第六天魔王VS天照大明神『虚言ヲ仰ラルヽ神』
2024年4月更新:「神道大系「中臣祓註釈』三」をもっと現代語にしたものを足した。文章の前後を入れ替えていたりする。8049文字
はじめに
皇祖神(天皇の祖先神)、天照大明神は虚言でこの島国を第六天魔王から乗っ取り、死の崇拝宗教、仏教の国の日本国を作った。
今回のnoteは第六魔王譚のお話
中世神話というものがある。日本の中世、古事記日本書紀となどの神話と仏教に出てくる諸天諸仏と同一視させてつくられた数々の神話群で、その中の一つに「第六天魔王譚」というものがある。
とても良い資料で有り難いHPだが、古代、現在の学者達の妄想の学説も入っている。本当に当時の資料として読むべし。マトリックス突破出来ていない学者の説は特に宗教や神では役に立たん、危険すぎる。一日振り回された。(^_^;)
ピクシブ百科事典「第六天魔王」とても良い資料、読んでね。(^_^;)
第六天魔王はシヴァ神である。
第六天魔王=シヴァ神=仏教の宿敵、「マーラ」で有ることが良く分かる。
⭕️第六天魔王=シヴァ神=マーラ=サタン。
でもピクシブに危険もある。ラストあたりの爆弾紹!( ̄▽ ̄;)
確かに、第六天魔王、天照大神の子孫である日本の主(天皇)を朝敵から守護する契約をした話はあり、これから紹介するが、それはプロパガンダだ。
だから、謎が解けてない人の考察は危険なんだ!(^_^;)⬇️
✖日本の三宝(仏・法・僧)の代表を名乗る信玄を日本を乱す朝敵に見立て、天照大神の子孫である日本の主(天皇)を朝敵から守護する契約をした第六天魔王を信長が名乗ったことになる。
⭕️信玄が日本の三宝(仏・法・僧)の代表を名乗るなら彼は日本の朝廷の味方。仏教を、三宝(仏・法・僧)を潰す信長が朝敵でなので第六天魔王を信長が名乗ったことになる。
第六天魔王の名は、仏敵と言うだけでなく朝敵!って意味でもある。
「第六天魔王譚」は沢山あるみたいだけど、今、手に入れてあるもの紹介していく。
ーーー本題ーーー
これが最も早く最も重要。
1191年以前に成立
空海の仮託の両部神道書の『中臣祓訓解』
著者が空海だし、彼が中臣祓を解説したもの。
でも、これは後で解説。
1262〜1264年
無住の『沙石集』巻第の「大神宮の御」
僧の無住が伊勢神宮に参拝したとき「神宮祠官」より聞いた話
神官「伊勢神宮が三宝を忌み、僧や尼を参拝させないのには理由がある。
この国がまだ無かった頃、大海の底に大日の印文があった。天照大神が鉾で探り当てると滴の露が落ちた。
第六天魔王が遥か彼方からその様子を見て「この滴が国となって、仏法を流布し、人類の生死が出る当然の相がある」と日本が仏の国土となることを危惧して滅ぼそうと天下(天上界から地上に降り)った。
天照大神は第六天魔王に対して「我は三宝の名も言わない、自らにも近づけないから帰り給え」と約束してたので第六天魔王は天に帰っていった」
【違うバージョンもある】漢文から翻訳するとき、人で変わる。
昔、この国がまだ無かったとき、アマテラス大神は大海の底に「大日の印文」があるというので、鉾を下して探り上げられた。その鉾の滴りが露のようになった時、第六天の魔王が遥か彼方から見て「この滴が国と成て、仏法流布し、人類生死をいずべき相あり」とし、これを潰そうとして天より下ってきた。天照大神はこの魔王にむかって、「我、三寶の名をも言わじ。我身にも近づけじ。とく帰り上り給へ」と約束したので、魔王は帰っていった。よって伊勢神宮には、御殿に僧が参らに社壇で経を持ち歩かない。
1286年ころ、通海 の『太神宮参詣記』
これは魔王との契約は天照大神ではなく 伊弉諾・伊弉冊尊の話で異伝。
【ワシ翻訳】
イザナギ・イザナミがこの国を建立しようと第六天魔王に請い受けた時、魔王は「南閻浮提の内、ここに仏法流布すべき地なり。我は、仏法の仇(あだ・敵)なるによって、これを許すべからず」と言った。
イザナギは「然れば仏法を忌むべきなり」と誓って請(こ)い受けたので、神宮では仏法を忌むと申し伝えている。
1240年それ以前〜1309年以前(ハッキリ分かんないんだね)
『平家物語』剣巻
【ワシ翻訳】
国常立尊が「この下に国なからんや」と天瓊矛を降して大海の底を捜し、その矛を引き上げると、滴りが凝り固まって島となった。 大海の白い浪の上に「大日」という文字があり、その上に滴りが落ちて島となったので大日本国と名付けた。
天照大神は伊弉諾・伊弉冉尊から国を譲られたが、第六天魔王は「この国は大日という文字の上に出で来る島なれば、仏法繁昌の地になるべし。これよりして人は皆、生死を離るべしと見えたり。されば、これには人をも住ませず、仏法をも広めずして、ひとえに我が私領とせん」と許さなかった。
三十一万五千年をへた後、天照大神が魔王に「日本国を譲りの任に免し給へば、仏法をも広めず僧・法をも近付けじ」と誓ったので、魔王はこれを許して手験として印(おして)を奉った。 これが今の神璽である。
1370年代
『太平記』巻第十六の「日本朝敵の事」
【ワシ翻訳】
天照大神が伊勢に鎮座しようとした時、第六天魔王は「この国の仏法が広まれば、魔障(魔の防御が)弱くなり、その力を失うべし」と妨げようとした。
天照大神が「我、三宝に近付じ」と誓うと、魔王は怒りを休めて五体から血を流し「つきる未来に至るまで、天照大神の血を引く子孫たらん人をもって、こ国の主とすべし。
もし王命に違う者、有りて国を乱り民を苦めれば、十万八千の眷属が朝にかけり夕べに来て、その罰を行い、その命を奪うべし」と、堅く誓約を書いて天照大神に奉った。 今の神璽の異説である。
⭕️【超重要】1191年以前に成立
空海の仮託の両部神道書の『中臣祓訓解』⭕️
(要するに空海の大祓詞の注釈だ!)
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