境界線
こうして言葉を書くとどんな人かが伝わってしまうと昔から思っている。
知られることがずっと、怖い。
日記はまるで裸と呪いのようなもので、私は私であることを隠すことにした。
私が私を脱ぎ捨てたら、私で居られる、楽になれる。
私という人間は、きっと美しくないのでどうしたって卑屈で、ずっと隠すように飾った様などこか物悲しく羨んだ文章になる。
習ったわけでもない、本を読むわけでもないそんな私の文章は誰かに届くかも評価されるかもわからない。それなのにまだ、書いて消して足して引いて、文章を見返して、くだらない訂正ばかりしている、算数が嫌いだった私が、そんな苦労をご丁寧に。
私が私だと知られたらきっと心の中でも、言葉の中でも良し悪しは箱に詰めたとして評価する人が増えてしまう。普段はあんなに楽しそうなのにね、なんて言われるかもしれないし、それだって思い込みかもしれない。
ただ、これでも救われる人がいるならそれでも求める人がいるなら私は私の言葉で解放されていきたい
なんて建前は丸めて捨てて、なんだって自分の為なのかもしれない。あなたに伝えるついでに私を私の「思考」で言い訳したい。
溶けたナイフを綺麗なペンダントにしたい
歪んだ時計をひっくり返してお皿にしたい
頭の中に書くのは辞めて見える場所で私という人を残そうと思う
空が綺麗でも辛い時は辛いし雨がやまなくてもお気に入りのワンピースはいつだって可愛いし、また朝が来て、今日も眠れない。ホットミルクのような優しさと甘さが、もっと私やあなたに降り注ぎますように。
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