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金印「漢委奴国王」を無かったことにしたい恥ずかしい日本国のプロパガンダ

4644文字

読みましたか?最近のワシのnoteには金印の写真が載っている『滇王の金印』『漢委奴国王印』『広陵王璽の金印』『文帝行璽の金印』を紹介した。それも段々写真を大きくしていく工作こみ!(;・∀・)

上の金印は「滇王の印」

古代雲南の滇国はどうして生贄と戦争という大変な国になった?で、漢から「滇王の印」金印を賜った。それで金印とはなんぞや?と検索したら漢委奴国王」の金印は贋作!とのプロパガンダをしていることを知った。それでの金印とはなんぞや?と突貫で学んでいる。

日本のwiki伝統の混乱させる気が狂う文の書き方。理解できないのは貴方が悪いのではない、ワザとだ・・(ワシは文の書き方で最初気づく)

漢と金印を賜った国の歴史は完璧に説明せず、金印の文字の掘り方と素材に議論をもっていき、泥沼化を謀る。

一般人に成りすましたプロパガンダ。愛國御用学者の「田中英道」も。

右上に一つだけマトモなのがある(笑)

紀元57年「漢委奴国王」の金印は1784年発見

紀元57年、初めて日本の使者が中国に来た。劉秀は倭国の使者を接見し、使者は漢臣になることを表明し、漢皇に名を賜ることを求め、劉秀はその人の背の低さから、彼に「倭国」を与え、「漢委奴国王金印」 を与えた。これが、漢字が日本に伝わった最初の物証です。

紀元109年『滇王之印』金印は1957年に発見

「滇王之印」金印は、1957年に中国雲南省石塞山で発見された蛇鈕の金印。B.C.109年、前漢の武帝は滇族の王の嘗羌を攻め、降伏した嘗羌に王印を与えた」。つまみに蛇をかたどった金印は「漢委奴国王」と「滇王之印」の2点しか無く、史実を証明する貴重な考古学資料である。

滇王之印

1981年、中国揚州地区邗江県甘泉2号漢墓から別の漢代の金印「廣陵王璽」が出土した。この金印は後漢の明帝劉庄がB.C.58年に劉荊を廣陵王に封じた時に与たものであり、日本に金印を与えた西暦57年のわずか1年後であることがし判明し、これにより「漢委奴国王」金印は確かに後漢の光武帝から与えられたものであることが確定した。

紀元58年「廣陵王璽」の金印は1981年に発見

亀は偉いんだよ、後漢の第2代皇帝、光武帝の四男、明帝への金印となる。
廣陵を奴隷統治しろやと任命、後漢が作った国になる。

というわけで、「漢倭奴国王」の金印は本物と証明され、中国の学者は日本の火消し御用学者に振り回されたようだが、本物と決着し真贋論争はお開き。(読み方ではまだ混乱させられている)

なので、日本の御用学者らやデマTubeはパワーワップし、金印は日本で作られた偽物であり、それも最初に金印を鑑定した「亀井南冥」の贋作であるとまでプロパガンダをしているようだ。

遥か後の時代の御用学者に贋作者と罪を被せられた儒学者「亀井南冥」

金印「漢委奴国王」

後(東)漢の光武帝が日本に贈った『漢委奴国王印』

天皇の国の日本国は、金印「漢委奴国王」の読み方について説を沢山作って国民を煙に巻いている。まず最初に、これは3行に分かれていると先入観を与え、「印面には「漢」「倭」「奴」「国王」という5つの文字が”三行”に渡り掘り込まれている」と、何かに付けて説明する時には必ず最初に三行を強調する。次に似た文字「委」は「倭」の略字であり、これは「倭」であるなどと言う。

そして「漢の委の奴の国王(かんのわのなのこくおう)」などと嘘の読み方で読ませ、その意味は「漢に朝貢する倭の中の奴(な)の国王」であるとの嘘の解釈を与える!また、奴を「な」などと読むわけがないだろう!💢

神道の祝詞、天皇の勅語と同じ詐欺!

三宅米吉(1860年- 1929年) 「漢の委の奴の国王(かんのわのなのこくおう)」の発明者。 帝室博物館総長、宮中顧問官、帝国学士院会員はじめ、天皇・お国の仕事ばかりしている。

漢委奴国王

これは誰でも意味が分かる漢字だ!

「奴」は一字でも奴隷という意味。

 「漢が委任した奴隷国の王」💢

文字の分け方は、

「漢」「委」「奴国」「王」だ!

「奴国」の音読みは「どこく」「ぬこく」!


十七条憲法の詐欺と同じだ!💢

一曰の最後の「何事不成」=何事も成し遂げられない」という意味だと誰でも分かるのに「何事も成し遂げられる」と言う意味と説明されたらそのまんま。判断を他人任せにするゴイムの愚かな習性を利用した詐欺!

「漢の倭の奴の国王(かんのわのこくおう)」以外にも山ほどの詐欺がある。善意のフリして沢山の説を出して、一生謎のままループさせる。


5世紀の『後漢書』東夷伝/『隋書』東夷伝」では

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