俺のセリクラ
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*** 2008年9月15日リーマンショックから11年 ***
当時の現場のトレーディングの雰囲気が伝われば嬉しいです☆
まず、DF の自己紹介をさせてください。これは昨年の、日経 Quick の記事。ここに経歴等、全て載っていますので是非一度、目を通して頂けると幸いです。
それでは当時の思い出話をしたいと思います。
2008年リーマンショック頃の話
このチャートの大底は 1y EURUSD 通貨スワップ、DFの一撃で、世界最大の通貨スワップ市場 "EURUSD" の歴史上まだ破られていない最安値。当時はブルームバーグにも、ロイターにも、新聞にも連日取り上げられ、この日、世界が動きました。
セリクラ
人はそう呼びます。
当時、ロンドンのドイツ銀行で債券為替トレーダーだった DF は、同僚達とリーマンショックの真っ只中にいました。銀行全体の資金繰りにも関わる DF が所属していた通貨スワップトレーディングデスクにはリーマン・ブラザーズ倒産するだろうと、うっすらとした情報は入ってました。当時、欧州最大と言われたドイツ銀行にもその波は押し寄せ、どこの銀行もドル資金調達に大変な苦労をしていたのを覚えています。
リーマンショック後のある日、当時の債券トレーディング部のグローバルヘッドが、ふらっと、うちのデスクまで来て
「DF, 1y のユーロドルベーシスって今、どの辺りかな」
彼は対ユーロでドルの調達コストがどの位か聞いて来たのです。ユーロ資金は潤沢に保有しているが、うちはドル資金に困っているとすぐに察しました。気配値の立たない中、スクリーンは -40 を指していたので、そこが現在直近取引されたレベル。DF は直ぐにブローカーにプライスを聞きましたが出てきたブライスは
-80
リーマンショック時のミッドプライスなんてあってないようなもの。2007年の欧州信用危機までは、価格スプレッドはほぼゼロレベルでした。
「打ってくれ、いくらまで行ける?」
マジか?-80 叩くのは流石にヤバいだろ… と耳を疑いましたが、落ち着いて 100mil USD 決め。焦る感じがバレると次のプライスが出て来ません。
No report
これはブローカー経由でトレードした時に、そのトレードを当事者のみ(買い方、売り方、担当ブローカー)だけで収めておく事。他の市場参加者には報告されない、という事になります。
DFはグローバルヘッドに
「トータルサイズは?」
と聞くと
「できるだけいくらでもいい、任せるよ、DF」
と。
DF は当時の一番の腕利きブローカーに訳を話し、
「とりあえず、相手を集め、量を確保してくれ。俺が両サイドおいて 2way でマーケットメイクするから」
と言い、次の bid(買い)を、誘うため、DF も -80 offered on / -110 のサポートビッド(買い)をサイズスモールで両サイド 2way のマーケットメイクして、インサイド(それよりもいいプライス)を待ちます。通常の市場なら、-94.75 / -95.25 で作れるので、いかに異常な市場だったかという事になります。
そして出てきた、次のプライスは、
-110 join bid
誰かが、DF の 買いを誘うためだけの bid(買い)のレベルに合わせて、買いを入れてきたのです。
その時、DF が思っていたのは、
インサイド(それよりもいいプライス)はきっと無い、他行もおかしいと思い売りに来るだろう、No report だったとしても、もう既に市場にはバレている
と。
一呼吸おき、-110 の bid を打ち返すと、その瞬間に他行のトレーダーの声がブローカーのラインから…
「Yours」
怒号の様な叫び声が、ブローカーのボイスラインから漏れてきます。
想定通り、他行も同時に -110 bid(買い)を打ってきました。
Yours とは、bid - 買い を打つ(Hit)、その買いはあなたのものという業界の表現で、Yours とトレーダーはボイスで叫びます。逆は Mine。Offer - 売りを取る(Take)、その売りは自分のものなので、Mine。
当然ブローカーは俺を逃し、-110 join bid(買い)を全て DF の売りにつけてくれます。この時入ったのが2行で 150mil USD。
そうなると市場は -110 offered on, no bid。市場は -110 の売り続き、買いは全く出てこない状態です。
時を待ち、最後に出てきたのが
-130
買い方向の相手側のトータルサイズを確認し、有無を言わさず、確実に決めに行きました。結果、-130 で 3行で 250mil USD 決め。トータル 500mil USD で一旦終了。当時の為替で500億円程。こんな少額しか約定しなかったのにここまで価格が下がりこのチャートの大底が作られました。
通常の市場では 100mil EUR (100億円相当)が
最低取引額
なので、いかに流動性がなかったかお分かりになっていただける事でしょう。
その日はその後、気配だけが戻します。それは、デイリーのマーク(時価評価)見合いの為でしょう。しかし次の日から、今度は他行も bid(買い)を叩く叩く。うちのデスクも数日間は、ある bid(買い)を叩きに行ったのを覚えています。あの時は、米系とその他で運命が別れました(米系はドルキャッシュを持っているから)。ある邦銀なんかは、ドルキャッシュが欲しいがあまりに、米地銀を買収する、そんな話でさえ出てくるような時代でした。
CME は、リーマンブラザーズ級の投資銀行が倒産し、この様な非常事態が起きた時、クリアリングハウスに残ったポジションの整理を常に想定してます。後に、DF は CME から円金利代表に選ばれ、数カ月に一度、ロンドン CME に出向きます。各通貨金利選出代表のトレーダー、NY CME とも連携し、クリアリングハウスに集まったとてつもないポジションのヘッジを、本番さながら予行演習していました。勿論、今でもまだ続いている事でしょう。
もう長い月日が経ちます。世界の経済が持ち直して来ている感じに見られている、ここ直近ですが、それは公的セクターの金融緩和政策の下支えがあっての事。もし、いつか弾けたらリーマンショックのレベルではないという事を頭の片隅に入れていただければ幸いです。
あれからもう11年。最近は当時の元同僚達がドイツ銀行ロンドンに出戻りしています。DF も少し前からヘッドハンター経由で柔らかく
DF、どう、ドイチェ?
と声をかけられたりします。昔の優秀な元同僚達が一斉に戻るなら、こんな思い出話をしながら、昔と同じオフィスでまた一緒にトレード出来たらな、とふっと頭をよぎる事も… あったり、なかったり(笑)
当時は、市場にも、トレーディングデスク、セールスデスクのにも、活気が溢れ、リーマンショックだった時でさえ、良くも悪くも毎日アドレナリン全開、怒号がフロアに轟く日々でした。
DF の懐かしい思い出、
”俺のセリクラ”
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