【夢の合作】藤子F不二雄と手塚治虫奇跡のコラボ作!実写ドラマにもなった伝説の「ピロンの秘密」
今回は知る人ぞ知る藤子F先生との合作
「ピロンの秘密」をお届けいたします。
これ、はっきり言って知ってる人少ないと思います。
手塚ファンでもあまり詳しくない人多い作品なんじゃないでしょうか。
しかし
あまり有名ではないのにお宝的作品、それが「ピロンの秘密」であります
なぜならなんとあの藤子F不二雄先生と手塚治虫との夢の合作が本作なのであります。
今回はそんな奇跡のコラボ作品をご紹介していきますので
ぜひ最後までご覧になってください。
それでは本編行ってみましょう
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本編の前に
今回の記事はnoteの「藤子Fノート」さんとの共同企画でありまして
「なんかコラボできないっすかね?」って問いかけたところ
「お互い「ピロンちゃん」レビューしましょう。」って
返事が来ましてそれに基づく作品紹介になっております。
…てなわけで非常にマニアックでしょ。
知ってます? ピロンちゃん。
マジであんまり知られていない作品だと思います。
ボクも正直あまり深くは知りませんでしたし
今回改めて調べた作品でもあります。
さすが「藤子Fノート」さんチョイス。
「藤子Fノート」さんってサイト見てもらえれば分かるんですけどマニアックなんですよ。なんせゴリゴリに「藤子F先生」の事だけを紹介している変態ですからね。
ボクも人の事言えた柄じゃないですけど、
まぁかなりのド変態だと思います(笑)
ボクの好きな藤子作品「シルバークロス」とか「魔太郎が来る」とか「まんが道」とかの紹介してくれないんですよ。だってF専門ですから(笑)
めちゃくちゃ尖がってるんでぜひ一度ご覧になってみてください。
という訳でそんな「藤子Fノート」さんからのコラボ企画という事で
「ピロンの秘密」ご紹介していきます。
本作は
1960年の10月から-1961年の3月まで小学館の学習雑誌「小学四年生」に
そして1961年4月から1961年7月まで「小学五年生」に連載された作品です。
そしてこの、「ピロンの秘密」はTVドラマ化もされておりまして
1960年8月から1961年4月まで日本テレビで全234回放映されました。
234回って多くない?って思いますよね。
そうなんです。
毎週月曜~土曜日の午後6時00分~6時15分の間放送していたんです。
15分とは言えほぼ毎日ですからね。すごいですよね。
おそらくですけどこの流れがNHKに飛び火して
1964年に同じく毎日夕方15分枠で「ひょっこりひょうたん島」という人形劇がスタートしたんじゃないかなぁ。
(訂正:どうやら「チロリン村とくるみの木」という人形劇だそうです)
続く1979年にも同じスタイルで「プリンプリン物語」がスタートしておりめちゃくちゃ人気ありました。
当時のお茶の間の夕方のTVは「相撲」か「人形劇」かという人気ぶり
ちょっと言い過ぎかも知れませんけれども…(笑)その時間帯はまぁボクも見てましたね。
さて話を戻しまして…
この「ピロンの秘密」は放送の時系列を見てもらえれば分かりますが
TVドラマが先行しまして同時並行でマンガが連載されていました。
この実写ドラマのピロンがなかなかの衝撃作で「ミラ」って言う
護衛のロボット、女ターミネーターみたいなキャラがいるんですけど
これがピタピタの全身タイツのお姉さんなんです。
どう見積もってもロボットじゃないんです(笑)
アトムの実写もかなりのえげつなさでしたけど
これもなかなかに刺激的です。
いやね、60年以上も前なんでね、しょうがないんですけど案の定、男の子の間では、このお姉さんの事がちょっとざわざわしちゃうんですね。
メンコも流行ったそうでこのピタピタお姉さんのメンコが人気になります。
ボクはリアルタイム世代じゃないけどなんか分かる気がするなぁ
ちなみにこの実写の再放送についてはフィルムが残っていないそうで
再販及びその類のものはもはや絶望的と言われております。
ですがyoutubeで主題歌と一部切り抜き画像見つけましたので貼っておきます懐かしさに浸ってみてください。
…で今回の本番はここから。
