ZAZA閉館で振り返る自分史(1)
2024年5月6日、道頓堀ZAZAが閉館した。
ZAZAは大阪のお笑いシーンにおいてほとんどの芸人が立ったであろう舞台であり、ZAZAで見たライブがきっかけでお笑いファンになった方々も少なくはないであろう。
「大阪で芸人やってます!」
「あ、じゃあZAZAとか出てるの?」
「ZAZA??それ何ですか?」
「君、ほんまに芸人か?」
となるレベルで数多くの芸人がお世話になった場所である。
道頓堀ZAZAには二つの会場があり、キャパ150くらいのZAZA HOUSEと、キャパ80くらいのZAZA Pocket'sから構成されている。(一瞬ZAZA BOXという会場もあった)
僕は2013年にデビューで、デビューして初めて出たライブはZAZA POCKET'Sでの「煌Lesson」だった。
そして2020年1月、ZAZA BOXでの「UP TO YOU!」を最後に前のコンビを解散。
閉館前最後にZAZAに出たのは先日4/28にZAZA HOUSEで開催した「茜250ccコント単独」だった。
僕の芸人としての歴史はZAZAから始まり、今後も移転したZAZAで歴史は紡がれていくだろう。
つまり、僕が自分の芸人史を語るとしたら"ZAZA"は外せない存在なのだ。
この機会に、道頓堀ZAZAでの思い出から自分の芸人史を振り返ってみようと思う。
なぜこれを書こうと思ったのか。
最近30歳になったのだが、昔のことをよく思い出せないことが増えてきた。
同期と昔話をしていても
「2年目の時、虫のコントしてた同期のコンビなんて名前やったっけ?」
「あー、あのでかいやつとメガネのやつのコンビやんな!」
「そうそう!なんってコンビやっけ!」
「うーん、なんやっけなあ」
「うーん・・・思い出せない・・・」
こうなると
悲しい。
不思議と10代の頃の記憶は今でも目をつぶればあの時の情景が鮮明に思い出せたりするのに、どうやら大人になってからの記憶は記録していないと忘れてしまうらしい。
逆に、
「最近写真フォルダ整理してたら、昔のバトルライブの順位表出てきてん」
「え、見せて!わーこの頃こいつとこいつ組んでたなぁ!うわ、俺めっちゃ順位低いやん!」
こんなのは
すっごく楽しい。
これは完全に僕の癖(へき)の話なのだが、僕はお酒を飲んでいるときに昔の写真や動画を見るのがすごく好きだ。アニメや動画、音楽も良いのだが昔の記憶というのはそのときの感情があって、加えて今の自分が思う感情、いろいろなものが混じり合って最高の酒の肴になる。こうやってどんどんおじさんになっていくのだろうが、決して昔の自慢話を若い子にするような典型的なおじさんではなく、一人で感傷にふけるのがすごく好きだ。(僕は友達がいないので)
それでも写真や動画の記録と違って記憶というのは失われていく。
もし僕が何10年後にZAZAの思い出をアテにお酒を飲もうとしたとき、何も思い出せなかったら。
とっても悲しい。
だから忘れてしまう前に記録に残そうと思う。
つまり今から書いていく文章は僕の記録作業であり、完全に自己満に過ぎない。
でももし少しでも興味を持ってくれた方がいたら、もし一緒に思い出トラベルをしてくれる方がいたら、長くなりますがお付き合いして欲しいです。
そしていつか、この文章が誰かの酒の肴になれば嬉しいです。
長々と承認欲求強め自己満おじさんの弁明を書きましたが、それでは本編を書こうと思います。
①NSC時代
僕が初めてZAZAの舞台に立ったのはNSCの現役生イベントでHOUSEだった。
大ライブを控えた冬の日だったと思う。
「大ライブ対策ライブ」みたいな名目のライブで(確かリボルバーみたいなライブ名だっと思う)僕は「らんま」というコンビでこのライブに出演予定だった。
開演前の入り時間に出演予定の現役生は客席に集められていた。しかし待てど暮らせど僕の相方が来ない。結局入り時間になっても相方は現れなかった。
「善家ー。相方来てないからもう帰ってー。」
NSCの社員からそう告げられた。
「いや、もう少し待ったら来ると思うんで!」
「あかんー。今日お前は出演なし。あとCクラスに降格な。」
当時のNSCは時間通りに来なければその後来ても授業、イベントには出られない。そして選抜クラスのものは即降格、それが続けばクビ、というルールだった。
なので相方が来なかった僕も帰らされることになった。
当時はまだ人前で漫才をすることがほとんどないのでファンは勿論0人。それでも手売りチケットはあったからバイト先の人が買ってくれて来てくれることになっていた。
でも僕の出演はなくなってしまった。
「相方何してんねん。最悪や。」
そう呟いてリュックを背負って帰ろうとしていたところ、バーンとドアが開いた。
