見出し画像

71.大本に入信したばかりの後の日月神示の『岡本天明』と『大本教団圧』の関係

これの続きです。どっち先に読んでも大丈夫だけどね。16454文字

大正日日新聞社

大正日日新聞社は、大正9年から11年にかけて大本が経営していた新聞社。もともとは日刊の一般紙を発行していた会社を大本が買収し、大本の主張を載せる新聞になった。

最初の主な人事は、社主・出口王仁三郎、社長・浅野和三郎、編集局長・岩田久太郎、編集顧問・鳥居素川などであった。

浅野和三郎

大本HP「第一次大本事件」のページ

第一次大本事件で検挙され起訴されたのは、その出口王仁三郎、浅野和三郎、吉田祐定の3人。

事件が起きた2月12日、出口王仁三郎は大阪・梅田の大正日日新聞社で陣頭指揮をとっていました。そこへ刑事が踏み込み、連行されていきました。

英文学者として知られていた浅野和三郎は、機関誌『神霊界』主筆、大日本修斎会会長、大正日日新聞社社長などを歴任した大本の大幹部です。また吉田祐定は名義上『神霊界』の発行・編集・印刷人だったため検挙されました。

今回話す『神秘の扉』連載記事

この大正日日新聞の発行部数は48万部。それで今回話す『神秘の扉』連載記事があった。読者に好評で、 『神秘の扉』の同名単行本として出版された。

⭕️この内容は敵の天皇・朝廷・愛国万歳にチョー〜マズイわ!(;´Д`)

その新聞社の社長の浅野和三郎は大本の中で『さにわ係』として実力者らしい。それで今回よく話に出てくる。彼は1921年(大正10年)の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、1923年(大正12年)心霊科学研究会を創設。

心霊、オカルト、スピ好きなだね。

その後に大本は人類愛善新聞社というのを作って、この新聞は104万390部となった。当時の日刊紙『大阪朝日新聞』が63万5千部、『読売新聞』が52万9千部。しかしこれは新聞といっても日刊じゃないんじゃ?

とは言え、大本の主張は天皇的に超マズイだろ〜〜〜!(;´Д`)
それがかなりの発行部数。人気もあった。ちなみにヘンリー・フォードがユダヤ人の危機を知らせるために作った新聞社の新聞の発行部数は30万部。

審神者(さにわ)すること――疑問を持つこと―

これは精神世界には珍しく善良な記事で良い説明ですな。

日本古来のシャーマニズムに用いられてきた降神では、「巫女(依坐・霊媒)」と「審神者(さにわ)」がペアになって神の託宣を聞いていました。
巫女は神を降ろす役割をし、審神者が巫女に降りている神が本物かどうか確かめる役割をします。

この審神者、様々な宗教の神や歴史を頭に叩き込んでいて、なおかつ巫女に降りている神が低級なものであれば、それを祓うことをしなくてはいけないという、ある意味巫女よりもすごいんじゃないか、という人なんです。
「審神者」は、「ジャッジすること」を専門職とした人です。

ここから先は

15,310字 / 2画像

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?