を継ぐ息子も失ってしまう
彼はそこからの年月をどのような思いで過ごしたのであろうか
対してアベルはポーランドからの移民で野心に満ちた逞しい男
実は優也くんのお芝居は殆ど観たことがなく(映画の「明烏」は観ていた)、今回「ケイン&アベル」を観るにあたり、自宅にある録画したミュージカルの中から「ジャック・ザ・リッパー」を観たのだが、荒くれているのにちょっとの純粋さが見え隠れして、可愛げもあり、凄く好みの歌い方やお芝居をされていて、薄々気が付いていたが、やっぱりこの方いいなと思ったし、今回こうやって洸平くんとガチンコで向き合うミュージカルで共演することになって、洸平くんファンとしても本当に有難かった
(話はずれるが、優也くんのファンの方の「ジャック・ザ・リッパーの再演があるなら洸平さんがダニエルを演じたらよいのでは?」というネット上の発言、わかりすぎるほどわかるその解釈、あまりにも嵌りすぎるから逆にやらないほうが良いのではないかと思うくらい)
「ケイン&アベル」を上演するにあたり、いくつかのインタビューを2人で受けていたが、その中で特に印象的だったのがこちら
https://engekisengen.com/genre/musical/104724/
「感じて返す」は洸平くんのお芝居の芯を表す言葉だと思うが、別の角度から考えるに、投げかけてくれる人の芝居の純度が高ければ高いほど、それを「感じて返す」彼の芝居の精度が上がるのではないかと
実際共演者の演技が凄い時にこそ彼の芝居の本領が発揮されていたように思う
今回の優也くんとの共演は(私にとっては)同じ現象が起こっているように感じる
まさにバディー、相棒!
ラインナップで肩を組みながら捌けていく2人は本当に眩しかった
またの再演、そして共演をお持ちしております