実はこのTV放映と原作マンガ連載の同時期
1960年9月から「ピロンの秘密」の幼年向け漫画として
小学館雑誌「幼稚園」にて、なんと「ピロンちゃん」なるマンガがスタートします。
もはや超カオスなピロンだらけのピロン祭りが展開するわけでありますが
しかも、なんとなんと連載第2回目以降は
あの藤子・F・不二雄(連載当時は藤子不二雄)が連載を引き継いでおります。
なんと豪華な夢のタッグマッチでありましょうか。
初回のみ手塚治虫の作品で2回目以降は藤子F先生の作品になるという
もはや意味不明の非常に珍しい形態の作品が誕生するわけであります。
今では浮世離れした現象ですが、当時の藤子先生は1964年にオバQを
ヒットさせるまではさほど忙しくなかったので
「アザース!」みたいな感じだったんじゃないかと思われます。
2話目以降の「ピロンちゃん」については「藤子Fノート」さんの方に
事細かく解説されておりますのでぜひご覧くださいまし。
この「ピロンちゃん」については初回の1話のみですが
「手塚治虫マンガ全集未収録作品集②」に収録されております。
さぁこのピロンちゃんですが幼児向けマンガと言うだけあって
超シンプルなベタベタの王道児童マンガの神髄を味わえます。
それもそのはずこの時期はまだ大人マンガも青年漫画も描いていません。
…というよりそんなジャンルすらない。
いや劇画がちょうど出来上がったくらいの時期ですかね。
少年誌が漫画界の王道ど真ん中の立ち位置であり子供マンガのテレビ化が盛んになってきた頃であります。
手塚先生自身も医学博士になって虫プロの動画部を創設して長者番付の画家、漫画化部門でトップに立った頂点の時期の作品です。
まさに時代のトップを走るペンタッチは軽快そのもの、軽やかに滑るような曲線美はまさに多くの漫画家たちが憧れた手塚タッチ全開の時期です。
これを見てるとある意味、引き継げるのは藤子不二雄先生なんだろうなという気もしますね。
あと横山光輝先生ですかね。
横山光輝先生は以前にも1955年と56年に手塚先生との合作『黄金都市』と『仮面の冒険児』も描いていますし
「美土路沼事件の巻」もアシスタントとして手伝っていました
最初の方の『黄金都市』なんか著作のクレジットがなかったら
誰も横山光輝が書いているなんて思わないくらい手塚タッチですからね
振り返ってみると横山先生も結構描いてましたね。
でも手伝った翌年の1956年から『鉄人28号』の連載をスタートさせ忙しくなっているんでやっぱり藤子不二雄先生がベストだったんでしょうね。
今にして思えば非常に豪華なリレーです。
この後の「ピロンちゃん」は原作の手塚作品をベースとしながらも
藤子F先生の世界観が強くなっていき、
…というか藤子バージョンの方がいいです。
すでにこの頃からF先生の児童マンガにおける才能の片鱗を見せつけていると言えますね。
手塚先生は第一人者ではあるんですがどこかトリッキーなところもあるし
そもそも一つのところにとどまっておくことのできない人でありますから
藤子F先生の児童マンガと比べてしまうとやはりF先生の方が質の多さを感じてしまいますね。
なのでこれは手塚治虫原作としてじゃなく
ある意味で「藤子先生」の作品として見た方がしっくりくると思います。
一方手塚先生が書いた「ピロンの秘密」ですが
可もなく不可もなくといったところですかね。
TVドラマ先行に描かれた原作、あまり手塚色の強くない作品という感じがボクはしています。なぜなら「ピロンの秘密」は講談社の手塚治虫漫画全集で初めて単行本化になった作品で、しかもロットナンバーが300巻以降、
つまり先生の死後発刊されたものですから先生自身もそこまでの思い入れがなかったんじゃないかなと推測しております。
というわけで今回は藤子F先生との奇跡の合作「ピロンの秘密」お届けいたしました。
改めて振り返ってみると当時の漫画家さんたちって結構横のつながりがあったように思います。
今のようにすべてシステム化されていないだけにハプニングがチャンスになったり仲間やライバルの存在が今よりもすごく身近な存在であったという感じがしました。
それらの活性化によって今日のマンガ文化の発展に繋がっていったのだと思います。
最後までご覧くださりありがとうございます。