MCバトルにもう一度出たい(2)

前回の話の続きです。
前回の話はこちらから。

2.大阪へ

こうして僕はNSCに35期生として入学するために大阪へ引っ越してきた。
実家で祖母、祖父、母の3人と暮らしていた3階建ての家から、ベランダ無し、ユニットバス、4.5畳のワンルームでの一人暮らしが始まった。
キッチン込みの4.5畳の部屋は布団を敷けば部屋が埋まるほど狭く、家具を置くスペースもなかった。自転車もなく、知り合いも居ない知らない街。やることもないのでとりあえず朝起きたらiPodでヒップホップを聞いていた。

iPodをシャッフル再生しながら、引っ越したばかりの家の周辺を散策していたらRIP SLYMEのOneが流れた。

それぞれひとつのLife それぞれが選んだstyle
それぞれひとつのLife ひとつの愛をyeah yeah
それぞれひとつのLife それぞれが選んだstyle
それぞれひとつのLife ひとつの愛をyeah yeah

RIP SLYME「One」

何百回も聞いている曲なのに、この日は偉く歌詞が刺さった。そしてセンチメンタルな気分がMaxになったとき、NSCの面接のとき以来はじめての難波に到着した。
「大阪でっかー。こんなとこでこれから一人で芸人目指すって、えらいことになったかもしれん」
僕はそんなことを思いながらまたiPodをシャッフル再生してビッグカメラを背にして歩いて帰宅した。
その日の夜、部屋でまたしてもiPodで曲を聞いていた。ノリノリなヒップホップというより、メロウでチル系な曲ばかり聞いていた。
そんなとき一つの結論が出た。

「ホームシックかも。」

はじめての一人での生活、将来に対する不安。胸が痛くなった。
そして大阪に出てきて3日目、母に電話して僕は



愛媛に帰った。


迎えにきた母の車の中で流れていたラジオが、関西の番組から四国の番組に変わった時ホッとした気分になった。
昔母とドライブするとき、ヒップホップを流したい僕と邦楽を聴きたい母とよく喧嘩になっていたが、そのときはラジオから流れていたスピッツが染みた。
愛媛に帰ってきてからも胸が痛みがとれないので病院にいくと、"ストレスによって肺に穴"が空いていた。一人暮らしをはじめてからの最速ホームシック肺気胸だ。
しばし実家で英気を養い、大阪に再び向かった。
もう覚悟が決まった僕は道中の夜行バスで久しぶりにヒップホップを聴くことができた。
これからは大阪で一人で戦うのだ。
メンタルを武装せよ。



3.ラップは聞くだけ

こうして肺の穴が塞がった頃、晴れて大阪NSCに入学した。
ヒップホップの話が出来る同期はおらず、同期にカラオケに誘われるとカラオケで歌えるレパートリーが圧倒的に少ない僕は前の日にミスチルやaikoを聞いて歌える曲を準備してカラオケに参加していた。

その頃は別にヒップホップが好きなことは公言しておらず、息を潜めてヒップホップヘッズをしていた。
好きなラッパーのCDは欠かさず買う。だがパソコンがないのでその度にパソコンを持ってる同期の家に行ってiPodに入れさせてもらっていた。
この時期に出たPUNPEEの2ndMixTape「Movie on the sunday」は本当に傑作だ。
毎日、データなので擦り切れることは絶対にないのだが擦り切れる程に聞きまくった(現在入手不可)

当時の僕はヒップホップの話ができる友達を探す勇気もなかったし、勿論クラブに行く勇気もなかった。
そんな僕ができる最大限の行動といったら毎日必ずアメ村をチャリで横断することだった。
難波と、当時住んでいた九条を往復する間に必ずアメ村を横断して、ヒップホップな空気を味わっていたつもりだった。かといってアメ村を一人で歩く勇気はない。なんと行動力がない男なのだろう。
だが少しずつ大阪に慣れてきたころにはアメ村も歩けるようになり、少ないバイト代だったがアメ村のKing Kongで中古のCDや誰が作ったのかわからないMixテープを買っては家で聴く日々だった。

当時はまるで芸人寮のようなマンションに住んでおり、急に自分の部屋に同じマンションの同期が突撃してくることが多々あった。
僕の部屋の2個隣には九条ジョーが住んでおり、ある日九条が僕の部屋を突撃してきた。
僕はその時UMB2011のDVDを見ており、流れで九条と一緒に見ることになった。

「善家こんなん好きなんや!知らんかった」
「せやねん。おれヒップホップ好きやねん」
ちょっと恥ずかしげに僕は言った。
これがはじめて芸人にヒップホップが好きだと公言した瞬間だった。

そんな日々が続いてNSCも卒業して20歳になった頃、芸歴が一つ上の先輩「しみちゃむ」さんにある誘いをうけた。

「なんか善家ヒップホップ好きらしいやん!今度"実はヒップホップが好き"な同期で集まって、カラオケでひたすら日本語ラップを歌う会するんやけど、善家も来る?」

「!!!!!!!」

いや俺以外にも"実はヒップホップが好き"やけど公言できてなかった人たちおるんかい。

「はい!行きます!」

僕は二つ返事で行く約束をした。
「やっと大阪でヒップホップの話ができる」
僕は楽しみでたまらなかった。

そしてその当日、バイトで遅れて参加になった僕は"実はヒップホップが好き"な先輩たちのいるカラオケの部屋のドアを開けた。
そのとき数年ぶりに"部活の試合の日の朝の空気"の匂いがした。
折角こんな楽しい集まりに呼んでもらえたのだ。
「何かひとつカマしたいな。」

ちょうど部屋に入ったタイミングはRhymesterのB-BOYイズムの曲がスタートするところだった。

「お!善家来たやん!いきなりB-BOYイズム歌っとく?!」
僕はマイクを渡された。僕はマイクを受け取り、B-BOYイズムのトラックの上で大きく息を吸ってラップした。

「俺が善家35期、このフリースタイルは最終奥義、………俺のレペゼンはカスタネット、覚えとけZenkeのアルファベット」

何かカマしたかった僕は、思い切って自己紹介のフリースタイルをした。
約2年振り、そして大阪で初めてフリースタイルをした瞬間だった。

「ええ?!フリースタイルしてるやん!!」

今までの鬱憤を晴らすかのように僕は夢中でラップをした。
久々に大好きなラップができて、何か憑き物がとれたかのように気持ちは晴れやかだった。

そしてこの日から僕はラップをはじめることになる。

つづく。


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