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石平①「本当は恐ろしい儒教」孔子は名前を利用されただけ?
4088文字
ワシ
統一教会系で活躍する石平は、敵の詐欺師だけど本当に儒教に詳しい。中国の儒教を批判し、我々日本人に儒教の洗脳の仕事をしている。今回紹介するのはプロパガンダの記事なんだだけど、これは儒教の最初の学びに良い。敵だが石平は説明が上手いわ、さすがプロパガンダのプロ!(^_^;)
石平の言うようにワシも「孔子と儒教は違う。伝説のビックベームの孔子の名前を使った漢王朝が臣民を奴隷統治するために作った「国家宗教」だと思っていた。調べたらそうではない。確かに宗教化したのは漢なんだけど、孔子の論語が儒教の元ネタだ。その説明は後のnoteで。
孔子は名前を利用されただけで、「論語=儒教」とは言えないのでは?
2019年04月17日 公開
2023年01月11日 更新
歴史上、儒教の影響が強かった中国や日本では、「孔子」と「儒教」との関係、『論語』と「儒教」の関係といえば、おそらく誰もが「孔子はすなわち儒教の始祖」「『論語』はすなわち儒教の経典」だと思うであろう。
「孔子・『論語』イコール儒教」というのは、東アジア世界における昔からの常識であり、社会的通念ともいうべきものである。
しかし歴史の真実ははたしてそうなのか。孔子は本当に儒教の始祖なのか。『論語』は儒教の経典であるのか。一般的常識や社会的通念に囚われず、よく調べて考えてみれば、じつは疑わしいところなのである。
孔子が生きたのは、中国・春秋時代の紀元前六世紀半ばから、五世紀前半である。国家的教学としての儒教が成立したのは、孔子の死から三百数十年も経った前漢王朝の武帝の時代である。
儒教の成立時期に関しては、たとえば世界大百科辞典第二版は「儒教」という項目について、「中国で前漢の武帝が董仲舒(とうちゅうじょ)の献策で儒家の教説を基礎に正統教学として固定し、以後、清末までの王朝支配の体制教学となった思想」と解説している。日本の学界もおおむね「儒教の成立は前漢時代」としている。
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前漢に成立した儒教は、教学の基本経典として「五経」を制定して理論的体系をつくり上げたことはよく知られている。しかしここではまず、一つ不可思議なことがあるのである。
儒教が経典として定めたこの「五経」には、じつは孔子の思想や言動を詳しく記述した『論語』が入っていない。「五経」とはすなわち『詩経』『書経』『易経』『礼経』『春秋』の五つであるが、『論語』の姿はどこにもない。
そのことはどう考えてもおかしい。あたかもキリスト教の経典に、イエス・キリストの事績を記した『聖書』が含まれていないかのような話である。
その一方、前漢時代に成立した儒教は、「五経」の中の四つ、すなわち『詩経』『易経』『礼経』『春秋』は、孔子の手によって制作されたものか、あるいは孔子によって編纂されたものであると主張する。しかし、のちになって、中国と日本の両方で行なわれた学問的検証によって、ただの嘘であることがわかった。
孔子はこの四つの儒教経典を制作したこともなければ、編纂したこともない。孔子は『詩経』という古来の詩歌集を読んだことこそあるものの、それを編集したことはない。孔子は儒教経典の「五経」とはいっさい関係はない。
つまり前漢時代に成立した儒教は、孔子の『論語』を基本経典から排除した一方、孔子の名前だけを借りて、孔子とはいっさい関係のない「五経」をつくり上げた。
そのことからして、「孔子と論語はすなわち儒教」とはたしていえるのだろうか。孔子はただ、自分の没した数百年後に誕生した儒教によって、名前をうまく利用されただけのことではないのか。
夫に死なれても再婚は許されない「礼教」の怖さ
北京大学を卒業して地元の四川大学哲学部で助手をしていたとき、機会があって儒教の恐ろしい一面を知ることになった。
大学の同僚の案内で彼の出身地である四川省梓潼(しとう)県へ観光に行ったとき、143名の女性の名前を刻んだ「碑坊」と呼ばれる記念碑を見学した(清朝の晩期に建てられた)。
歴史学専門の同僚の説明によれば、地元出身の143名の女性たちは「節婦」あるいは「烈婦」として認定され、朝廷から表彰されたため、その名前がこうして「碑坊」に刻まれたという。
「節婦」「烈婦」とは何かというと、同僚の説明はこうである。
前漢に成立した儒教は、南宋(1127~1279年)時代に朱子学という新しい教学を生み出し、それを理論的中核にして新儒教としての礼教が成立した。
朱子学は「天理」と「人欲」を対立させて、「天理」を守るために「人欲」を滅ぼすことを唱えるから、新しい儒教としての礼教は結局、人間的欲望や感情を抑圧することを主旨とし、その本領とするものとなった。
そして朱子学が最盛期を迎えた中国の明清時代では、礼教が中国社会を完全に支配することになったから、500年以上にわたった明清時代は、人間的欲望が極端に抑圧されたような憂鬱な時代となったという。
