20200131 お婆と僕は堤防で
ここ最近、僕は通勤途中に決まったお婆と擦れ違う。それも、“必ず”が過言ではない頻度で。
僕と彼女の運命は何色の糸で結ばれているのだろう? 燕脂色だといいなぁ。なんだか渋いよなぁ。
僕らは人工小河川沿いの堤防が、誰が眠っているかも知らない土手下の墓地の脇へ差し掛かると邂逅をした。そのお婆は決まった出で立ちをしている。
僕は彼女を心の中で、平地トレッキングお婆と呼んでいる。
きっと、彼女は僕のことをしゃかりきミニベロおじさんと呼んでいるに違いない。
老媼はサイケデリックな花柄のピンクヤッケと、紺色サファリハットをお召しになっている。何時だかにバガボンドで読んだ宝蔵院胤舜が如くの、しなやかなトレッキングポール捌きでキビシャカと歩いている。腰を悪くしたんだろうかと思ってはみたけれど、地区最大級の猫背を絶賛お披露目中だった傴僂マンのそれと比べれば、幾分もしゃんとした背筋になんだか羨望めいたものを抱いてしまう。
遡ること数日前、お婆は擦れ違いざまに、「こんにちは」と僕に言った。僕は狼狽をしてはうはうと息を漏らしながら、頭を垂れることしかできなかった。
それからも続いた彼女との習慣に、僕は乾坤一擲かましてやらねばと思い立つ。
定刻通りになる目覚ましに、僕は軋む寝床から飛び起きて身支度を済ます。そうして、僕は定刻通りの通勤に出る。件の堤防をいつもと同じくしゃかりきにミニベロを漕ぐ。
長く伸びていく堤防の先に、一際目立つピンクヤッケを捉える。僕はペダルを踏む力に更に力を込めた。
平地トレッキングお婆までの距離は残り数十メートル——。
今日もまた、僕らは墓地を脇にして擦れ違った。
お婆は、
「こんにちは」
と、僕に言う。
ほら、見ろ。食いついたぞ、しめたり! と、僕は意を決した。
「……こ、こんにちは」
と、僕ははうはうしながら言う。
お婆はにこりと笑って僕の視界から消えていく。こうして、世界にコミュニケーションの輪が広がっていくのだろう。挨拶というものは斯くも清々しきものであったか。小学生の時に受けた、「挨拶はちゃんとしなさいね」と言ったあの女性教諭の教育方針は間違っていないのかも知らない。
僕は背後へと振り返る。一寸遠くなった花柄は太陽の下で揺れていた。
僕は名前も知らないピンクヤッケの背中へ語りかける。
「長生きしろよ、お婆——」
——ミニベロの前輪は堤防から外れ、僕は墓地へと落ちた。
僕は、はうはうとしながら今日も生きていた。
土手下に花が揺れるのは、まだ随分と先らしい。