「抗体詩護符賽」プロローグ「エッセイ風」

エッセイ風が吹いている。

最近音楽ばっかり聴いてDJMIXを録ることにハマっており、何かを書くことやじっくり考える事はほとんどなくなっていた。しかし風が吹いてきたからにはしかたない。書くしかないという次第で「エッセイ風」を始める。

あさっての方向から強いエッセイ風が私に吹き付けて来るまで、私は「抗体詩護符賽」というモノを書いていた。書き始めていた。会う人会う人に「最近なんか書いてんの?」と聞かれた時にはいつも「抗体詩護符賽っていうエッセイ風で。。。」と答えていたが、実際には何を書いているのかよくわからない。一体何をしているのかもわからない。そういう事は大体、後から明らかにされる。数年前、熱にうなされ「Kenbo S/U88/55」(2015)という作品や「夢の『書」の夢』(2017)という作品を書いたが、これらはどちらかといえば小説風だった。あの二つの作品は右肩に止まっている見えない鳥、いわば霊的ホトトギスの目からすれば小説風であり、今から私が書き始めるのがエッセイ風というものらしいのだ。

ところで私はドキュメンタリー映画を見るのが好きだ。辞書によるとドキュメンタリーとは「虚構を用いず実際のままを記録したもの」らしいが、私は幼い頃からその概念が理解できない。「実際のまま」という事の意味がわからないのだ。最近になって少しずつわかりかけている。「実際」は実際どこにあるのか?私は探した。「実際」などどこを探しても見つからなかった。しかし諦めて帰路につく頃それは現れだした。どこも探さない時にだけ「実際」は現れたのだ。しかしそこに現れる「実際」は全てが虚構で出来ていたのだ。そうして「実際のまま」というのは大した事がないのだと確認でき、私の疑問は消えた、というより変化した。虚実が入り混じるなどという表現があるが、私は虚の中に浮かび上がる蜃気楼が実なのだと捉えている。だから私はドキュメンタリー映画を「アブストラクトシネマ」などの実験映像を見る時と同じ構えで見ている。そこには作家の匂いと目と性器が映っている。それは「実際」(頭の中だけに存在する他人によって作られた実際)よりも実際だ。そういう次第で私は昔からゴンゾー・ジャーナリズムというものに興味を持っていた。ゴンゾー・ジャーナリズムとは1970年代にハンター・トンプソンが書いた諸々の記事を評して生まれた言葉だ。ゴンゾー・ジャーナリズムは主観的な記述を特徴とするスタイルで、本質(私の実際)を炙り出すため時にフィクションが用いられる。つまり客観的という蜃気楼(頭の中だけに存在する他人によって作られた実際)なんかクソ喰らえだと言うことである。ゴンゾー・ジャーナリズムという言葉が生まれるはるか以前フランスにミシェル・レリスという男がいた。彼はジョルジュ・バタイユに進められ民族学者マルセル・グリオール率いるダカール=ジブチ調査団(1931−33)に参加する。そしてそこで日記ともフィールド記録とも言える何かを書いてしまった。それが「幻のアフリカ」として出版されることになるが、そこにはその日起こった出来事だけでなく、滞在中見た夢や、オブセッション、主観的な人物評、昨日夢精しちゃった、などの記述が混在して学会で物議を醸した。この出版で彼はグリオールと絶交することになる。私はゴンゾー・ジャーナリストとして詩人として、そして言語を患った人間として彼のことが気になっている。因みに彼は岡本太郎とは、マルセル・モースの兄弟弟子である。

ところで過去の私の二つの小説風は「意味がわからない」「無意味」「言葉遊び」という言葉で評されるべきものであり実際そういった反応があったが、それは言語の厄介な側面との格闘の痕跡だったとも言えるだろう。私は「りんごが落ちた」などという時に表現されている宇宙的大事件を「りんごが落ちた」としか言うことが出来ないたぐいの狭苦しさが嫌でたまらなくなり、どうにか言語化出来ない部分を言語化できないか励んでいたのだが、結果として「文字化け」してしまったという次第だ。人々が「りんごが落ちた」というあの事件は「一つの時代が終焉した」と言えたかもしれないし、「チャンカラポイポイチンっ」とも言えたはずだ。更に微細な領域を生きていると「三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く死に死に死に死んで死の終わりに冥し」(空海)という言葉が出てきたかもしれない。しかしそれらは「文字化け」してしまう。しかし私はそれらを「文字化け」だとは思わない。なぜなら実際には言語は現実のほんの少ししか炙り出さないのではなく、現実を作ってしまうからだ。これは嘘も繰り返し言えば本当になるという話ではない。現実というものがどれだけ言語の制約を受けて出現しているのか?という話である。ある事件を「りんごが落ちた」と言ってしまえば現実は「りんごが落ちた」ことになってしまう。しかしそれはそこで起こっている事を「りんごが落ちた」という物語の形にして安心しているだけである。しかし本当はそこには「宇宙が破裂した」ほどの衝撃がある。

こういう事を言うと、「「りんごが落ちた」事を「チャンカラポイポイチンっ」と言っても誰にも通じない。それはりんごが落ちたのであり、言葉の意味は共同性を帯びているから自分勝手に使うことはできない、それはただのナンセンスである」と言われてしまうかもしれない。それは「りんごが落ちた」事をりんごが落ちたとしか認識出来ないという宣言でしかない。ここで言う「チャンカラポイポイチンっ」はりんごが落ちた事をそのまま意味しない。実際何も意味しない。「りんごが落ちた」が取りこぼす、かの事件の他の面について「チャンカラポイポイチンっ」と表現しているのだ。それを表す言葉が未だ存在しない時、我々はあの手この手でそれを言語化しようと努力する。それは頭の中だけに存在する他者の物語の犠牲にならないためにである。その微細な領域は通常言語の使用者が「無」や「神」の一言でうやむやにしている領域であり、多くの芸術家が迫った場所である。そこには「無」の一言で片付けるにはあまりに莫大な数の無が蠢いているのだ。「無意味」の領域は「意味」の領域より遥かに大きく多様だ。芸術に携わるものはその莫大な空間と対峙していた。それは人々の意識に上る前の段階で無視される。私は彼ら芸術に携わるものが経験した悲劇を繰り返すため言葉を使い言葉に出来ないものを生み出そうと思った。そして流れるままにそれらを記す内にそれをせき止める力に出会った。そもそも何かを言葉にするという事は全て蜃気楼なのだ。全ての言葉は言葉に出来ないものを表している。それが言語の厄介な側面である。広大な無の領域を言語化する作業は「実際に起ったこと」という蜃気楼との戦いである。「実際に起ったこと」というのがどれだけ言語の成約を受けているのか?そしてその制約からいかにして開放されることが出来るのか?という生き死にに関わる大問題との格闘なのだ。

「抗体詩護符賽」というエッセイ風はゴンゾー・ジャーナリズムとして「私」という場を取材対象とする。TEZ(テンポラリーエゴゾーン)への参入記録としてこの冒険は始まる。つまりエッセイである。私と言う現象は断片的に必要がある時にだけその都度立ち現れる。長期政権は必ず腐敗する。故にTEZとして現れる私にのみ同行した。その内側から見えたものを書いてみようという試みである。そこでは抗体=免疫=私、としての詩が書かれた護符が虚空である神に向かって捧げられる=賽、光景が見えることになるだろう。そして護符は燃やされる。「抗体詩護符賽」それは癒やしへの危険な道のりである。

いいなと思ったら応援しよう!