FUNNY BUNNY
※ネタバレ注意
原作は、監督である飯塚健氏のオリジナル戯曲。本作は、2012年に上演された演劇がベースになっているのだろう。その舞台を観ていないので、何とも言えないけれど…。
ストーリーは大まかに言って、2つのエピソードから成り立っている。主人公の自称作家?剣持聡(中川大志)の高校時代から派生したものと、その話に無理やり巻き込まれた図書館司書、服部茜(関めぐみ)の大学時代に端を発した出来事。2つのエピソードのつなぎ役としての役割を、剣持聡が担うといった構成。
もともと戯曲として発表されていたからなのか、どうもセリフ回しが仰々しい。作家志望ということもあり、剣持聡のキャラクターがやけに熱いのだ。他人に刺さる名言をやたらと押し付けてくる感じがして、映画の中で少し浮いている。剣持の親友・漆原聡(岡山天音)の飄々とした出で立ちとの対比で相殺させることが、作り手の狙いだったのかもしれない。しかし、映画を鑑賞しているというよりは、終始演劇を観せられているようで気もそぞろになってしまった。
生の舞台を観に来ているのならば、この違和感は生じなかったように思う。多少オーバーなリアクションも許せたはずだ。観客と演者の間に、スクリーンを1枚挟み込むだけで、演劇とは違うコンテンツになってしまった。本作を映画として認識してしまった以上、なんだか乗り切れない。
最初は、図書館における主要キャスト5人による密室劇。謎解きミステリーの体裁を取りながら、剣持が過去のトラウマと向き合う話になっている。つづいては、図書館の事件から数年後。再び5人が集まり、ラジオ局でひと騒動を起こすというもの。
どちらのエピソードも、“かけがえのない友の死”が共通のテーマになっている。残された者がその“死”にどのように折り合いをつけ、前向きに一歩を踏み出すかといったもの。ドラマとして劇的な要素をふんだんに盛り込めそうだが、安易に手を出すと、話を盛り上げるためだけに人の死が利用されたと観客に捉えられる。そうなったら、もう目も当てられない。手垢にまみれた、お涙頂戴の話など願い下げだ。本作は、個人的にそこまで酷評するレベルではないのだが、もう少し演出面で気を遣ってほしかった。
最初のエピソード、剣持の友人が激しいイジメにあっている場面。リアリティの整合性が希薄なような気がした。隣の教室で起こっていたこととはいえ、あれだけ派手なイジメに、感受性の塊のような剣崎がまったく気づかず、しかも教師の描写も一切ないというのはいかがなものか。図書館では、イジメにより友人が精神的に蝕ばまれていくさまが、剣持の口からさんざん語られるが、実際は直接的で理不尽な暴力の果てに命を落としてしまう。なんだか説明がチグハグなのだ。
服部茜を取り巻くエピソードにしても、取ってつけたように交通事故がストーリーに組み込まれているようで、クライマックスの演奏シーンも感動するまでにはいたらない。唐突に死者が天国から語りかけてきて、おせっかいなポジティブ志向を促す演出には、些かの古臭さを感じてしまった。
演劇と映画の違いを図らずも考えさせられた内容で、本作が映画ではなく演劇であったなら、手放しで楽しめただろうと心から思う。戯曲の映画化における、脚本と演出の使い分けの重要さを痛感させられた作品だった。