いっさいの欲望と感情を否定されたのは女性である。礼教の掟においては、結婚した女性は夫に死なれた場合、再婚はいっさい許されない。
寡婦(かふ)のままで夫の残した子供を育て一生を送るのか、死んだ夫に殉じて自らの命を絶つのか、という二つの道しか残されない。そして前者は「節婦」と呼ばれて、後者は「烈婦」と呼ばれるのである。
梓潼県の碑坊に名前を刻まれた143名の女性は、清朝時代に「節婦」もしくは「烈婦」となった人びとであると同僚が説明してくれた。説明を終えた同僚は「歴史上の礼教は本当に殺人的だよね」と憤慨して、自らの感想を述べた。
考えてみれば、まさしくそのとおりである。再婚を許されず、夫を亡くした女性たちに「節婦」となるのか、「烈婦」となるのかを迫る礼教というのは、理不尽にして残酷極まりないものである。
そういう女性たちは結局、あの時代の礼教によって女性としての人生を奪われ、そして大事な命までも奪われた。
しかも明清時代の五百年以上にわたってこの野蛮なしきたりが中国社会を支配し、女性たちの運命を翻弄した。中国史の衝撃的な一面であるが、このような時代を支配した礼教とは何だったのか、と思うのである。
それ以来、自分もいろいろと「節婦」「烈婦」のことを調べてみたが、実態はまさしく大学の同僚の説明したとおりであった。清朝時代だけでも、毎年中国全土で「節婦」「烈婦」に認定された女性の人数が何と万人単位になるという驚きの数字もある。
私はこれで初めて、礼教とはそれほど残酷な教学であることを知った。礼教とはまさに「殺人教」であることを知り、大きなショックを受けたのである。
そしてそれと同時に、儒教から発するこのような「殺人」的な礼教は、私が傾倒している『論語』とはまったく異質なものであるとも強く思った。
◉この石平の「節婦」「烈婦」説明では弱い。
「節婦」はそれで良い。石平も本の方にはちゃんと書いてあったけど、「烈婦」「烈女」は同じ=旦那が死ぬと妻と子は夫のために殉死し殉葬されることが立派という国家が美徳。これは儒教から来るのね。確かに周王朝の美徳だから考えればそうか。儒教は孔子。孔子の思想は周王朝の聖王の統治が理想だという思想。
私の覚えた『論語』には、人間性の抑圧や人間の欲望の否定を唱える言葉は何一つなければ、ましてや女性の「守節」や「殉死」を奨励するような表現はどこにも見当たらない。
そのかわりに、孔子が『論語』のなかで盛んに語っているのは「愛」(仁者愛人)であり、「恕(よ)」(思いやりの心)であり、親の気持ちを大事する意味での「孝」なのである。
『論語』はたしかにさまざまな場面で「礼」を語り、「礼」を大事にしている。しかし、『論語』の語る礼はどう考えても、礼教が人間性や人間的欲望の抑制に使うような厳しい社会規範としての「礼」とはまったく異なる。
『論語』の語る「礼」とは要するに、相手のことを心から大事にする意味での「礼」であって、人間関係を穏やかにするためのものである。
そこには、人間的温かみがありこそすれ、礼教の唱える人間抑圧の匂いはいっさいない。後世の礼教の残酷さ、冷たさと比べれば、『論語』から感じられるのは、むしろ優しさと温かさである。『論語』と礼教とのあいだにはどう考えても、何の共通点もないはずである。
そして、『論語』と礼教とはまったく共通点がないのであれば、私自身が以前から感じていたことはやはり正しい、と思った。
つまり、『論語』が礼教と何の共通点もないのと同じように、『論語』はそもそも儒教とは何の関係もなく、孔子は別に儒教の創始者でもない、ということである。
『論語』はたしかにさまざまな場面で「礼」を語り、「礼」を大事にしている。しかし、『論語』の語る礼はどう考えても、礼教が人間性や人間的欲望の抑制に使うような厳しい社会規範としての「礼」とはまったく異なる。
『論語』の語る「礼」とは要するに、相手のことを心から大事にする意味での「礼」であって、人間関係を穏やかにするためのものである。
そこには、人間的温かみがありこそすれ、礼教の唱える人間抑圧の匂いはいっさいない。後世の礼教の残酷さ、冷たさと比べれば、『論語』から感じられるのは、むしろ優しさと温かさである。『論語』と礼教とのあいだにはどう考えても、何の共通点もないはずである。
そして、『論語』と礼教とはまったく共通点がないのであれば、私自身が以前から感じていたことはやはり正しい、と思った。
つまり、『論語』が礼教と何の共通点もないのと同じように、『論語』はそもそも儒教とは何の関係もなく、孔子は別に儒教の創始者でもない、ということである。
ワシ:まとめ
統一教会、石平は儒教の礼教の洗脳・教化をしているんだ。これで天皇のために戦争で死ね、と言われれば天皇陛下バンザイと死ぬまで持っていける
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礼教=儀礼と教化=石平の行い、石兵の話の内容、このプロパガンダ自体が礼教だ。立派だと思ったろう?(^_^;)
おわり
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