【紀行】桑原史成写真美術館(津和野)
何度か赴こうとして赴けなかった場所…というのもあって。
こちら「桑原史成写真美術館」もそのうちの一つ。
津和野町立…ですからね。
本来、報道写真家として著名な活動をされる桑原センセイ。
作品には「はっ!」とさせられるものもあります。描かれる内容に感じるアンビバレンツな部分…とでも言うんでしょうか。漫然と眺めて思うことは、土門拳センセイが突き詰めて描こうとした「リアリズム」でしょうかね。
植田正治さんが鳥取砂丘で家族を並べて写した写真をして、「芸術性は認めるものの…それをしてリアリズムとは換言し難い」とされた、アレですわ。
他方、土門拳さんは戦後間もない広島に赴き。ヒバクシャの写真を撮るわけで。「これぞリアリズム」と撮り描く。
戦後昭和20年代以降、しばらくの間。
写真誌に投稿される写真が、おびただしい「貧しさ」や「(戦災の)醜さ」。社会的な正義を写真で表現する為、単に「うつくしくないもの」のオンパレードになっていく経緯から、土門拳センセイはその姿勢をご自身で一部否定もされます。
「報道写真」とは見る者をして、導引するベクトル(方向性)を提示していなければならない…のは至上の事柄。いわば必須要件なんでしょうね。写真がそれを表現するのか、写真につけられたキャンプションがそうなのか。
今も続く「卵が先か鶏が先か」のお話しでございます。で…。桑原センセイの場合はというと。
どーですか…「社会正義と報道の意義」さておき。
「写真家への登竜門」をくぐりたかったのよ、センセイはさ。これはこれで正直で宜しい。(と、小生も思います)
桑原史成先生の写真で…どれだったか指摘できないものの中に。田舎で農作業、田んぼに立ってる農婦人(田植だったかね)の写真を撮ってるヤツがあるんですけどね。そのご婦人が、素朴でイイ顔してるんです。
ゆえに、桑原センセイにも、(登竜門のために)撮りたい写真と。撮ろうと思って、撮った写真と。二種類あるんだなぁ…と思ったことがありました。
求められる写真、それを仕事の対象として撮ってる写真。表現の方法と、実際に写真家として成立するのかは、別のハナシということを感じます。
職業写真(学校で撮る集合写真とかね)の延長線上に、報道の必要性から生まれた「報道写真」もある、っちゅー事でしょうか。
出典と被写体となった罹患者の目の光…。説明が無ければ、各々心に思い描かれる印象は変わって来ます。これ。捉え方の問題、ということでしょうかねぇ。
腕も無ければ、心に残る表現というものも無理からぬ事。「報道写真」による写真表現の真髄がそこにはある、と。思いつつ、写真美術館を後にしたのでございます。
目に光…かぁ。
GODOXのストロボ買ってデイライトでいっちゃいますか。。(全然ポイント外れてます)ごめんなさい、桑原センセイ。
てなわけで、本日はここまで。(合掌)