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酒池肉林から考える『夏➡商➡周』王朝の移り変わり

7337文字

夏朝

歴史書に記載された中国最古の王朝

(紀元前2070年頃- 紀元前1600年頃)

中国の国家文化の始まりだと考えられており、二里文化人殉は、夏の時代の人殉を証明している。しかし、人殉が最も盛んだった時代は商と周の時期だった。

夏朝➡商朝(殷王朝)

考古学的に実在が確認されている中国大陸最古の王朝

商朝(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)
(同じ王朝だが日本では殷、中国では商と呼ぶ)

🇯🇵殷王朝=🇨🇳商朝は同じ!

中国の中学校の歴史教科書』2001 

中国の中学校の歴史教科書では、「紀元前16世紀、黄河下流にあった商の部族がリーダーの湯に率いられ、夏の王の桀が民心(民の心情)を失った隙に、兵を挙げて夏を攻め滅ぼし、湯は商の君主として強大な奴隷制国家を建てたと説明し、(以下略!!)😅

🇯🇵のクズ王たちと同じで、善悪がさっぱりわからねぇ!!(;^ω^)

商朝(殷王朝)➡周朝

周朝(紀元前1046年頃 - 紀元前256年)

 

酒池肉林 

酒池肉林中の、殷(商)王朝の最後の王「紂王」のイラスト

「酒池肉林」という有名な故事がある。商朝の最後の王「紂王」が、贅沢をこらして男女を集め、酒を満たした池と、肉を掛けた木々の間で遊ばせ、淫らな酒宴をおこなったという故事で、「こんな自堕落なことをしていたから、商朝は滅びたのだ」という文脈で史記』殷本紀には書かれている。

商朝の最後の王である紂王は、中国王朝の歴代支配者の中でもすこぶる評判が悪い。美貌の妃妲己を溺愛し、いわゆる「酒池肉林」の贅沢を極め、諫める臣下を「炮烙の刑」で虐殺するという、暴君ぶりを発揮したとされている。

即位9年目に後宮に入った妲己の美貌に心を奪われた頃から、歯止めのきかない享楽の日々を送ることになった。鹿台という御殿に財宝を集め、犬や馬や珍奇なものをあつめ、沙丘という離宮の庭園には野獣や鳥を放し飼いにした。レジャーランドと化した沙丘に酒を満たした池を造り、樹木に干した肉をひっかけて肉の林にした。そこで裸の男女に鬼ごっこをさせ、自分は妲己をはべらせ、一晩中、牛飲馬食をむさぼった。

紂王の無道に耐えかねて反旗を翻した諸侯に対して用いられたのは炮烙の刑であった。油を塗った銅の柱を横にして上から吊るし、下から火を焚いて熱くなったところを受刑者に渡らせる。受刑者は滑って火の中に落ち,焼け死んでしまうというもの。

際限のない贅沢と淫らと残虐の果てに、周の武王の率いる諸侯同盟軍に攻められ、追いつめられて鹿台の宝物殿に登り、宝石をちりばめた衣装を身につけて火中に身を投じたという。

同様に、尚書』(書経)酒誥にも、「庶群自酒、腥聞在上。故天降喪于殷」『紂王の周囲には人々が群がり集まり飲酒に耽り、その生臭い汚れた悪臭が天上に達するに至った。そこで上天は遂に滅びるべき運命を殷の国に降したのである』などど、散々に書かれている。

「酒池肉林」は、その後の時代の西周時代に、政権交代の正当性を訴えるために作った作り話ではないのだろうか。


ワシもそう思う

酒池肉林で、
さんざんボロカス言われている商朝(殷王朝)の『紂王』を確認

殷(商)王朝の最後の王「紂王(帝辛)」のイラスト。
(こちらはしょんぼり)

⬆︎ここに原文がある。
名前だけでなく、誰彼が分かるように文を修正した。⬇︎

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