20200426 MUSYOKU
いつの頃だったか、桜前線と共に南から北へと順にキリキリマイをして忙しなかった、琉球発のミクスチャー・バンドがあった。一方、最近の僕はと言えば、緊急事態宣言がアニミズム大国日ノ本の中枢から地方へと伝播していくに伴い、晴れて無職へと完全変態を遂げ、生産性なき木端存在に身を窶したのだった。めでたしめでたし。
これは馘首された結果などではなく、僕自身の自由意思に拠って外道になり果てたことを御留意いただき、何卒御心配召されぬよう申し上げる。どうしても善意があり余ると申されるのならば、——僕は好意を無下にする程のノータリンではない——可及的速やかに銀行口座番号の開示を済ませよう。蝦夷地のイクラ丼が如く、溢れこぼれる慈しみの悉くを振り込みいただきたい。
昨今の世の趨勢を考慮すれば、僕の選択が至上愚行に思えるやも知らない。しかし、そもそも先々月には僕は勇退の旨を告げ終えており、最終出勤日を確定していたのだから、これは暗愚魯鈍が故の傾奇所作ではないのだ。ただ腐った先見の明と壊れた慧眼を持っていただけに過ぎない。雇用さえされていれば、なんやかんやと給金が出る。業務の縮小は余儀なくされるが、それでも給金は出る。職がなければ給金は出ない。明後日を最後にぷっつり途絶える給金日。雀の涙と形容するのはどうもしっくりとこない、クマムシの涙程の貯蓄を切り崩していかねばなるまい。質素倹約。まるで僕のために作られた言詞らしい。
職なし、金なし、伴侶もなし。あるのは縮こまった矜持のみ。最早、その矜持も風前の灯火である。未来で待つのは凶事であろうか? 夢にまで見る豪奢道楽を教示する先達もなし。国家支給の十人の諭吉を引き連れたオーシャンズ11となって、僕自身を騙くらかすコン・ゲームへ乗り出すより他はない。しかしながら、叡智を持たざる僕に策謀が浮かぶ訳もなく、ただひたすらに不敗のダヴーへと思いを巡らすより他はない。
蝙蝠を起点とした新型の感冒は未だ猛威を振るい、日々のワイド・ショーでは外出自粛の勧告ばかりが垂れ流されている。貧乏暇なしとは何だったのか。前述したように、類稀なる劣等ヒューマンである僕は暇で暇で仕様がない。勿論、不要不急の外出はしゃっきりぽんと控えているが、それは口実であり、事実は貧乏故に、暇ありなのだ。半ば引き篭もりのような無職のイージー・ライフが開幕して、気付けば半月くらいが滔々と流れ去った。定額制のストリーミング・サービスの元を取るべく、ただ毎日をモニターとの睨めっこに興じている。何かをしでかしてやらねば。そうだ、僕が世界を救おうか。蝙蝠の親玉、ブルース・ウェインを打倒するべく、ホアキン・フェニックスにでも師事を仰ごうか。いやいや、待てよ。あれは別料金でのレンタルだ。
兎角にこの世は世知辛い。百万スコヴィルくらいに。無職ではあるが、好色でなくてよかった。理性だけは今も働いている。
退屈凌ぎに——脳内の仮想エネミーを言い負かす遊びに再び戻ることにしよう。今日の敵は、趣を持たざる者同士がどうにかして自身の有用性を見出そうと、必死こいて作り上げた閉鎖的・排他的コミュニティである。