「すみません!今つきました!!」
相方が到着した。それでも社員さんは
「あかーん。入り時間すぎてる。お前ら帰れ。」
ギリギリ間に合ったかのようだったが、虚しく帰宅命令が出された。
「すみませんでした。お疲れ様でした。」
そう言い残して帰ろうとしたその時。
「わたしの時計ではまだ間に合ってるけど?」
NSCのチーフ女性社員さんがそう言った。
「いや、でももう時間過ぎてますんで、らんまは今日出演なしということで」
「聞こえてなかった?わたしの時計では今ちょうど入り時間になったところなの。つまり間に合ってるの。らんま、今日出ていいから。次からはもっと早めに来なさい」
女神が降臨した。
女神の一声でライブに出れることになったのだ。
「ありがとうございます!」
僕たちが深々とお辞儀をしたところで点呼が始まった。
「お前何してんねん、来るの遅いねん」
「ごめんごめん。朝までカラオケしててさ」
「はぁ?」
演者点呼の中、小声で言い合いしていると女神が横に来て、
「君たちには期待してるから。今日頑張りなさい。」
そう耳打ちされた。
「あ、ありがとうございます!」
こうしてなんとか僕は初めてのZAZA HOUSEの舞台に出ることができた。
ここまでの話だと超絶主人公ムーブを起こしているが、結局その日はやや滑り。というなんとも言えないオチで初HOUSEの出番を終えた。
(後の大ライブ予選敗退。コンビ解散。Cクラス降格。)
これが初めてのZAZA HOUSE。
それから1ヶ月後ぐらい。
周りの同期が卒業公演に向けてネタ見せやネタ合わせの熱が帯びている頃、コンビを解散し卒業公演の出演もなくなった僕は猛烈に暇だった。
そんなときNSC事務所に呼び出された。
「今度ZAZAでお芝居のイベントあるらしくて、そのオーディションに応募しといたから受けてきて。」
何をして良いのかわからない状態だった僕にはありがたすぎる話だったのでオーディションを受けて、なんとか合格。
それから何週間か稽古をして、お芝居中のダンスとちょい役の出番を頂いて出演した。
これが2回目のZAZAだった。
話は逸れるが、この稽古で使っていた場所は今たくさんの芸人や僕たちもYouTube撮影等で使っている吉本本館。初本館デビューでもあった。
いまでも本館の大きな部屋に入ると「昔ここで稽古したなあ」とたまに思う。
共演したみなさん、元気でしょうか。
またいつかどこかで会いたいです!
そうして卒業公演も終わり、入学時は600人以上いたNSC35期生だったが最終的に200人ぐらいが卒業した。
これからはプロとしてデビューすることになる。
1年目の僕たちが最初に出る舞台は、ZAZA pocket'sで開催される「煌Audition予選」と「煌Lesson」だ。
②デビュー。1年目。
コンビ解散後、何人かとコンビを組むか組まないかみたいな話もあったが結局ピン芸人のまま4月を迎えた。
まず最初に出れる舞台は前途の煌Audition予選と煌Lessonだ。このライブの説明をすると、5UPよしもと(現よしもと漫才劇場)に所属する為のオーディションライブ(煌Audition予選)と、オーディションではないネタ強化ライブ(煌Lesson)だ。まあ今でいうUP TO YOUとMEKKEMONだ。
ただ今のシステムと違うのがこの煌Audition予選はネタ尺が2分で、ネタが面白くないと判断されるとネタが強制終了されてしまう。(どないやねん)
明るくネタをしていてもウケてなければ(ときにはウケていても)デーデーンというこの世の終わりみたいな低い音が流されて暗転。そして次のコンビが出てくるための出囃子が流れる。暗転中にありがとうございました、とだけ言ってハケる。強制終了。
ただ最後までネタをやり切れても合格というわけではなく、最後までネタをやり切れた中から合格が数組選ばれる。最後までネタがやり切れた人は仮合格と呼ばれ、その中から本合格が選ばれる形だ。本合格は日によっては1組だけの日もあるし、4組の日もある。合格者なしの日もある。(どないやねん)なんなら、1組も仮合格すらせず、全組強制終了で終わることもある(どないやねんどないやねん)
それで本合格したメンバーたちが、劇場のバトル下位メンバーとバトルして、10位以内に入れば無事劇場所属。という流れだ。今でいうUTY合格→翔チャレバトみたいなものだ。
このルールを聞いた時真っ先に思ったのは
出るの怖すぎる。
1年間NSCで腕を磨き夢を見て、これから憧れの芸人としてデビューしていきなり強制終了なんてされたら今までの全てが否定された感覚になるのではないか?
1回ならまだしも、何回も何回も強制終了されたとき果たして自分のメンタルは正常でいれるのだろうか?
