70年代、ロンドン・パンクの洗礼‼
70年代のロックを語る上で、パンクは避けて通れない、それは好き嫌いの範囲を超えて、社会現象としてのパンクを見据える必要があります。このパンク・ムーブメントは、戦後長く停滞する英国社会に対する、溜まりに溜まった鬱積したフラストレーションの開放という側面がありました。その萌芽は60年代まで遡り、The Who、The Rolling Stonesなどが不満を爆発させましたが、ムーブメントを引き起こすパワーまではありませんでした。
まず最初に、不良少年のたわ言のように聞こえたThe Whoを紹介します。
曲は「The Who ‐ My Generation」
この曲によって伝わったメッセージが、「年をとる前に死にたい!」という歌詞でした。これが当時の若者の本音でした。老後をどう生きるか?そんな発想は皆無でした。この曲は、多くの支持を得てカバーするバンドも多く存在します。今やロックの古典的名曲になっています。
続いて紹介するのは、The Rolling Stonesです。不良少年がステージで歌ってる感覚ですね。ビートルズの対局として語られる事が多いバンドですが、彼らは21世紀になっても活動し続けています。いまや不良ジジイとして、ある面理想の老後を送ってるのかも?「継続は力なり!」
曲は「The Rolling Stones - (I can't get no)Satisfaction」
歌詞は、ストレートに「オレは、満足できネェ!」と叫んでいます。何もかも満足できない、「フラストレーションの塊だぜ!」みたいなノリです。
このバンドの結成は1962年なので、既にバンド自体が還暦を過ぎています。しかも、一度も解散せず途中メンバーの入れ替えはありましたが、いまだに現役であり2023年に新作も発表しています。それでも、数年前にDmのチャリー・ワッツが亡くなったのが残念です。
これからが本題ですが、1976年から本格的なパンク・ムーブメントが到来します。彼らのいでたちから見ると、破けて穴のあいたダメージ・ジーンズに革ジャン、安全ピンにピアス、ワックスで立ち上げたモヒカン頭等です。ビジュアルを見ただけで遠慮したい危ない雰囲気を醸し出しています。中には眉をそり落としていたり、不気味でした。
サウンド的には、単純なスリーコードに分かりやすいリフです。曲も短くハードロックやプログレ対する敵対心もあり、とにかくノリと勢いで観客をのせてしまうパワーがありました。また、歌詞的にも政治や社会に対する鋭い風刺や攻撃的な面を全面に押し出して、観客をアジって煽るなど煽情的なパフォーマンスが主流でした。
最初に紹介するのは、The Sex Pistols(セックス・ピストルズ)です。彼らの与えたインパクトはすさまじく、とにかく社会のタブーを破壊しまくるクラッシャーとして、英国社会の伝統に「No!」を突き付けた筆頭でした。
曲は「The Sex Pistols - Anarchy In The U.K」
次に紹介するのがThe Clash(ザ・クラッシュ)です。このバンドも過激なパフォーマンスで人気を得ました。サウンド的にもレゲエやスカなど、他の要素も取り入れて、曲調がマンネリにならない工夫もあり、米国でも成功した数少ないバンドでした。そのため、パンクを酷評していた音楽評論家からも評価されたバンドでもありました。
曲は「The Clash - London Calling」
続いて紹介するのは、The Dumned(ザ・ダムド)です。彼らは政治的な攻撃色は薄く、むしろサウンド面で人気を博していきます。特に爆音というか轟音と強烈なビートで沸かせる、後のハードコア・パンクに通じるバンドでした。
曲は「The Damned - New Rose」
既にパンクの3大バンドを紹介してきましたが、最後にこのバンドを紹介して終わりにします。バンドはSham 69です。このバンドはサッカースタジアムに落書きしてあった、消えかけた文字をバンド名にしています。
曲は「Sham 69 - Borstal Breakout」
ざっとロンドン・パンクを俯瞰してきましたが、この勢いも1979年11月に保守党率いるマーガレット・サッチャーが首相になって政権に着くと、新しい政策により政治的混乱と社会的停滞が一掃され、英国社会が復活します。それに伴い、パンク・ブームも下火になり、変わってニューウェイブやニューロマンティックなど新しいムーブメントに押され、ブームは80年代半ばまでに去っていきます。
それでは、日本ではどのようにパンクは受け止められていたのか?
私の個人的な見解ですが、77年にロンドン・パンクが入って来る以前の日本では、既にパンク的な活動をしていた村八分や外道なのが、暴走族に人気がありました。彼らは煽情的なパフォーマンスをしていたのです。これらのバンドはコアな人気にとどまりメジャーになる事はありませんでした。
また、日本に入ってきたロンドン・パンクは、彼らのコアな精神である政治や社会に対する攻撃的なメッセージはあまり伝わらず、受け継いだのはビジュアル的なパンク・ファッションが一部で人気になりました。
これは、日本の置かれている状況が英国とは違い、まさに高度経済成長の波にのる前夜であり、日本全体に活気がみなぎっていたので、そのメッセージを受け止める素地が無かったのです。
それでは、この辺で…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?