「抗体詩護符賽」湯場について(1)−恍惚の温冷浴と竜宮城−

あの頃の僕らは「湯カルチャー」に胸の上までどっぷり浸かっていた。湯場の不思議な魅力に取り憑かれ、来る日も来る日も熱に浮かされたように湯場へ通っていた。湯で逆上せあがったその頭は全能感に浸り、調子にノッた僕らは湯ら湯らと街を徘徊しては浮かれ騒いでいた。。当時、私は温冷浴に取り憑かれ日々様々な実験をしていた。そして誰かと湯場に赴く時には必ず温冷浴セッションを行っていた。

話は高校時代に遡る。シャーマニズムに興味をいだいていた私は本屋で上野圭一の「ナチュラルハイ」という本を見つけ興奮し、以後それをバイブルと称し色々な人へと勧めていた。その中にはドラッグなどを使わずにハイになれる方法が羅列されていた。シャーマンの世界に興味をいだいていた私はとにかくハイを経験しなければいけないという強迫観念にとらわれ「ナチュラルハイ」に載っていた手法を色々と試していたのだ。

スーフィーの旋回を我が家のリビングルームで試しては気分と共に家族との関係も悪くなり、アイソレーションタンクに入っては懐かしき静寂を思い出した。シンクロエナジャイザーの存在など露知ぬ私はiPhoneの「懐中電灯」というアプリの点滅エフェクトを最大にまで速め、チカチカの中に道路を幻視した。「それ」が起こる時、いつも懐かしさを感じた。ずーーーっと忘れていた幼少期の記憶が蘇った時のように、それらは全て懐かしかった。「ナチュラルハイ」の中には温冷浴の事も書かれており、私はそれに一番ハマったのだ。温度差は大きければ大きいほどよく、温かい湯に1分、冷たい水に一分を繰り返すと良い。といったような事が書かれており、私はしっかりそのとおりを行っていた。

当時、私達の行きつけは「スパディオ」という温泉がついたカプセルホテルだった。煌めくネオンと異様な雰囲気の従業員、色んな所に何かを仄めかすような空間が散りばめられており、そこは私達にとっての神殿であった。ある日私達は集団セッションを行うべく神殿へと赴いた。

到着早々、露天風呂へと向かった。目の前には大都会のビルがひしめき合っている。眩しいネオンの看板と真冬の寒さが僕たちを高揚させた。そして露天風呂に浸かったあと、浴場の隅にひっそりと存在するあの水風呂へと向かった。ドクンっ!と衝撃が体を貫いた後、じんわりと体の中心から熱が広がって来るのを感じた。私は水風呂ではできるだけ筋肉を緩めるようにすると快感の波が身体全体へ広がって来ることを日々の実験から発見していた。そしてそこからは大浴場の中心に存在する主役的存在の大風呂とその水風呂を往復し始めた。
3往復を終える頃、温冷浴の体験の質が変化しだした。急にスーフィーの旋回で目が回った時に起こる「カクッカクッと繰り返し何度も眼球が右から左へと飛ぶ現象」の縦バージョンが起こりだしたのだ。足元はふらついている。主役風呂の水の揺らめきがまるで大海原の波のように感じるではないか。目には見えないが指の延長線上にビームが伸びている。身体の感覚は今まで経験したことのないレベルまで微細になっており思わず「パーティクルッ!パーティクルッ!」とはしゃいでいた。10往復を終える頃には完全にハイになっており、私達は騒ぎながら風呂を出ていった。面倒くさいほどにウキウキしていた。

浮かれた頭をクールダウンさせるため私達は仮眠室へと向かった。仮眠室への廊下には何やら曼荼羅のような絵が飾ってある。向かっている先が仮眠室なのだと知らなかった私は薄暗いその部屋へ入った瞬間「何だこの空間は!温泉にどうしてこんな空間が用意されているのだろう?それにしても異様な空気だ。密教スペースだ!」と感じ、以後その部屋は私達の間で「密教スペース」という名前で呼ばれることになった。なぜ密教スペースという単語が出てきたのかはわからない。しかしそこはそう呼ぶのにふさわしい仕掛けに満ちていた。私達は「畳の間」の隅にある凹んだ空間に身体を入れて瞑想した。全てがうまく進んでいた。

そして帰る時が迫ってきた。私達はエレベーターの真正面に位置する受付カウンターを眺めながら扉がしまるのを待った。友人が受付嬢と何かを話している。受付のおばちゃんは扉が閉まる瞬間「〜でしょ?ウッフッフッフッフ」と何かを仄めかす大笑いで私達を見送った。その後の事はあまり記憶にないが夜中三時頃、神社で数匹の猫が集会を開いている所へ出くわしたのを覚えている。このセッション以降、私の中で「スパディオ」は「竜宮城」へと変化した。「極楽」を味わった私は「風呂意図」について考え出した。

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