20200128 ホットミルクは気恥ずかしい
令和二年、初月の末にはひりひりとした凍てる寒さがある。睦月の片爪先は、ややもすれば氷点下へと踏み込みそうになっている。僕は、冷蔵室に詰められた惣菜の気分はこういったものなのかしら? などと由なしごとに思い巡らせながら家路を歩く。柔らかだった時雨の合間には——僕は、人工小川沿いの街灯なき堤防を歩いていた——月明かりは遮られて、靄のような闇があった。
自室に帰ってからも、窓ガラスから忍び込んでいた冷や気がいる。室内は窓外と一緒くたになっていた。僕は、「風雨が防げるだけ幾分もましだろう」と、ぼやきながら、半ばの苛立ちを半ばの諦観で壁際へと追いやった。空調機直属の赤外線リモート・コントローラーを見つけ、”運転”の二文字が添えられたボタンを押した。
我が家の空調機は概ね骨董品となっている。数年前に、ひと度がががと唸ってからというもの、彼は恣意に任せて働くのをやめない。冬も夏も効かないか、効き過ぎるかの二択で僕を翻弄する。どうやら、今夜の機嫌は麗しくないらしい。白物家電は膠に染められ黄いなくなっている。近々、拭って機嫌を取らねばならないだろう。
僕は両親(及び祖母)から譲り渡された、末端冷え症を内包した遺伝子を慈しむように、両足のピンキーを緩く、恭しく揉む。狭窄したままの毛細血管に、凍瘡の未来が脳裏を掠める。
未だに室内は暖まらない。僕はミハルスの要領で奥歯を奏でながら、臛臛婆、虎虎婆と声を漏らす。一寸先が泉下であるなら、それに備えるべきは「たわば」の台詞に違いない。
何だかもの悲しくなった僕は、入会したばかりのNETFLIXで気慰みを図ってみる。劇中が何であろうと、この部屋は寒かった。僕は暖を取る段取りを思いつく。
そうだ、ホットミルクを飲もう。
思い立ったが吉日(時)だと、僕は鍋に牛乳を注ぎ、火にかけた。凍えたままでは碌すっぽに頭も身体も言うことを聞きやしないのだから、急いても乳は煮損じない筈だと、コンロのノブを限界まで回した。
牛乳が温められるのを待ち惚けながら、僕はぼうっと煙草を呑んだ。フィルターすれすれまで灰にさせると、流し台で消火をした。じゅうっと軽やかな音を立てて死んだそいつを、三角コーナーへ放り投げる。
あまりにもぼうっとしていた所為で、気づけば牛乳は十二分に煮沸されてしまっていた。僕は、周章狼狽しながらマグカップへとそいつを注いで白糖を多めに溶かした。
僕は気を取り直し、NETFLIXでの気慰みを再開する。傍にはホットミルク。甘たるいような、独特の臭気が立ち昇っている。
テレビジョン・コマーシャルで見た”大ヒット”の謳い文句に踊らされ垂れ流した邦画を、「やっぱり、面白くないなあ」と批評する。その間もシーク・バーはたらたらと邁進し、物語は佳境に差し掛かっていく。邦画に対しては「映像がしょぼい」だのと不平を言いがちだけれど、わかりきったことに期待しても仕方ない。持ち得る技量で面白いものを作ってもらえれば有り難いのだ。しかし、この作品は作り手の、「どうです、俺の感性。面白いでしょ? ほら、笑いどころですよ?」の雰囲気が癪に障った。
退屈で口が渇いた僕は、ホットミルク入りのマグカップに手を伸ばす。ずうっと口をつけていなかった。僕は俗に言う猫舌なのだ。熱いとは言い難い、温くなった牛乳がじわりとした暖を僕の食道から胃袋へと流していく。
蓋をするようにでき上がっていた薄膜が僕の上唇にへばりつく。僕はこの薄膜がこの上なく好きだった。ホットミルクを拵えなければ出会うことのないラムスデン現象に、僕は小さな遊び心を見る。僕はこのタンパク質の集合体を喰べた時に、やっとホットミルクを拵えたという実感と達成感が湧く。
僕は”ミルク"という単語が苦手で、口に出すのを憚る嫌いがある。何故だろうか、口にすると口吻がむず痒くなる。”ミルキー”に掻痒感はない。気恥ずかしさランキングを作るならば、この単語は一、二を争うのだろう。比肩するのは”おっぱい”である。できるならば”乳房”と言いたい。こう言い替えるだけで、気恥ずかしさランキングも八位にまで落ちる。
僕は”ミルク”ではなく、”牛乳”と呼び続けたい。だというのに、この”ホットミルク”に値する和語が見当たらない。熱牛乳なんて語呂の悪さは耐えられない。
水はいいよな、湯になるんだから。茶はいいよな、熱くなければ煎れられないから。コーヒーはいいよな、珈琲なんだから。
喫茶店でコーヒーに付随するアレも呼び難さがある。僕はそいつを”フレッシュ(西日本の方言らしいけれど)”と呼びたい。最悪、”クリープ”でもいい。
過去に気紛れに訪れた喫茶店で、「ミルクをください」と言えず、誤って、「スジャータをください」と口を滑らしたことがある。
それを思い出した途端に、忸怩が僕に襲いかかる。
僕は、最早冷め冷めとなった牛乳を飲み干した。
僕は、元の呼び名を戻したそいつによって”ミルク”の呪縛から解き放たれた。
小学生の頃から僕は牛乳が好きだった。
ある日の僕は、給食の時間に欠席した子らの牛乳を掻き集めて一リットル近くのそいつらを飲んだ。そして、その後にある昼休みで、全てを厠で逆流させたことを思い出した。
再び忸怩が僕に襲いかかる。呼び名は関係なかった。
映画観ます。