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ビューティーペア 真っ赤な青春

某日。渋谷シネマヴェーラで特集中の「内藤誠レトロスペクティブ」における『ビューティーペア 真赤な青春』を見に行った。

内藤誠監督の代表作は「不良番長」シリーズなどである。その「など」を説明すると、あまりにもマニアックになるのでやめておくが、この人は東映のなかでも深作欣二などのように時代の寵児となった訳でもなく、ひたすらB級・C級プログラム・ピクチャーを作り続けてきた人である。

『ビューティーペア 真赤な青春』は、もちろんあの人気女子プロレスラータッグ・ビューティーペアを主人公にした映画である。製作されたのが77年。俺は6歳の時だったということになるのだが、幼心にあのすさまじいビューティーペア・ブームを覚えているし、大ヒット曲「かけめぐる青春」も当然歌える。

とにかく人が入りそうなら、どんな映画でも作るというところに東映イズムを感じるし、それを臆面もなく撮ってしまう内藤誠監督の才能にも恐れ入る。

ストーリーは一躍人気のビューティーペアと、ヒール役のブラックペアの戦いのなかにビューティーペア、マキ上田・ジャッキー佐藤の二人がなぜ女子プロをめざしたのかという話をインサートしたもの。
しかもビューティーペアのコーチには佐藤允が!試合の模様は本物の映像を使っているので、それなりに迫力がある。

だがブラックペアの凶器攻撃によって、ジャッキーは足を負傷。再起不能とまで言われるが、リベンジを誓う。そのころブラックペアはどっかのビルの屋上で、にんにくの丸焼きを食べスタミナをつけ、目つぶしなどの反則攻撃の訓練に余念がないのであった。

もちろん劇中で「かけめぐる青春」も使用され、ビューティーペア・ブームの最大瞬間風速を見せつける。
最後は見事にビューティーペアが勝利を収め、ちびっ子の声援に応えるのであった。

併映は梅宮辰夫主演の『夜のならず者』(72年)。辰兄の映画は基本的にというか、完全にスケコマシ映画だと思っていい。
はっきり言って大根役者の部類に入る辰兄であるが、スケコマシをやらせたらこの人の右に出る者はいないんじゃないかと思われる。スクリーンにおいて、存分に女を泣かせていた辰兄であるが、この時期は実生活においても相当女をたらしこんでいたと思われる。

バンコクから訳あって数十年ぶりに帰国した辰兄は、さっそく港町横浜にてスケコマシ活動を開始。杉本美樹、渡辺やよいなどの脱ぎ脱ぎ女優を集めては、スナック経営のかたわら売春斡旋活動にもいそしむ。
そんな辰兄に目をつけた安部徹組長は、辰兄のスケコマシ活動を妨害し始める。徹組の客分だった山本轔一は、徹を見限って辰兄と組むことに。

腕っ節よりもペテンの才能に長けている辰兄は、金を貯め込むと活動の拠点を銀座に移しコンサルタント業を開始。整形手術に失敗したホステスたちの代わりに、金をふんだくってやろうと病院に乗り込むと、そこにはまたしてもインチキ医者の小松方正が!

「不良番長」にしても、「だに」、「いろ」、「かも」、「ポルノの帝王」などの作品にしても、辰兄は非情のスケコマシを演じていたが、この作品では珍しく最後は東映方程式によって、義理のため山本轔一と組織に殴り込みをかける。
東映としては梅宮辰夫=スケコマシ役者というイメージを修正したかったのだろうか?しかし一度ついたイメージはそう簡単に払拭できるものではないのであった。

『ビューティーペア 真赤な青春』は、今となってみれば時代の一断面を描いた貴重な作品と言える。そんなたいそうな映画じゃねえか・・・。

そんな内藤誠の映画人生に拍手を。

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