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【手塚治虫漫画全集】全巻紹介 第4弾!101巻~130巻編

手塚治虫と言えば
ギネスブックにも載るほど膨大な数の作品を残している作家であります。
だから「名前は知っているけど何を読んでいいのか分からない」と言う方も多いと思いますし、ファンの方でも全部読んでいる方は少ないと思います。
そこでこの【note】では講談社発行の手塚治虫漫画全集をベースに
手塚作品をガイド的に紹介しています。

手塚治虫漫画全集は全400巻あり、今回はその第4弾!

101巻~130巻までのご紹介となります。
それでは本編をお楽しみください。


「三つ目がとおる」

1974年作
有名すぎる手塚治虫の代表作のひとつです
古代に高度な文明を誇りながらもなぜか跡形もなく滅んだ三つ目族の末裔
写楽保介が、古代史にまつわる難事件に立ち向かう、ミステリータッチのSF

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いつも額に大きなバンソウコウを貼っているんですが
これは恐ろしい超能力を封印するためであり
ひとたびバンソウコウがはがれると、その下から第三の目があらわれて、
たちまち、恐ろしい超能力を発揮する悪魔のような三つ目人になる

普段はどうしようもない、何にもできないカワイイ少年なんだけど
三つ目が姿を現すと、とんでもない残虐な少年になるという
この手の人格が変わる設定は今では当たり前ですけど
これはその先駆けと言える作品とも言えます

そして何より相方に和登さんって美人がいつも隣にいるんですけど
この和登さんとのツンデレ加減が本作の醍醐味、見どころといっても過言ではないくらいのコンビネーションです。

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和登さんって
美人で、喧嘩も強くて、面倒見がいい女性なんですけど
面倒見が良すぎて
なんと
風呂嫌いの写楽を、よくお風呂にいれてあげてます(笑)
言っておきますけど同級生ですからね、
もう一人で洗えないの?って言いながら
恥ずかしがりながらもチンチンを洗ってあげる和登さんはエロいです!

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こういうのもさらっと描いてるんですけど
現代なら間違いなくバズる設定ですね。

本当ツンデレの最強版みたいな世界観です

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       (フィギュアになるくらいお決まりのシーン)
三つ目がとおるは元々は読み切りでありましたが、評判がよくて何回かのシリーズになって、ついに週刊連載になった作品なんですね
だから一回限りのインパクトを残すために
こういう突飛な設定にしたらしいです。

そして写楽のデザインはルーニー・テューンズに登場する架空のウサギ、バッグスバニーがモデルらしいですが、これに決まるまで随分といろんな候補イラストが残っています。
一節にはアシスタントのおばちゃんが「ダサイっ」て他の候補をボツにしたために現在のデザインになったなんて噂もありますけど、最終的には今のデザインがベストでカワイイデザインになっていると思います。
(ほかのデザインは確かにダサかった…)

そして
写楽の名前の由来はシャーロックホームズ、
和登さんは相棒のワトソンから来ています。

本作は古代三つ目族とSF要素と、凸凹コンビ設定が上手くマッチングした
手塚後期のヒット作になりましたが
しかし、まぁなんとあっけない終わり方(笑)
終わったのか終わってないのか分からないラスト。
今、「醜い最終回」みたいなまとめサイトあるじゃないですか。
当時これがあったら間違いなくランキングされているラストです。
手塚先生自身も続きが書きたいと仰っていましたが
ついにその夢叶わずでしたね…。残念です。



「タイガーブックス」

1974年作
正式には「タイガーブックス」というシリーズは、手塚作品の中にはありません。短編を集めるために、仮につけた全集用の名前であります。
このタイトルは「ライオンブックス」になぞらえてつけましたと手塚先生本人が明かしています。

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この短編について先生はこう言っています

「主として人情劇というか、センチメンタルな内容のものが多く、
動物を扱ったファンタスティックな作品が主体になりました。
手塚にもこんな一面があったのかと評価してくだされば幸いです。」

主に動物を主題にした短編集ですね

島の動物たちが乱開発と環境破壊に立ち向かう「タイガーランド」ほか、
動物を主題にした物語を集めた「タイガーブックス」シリーズ。
長短編併せて5話収録で作品は73年から75年初出。 

時代背景として日本列島改造論に沸き立っている時で
環境破壊が社会問題になっていた時代ですから人間による環境破壊をあえて動物の視点から描いた描いたのではないかと思います。
このシリーズでは
『タイガーランド』『ぬし』がおすすめ
『雨ふり小僧』は宮崎駿先生の「となりのトトロ」の
元ネタになったのでは?とも言われている作品です。


ちなみにタイガーランドに出てくるお姉ちゃんは和登さんです

あの「ブラックジャックによろしく」の作者佐藤秀峰先生も僕の好きな漫画として「タイガーブックス」を挙げています。
素晴らしいコメントを残しておられますのでぜひ覗いてその魅力を感じ取ってもらえればと思います。リンク貼っておきますのでぜひ!



「マアチャンの日記帳」


1946年手塚治虫先生のデビュー作です。
大阪毎日新聞の小学生版にあたる『少國民新聞』に連載された作品。
読み切り4コママンガとして73回連載されました。

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この時手塚治虫わずか17歳

大阪の新聞なので当然、日本全国というわけにはいかず一部地方の人しか
この作品を読むことができませんでした。所詮新聞ですから限られた地域しか読むことができないのが普通ですが…
当時は北は富山県・石川県まで南は四国全県まで配架されていたそうです。

富山県高岡でこの作品を見た当時小学生高学年だった少年は
その絵の新鮮さに多大な影響を受け、手塚治虫の大ファンになると
後に同じ「毎日小学生新聞」にて「天使の玉ちゃん」でデビューを飾ります。

これが後の藤子不二雄先生なんです。

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もし富山県までこの新聞が届いていなかったら…?
ドラえもんは誕生しなかったかも知れませんね


講談社版手塚治虫全集に収録されているのは、
1947年に『マアチャントンチャン』として単行本化され
全編新たに描き下ろされたもので連載時とは違う話もあります。
手塚先生自身の著書『ぼくはマンガ家』などで比較的多くを語っておりますのでそちらも見て見ると良いかと思います

そしてその興奮はもちろんこの漫画でチェックです!


「ロストワールド」


手塚SF3部作の第一作目!
この草案が手塚治虫の頭の中にあったのはなんと第二次世界大戦中!
大学ノートに書き綴っていた時にはまだマンガという概念が確立されていない時代でもありイラストや絵描きといったものでさえ戦時中は批難の的にされる時代背景でした。それでも絵が書きたくてしょうがない手塚少年にとってこの時期というのは暗く絶望的な少年時代だったと言います。

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戦争が終わると抑圧されていた情熱がはじけ飛ぶように描き込んだそうです
小説と映画と音楽と宝塚の舞台を心から愛していた手塚少年が
その思いのたけを描き込んでいった表現の一つとして選んだのがマンガ

その新しい表現形態は初めて中央のメジャーカルチャーとして
今日の文化の発明として大衆文化に溶け込んでいくんです。


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こんな話があります。

ある外国人記者が日本人記者にこんな質問をしました。



「日本人はなぜこんなにマンガが好きなのか?」


日本人記者の返答は簡潔明瞭だったそうです。

「日本には手塚治虫がいたからだ」 と。


日本漫画の歴史はここから始まったと言っても決して
大袈裟な話ではないと思います。

今回はここまで

次回第5弾はこちらです


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