そもそもピン芸人としてのネタなんてR-1用に作った数本しかないし、そのR-1も2回戦にて小麦粉を10キロ使ったコントを披露し(?)敗退していた。
自分の気持ちと何度も相談した結果。
4月は煌Audition予選エントリーせず。
強制終了のない煌Lessonのみエントリーし、Audition予選からは逃げた。
4月はとりあえずAudition予選はお客さんとして見に行くことにした。
そして初めて入ったZAZA Pocket`s、僕は客として訪れていた。
印象に残っているのは、たくさんの芸人が強制終了されていく中、もう解散してしまったが34期を主席で卒業した”えんぴつ消しゴム”さんが圧巻のウケで最後までネタをやり切ったこと。奥村さん(現:あずき坊主)の「もうええわ、どうもありがとうございました」のときのお辞儀が地面に頭が着くのじゃないかぐらい深く、長かったこと。その時は「礼儀正しい!カッコええ!」と思ったのだが次のコンビの出囃子がなっているのにまだお辞儀をしていたので「はよハケろよ」と思ったこと。
結局えんぴつ消しゴムさんはイチウケで本合格した。
数日語、僕は強制終了のない煌Lessonに出演するため初めて演者としてZAZA Pocket`sを訪れていた。これが初めてのポケッツ。
ピンネタなんて前途の通り全く持ってなかったので、とりあえず漫談をした。
これが僕の芸人としてのデビュー。
僕の初舞台はポケッツだった。
初めての漫談にしてはなんとなくウケた気がしたので、次の月からはAudition予選にエントリーすることにした。
③ピン芸人としての1年
初舞台が思いの外良い出来だったのでAudition予選にエントリーした単純な性格の僕だったが合格する自信なんて1mmもなかったので、とりあえずの目標はまず仮合格することだった。
Lessonのときの感じだと、どうしても後半失速してそこで強制終了されてしまいそうだったので頭を悩ませていた。
そしてAudition予選前日。結局打開策を見出せなかった僕は100円ショップに行き何とかなるものはないのか探し回り、最終的に”カスタネット”を購入。
購入こそしたものの、何の案もないので深夜までカスタネットと睨めっこ。
そして0時を回る頃。
「よし。漫談の前半はウケそうやから最初はそのまんまで、後半はその話をカスタネットの音色に例えて説明しよう」
????
今考えると全く意味のわからない台本を完成させて、カスタネットだけを持って家を出て高速道路の高架下でひたすらカスタネットを叩いた。
そして本番当日。
ポケッツの楽屋は3組もコンビが入るとぎゅうぎゅうになるくらい狭く、オーディションの演者は30組近くいるため演者は非常階段に並ばされていた。出番順に並ばされて、出番の3つ前になると袖に呼ばれる。
ついさっき袖に向ったばかりのコンビがすぐに戻ってくると「ああ、強制終了されたんだなあ」と悟る。逆にほくほくした顔で帰ってきたコンビを見ると「仮合格したんだなあ」と思う。そうして順番を待って、遂に僕の出番が来た。
前途の通り最初は普通の漫談パート。ここは計算よりややウケは弱かったが、なんとか強制終了されることなく出来た。
そして問題のカスタネットパート突入。
「えーじゃあ今から!僕今日カスタネット持ってきましたので、さっき話したことをカスタネットの音色に例えて説明しますね!」
客。絵に描いたようなポカン顔。
「(やばい。絶対強制終了される。)」
強制終了の音が鳴るのではないかという恐怖の中、咄嗟に口から言葉が出た。
「え、みんな世界観ついてきてる?」
するとそこが大きくウケてくれた。
「(耐えたーーー。このまま逃げ切らせてーー)」
そこからは無我夢中で練習した通りカスタネットを叩いて喋って、なんとか2分間やり遂げることができた。
「どうも、ありがとうございましたー!」
こうして僕の初オーディションはなんとか仮合格で終えることができた。
ネタを終えて階段で結果を待つ。
「本日の合格は◯◯さんでーす!舞台上にお願いします!」
スタッフさんが階段に結果を伝えにくる。受かったコンビは「よっしゃあ!」と声を荒げ階段を降りていく。残されたメンバーは全員敗者なので、なんとも言えない空気の中着替えを始める。
僕の初オーディションは仮合格できたものの、合格ならずだった。
でもそもそも今回の目標は仮合格だったので達成感はあった。
そして合格者も発表された公演終了後。演者はまた最初の階段に並ばされ、審査員の作家さんからダメ出しを受ける。
全員が階段で着替えて、ネタで汗だくになり、結果を待つ間に緊張の汗もかいたその階段は野球部の部室のような匂いで毎回充満していた。
当然階段にエアコンはないので夏は地獄のような暑さと匂いだった。
初オーディションを終えた僕が作家さんから受けたダメ出しはというと
「もう最初から最後まで全部カスタネットで漫談すれば?」
「はあ。そうしてみます。」
こうして
カスタネット漫談(?)爆誕。
そこから僕はカスタネット漫談ピン芸人として戦っていくことになるのだった。
こうして僕はピン芸人としてZAZAでオーディションを戦っていくことになる。
今思えば最初あれだけビビっていたが、それからの煌Audition予選で僕は1回も強制終了されることはなかった。
これは誇れることでもあるのだが、裏を返すと一生オーディションを受け続けていたということになる。
オーディションに合格してなんとか劇場メンバーになりたい僕は、ZAZAで開催されている昼寄席に出演してネタを磨いていくことになる。
つづく。
(めちゃくちゃ長い文になりましたが、最初に書いた通り若い頃の記憶の方が鮮明だからです。ここからはスピーディーに完結すると思います。)
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