20191231 うらぶれ街で忘年を
年の暮れも暮れも暮れ。暮れ過ぎてそれはもう真っ暗。今年も地球の公転軌道が安定を維持したことに安堵が漏れる。
最寄り駅に広がる飲み屋街はひどく汚い。悪徳・石川五右衛門らがばら撒いた吸殻は娑婆中へとっ散らかっているし、吐瀉物は当たり前のように歩道にある。虚ろな目をした老若男女は徘徊するか、目まぐるしく回るタクシーをぼうっと待つかで。田舎者が矮小な矜持で、オラつきを続ける街の治安はメヒカーノスに近い。公安と輩は大体を鼬ごっこに興じている。奴らの競い合う術は酒の量と、煙草をガキの時分から吸い始めたかと、睡眠時間の短さと、何人の女を抱いたかしか知らない。奴らの語る精励恪勤した不行跡の数々は、ただの阿呆の露呈に他ならないことに気づかないくらいの愚鈍さを、スタンダードコースとして学習科目に取り入れられている。旧世代、iPod nanoに沸きたった時代から何の進歩もないガラパゴス諸町の飲み屋街は、僕らの愛すべき都なのだ。
友人らとの忘年会はそりゃあもう愉快なものだった。ちまちまと呑んだ酒のおかげで僕は頗る饒舌だった。馬鹿みたいな下世話トークに花は満開で、気づけば大晦日になってから疾うに60度くらいは過ぎていた。殺したい奴のことを思い返せば来年の希望も湧いた。あの野郎め、と口々に罵った快感は得も言われない。僕は奴を許しはしないのだ。来年の抱負は奴を憫殺することだ。呑んで騒いで積んだ燃えさしの数は知れず、僕の咽頭は最早限界だ。声は枯れたが、精魂は尽き果てることはない。声帯の残滓みたいなもので絞り出せるものは、モスキートーンに限りなく等しい。僕の身体だけは先に進んでいくのに、僕の感情は2019年に縋っている。
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