クミとムレ
「報道写真」といわれてイメージするコト。
暑い中、警察関係者が開いた記者会見。痴話喧嘩が嵩じて、加害者の男が恋人の女性(被害者)の首に手をかけて殺害後。遺骸を車に載せ、隣県の山道に運び、被害者を遺棄した経緯を説明する、当該事件担当の本部長。
本部長の顔を撮っても事件に進展はないけど…撮って報道することがソノ写真に求められた役割。で、汗まみれの本部長の薄くなった額にねっとり光る汗。そんな暑苦しい顔写真が翌日の朝刊に載る。
そーいう写真が「報道写真」だと思っておりました。
高校野球で泣きながら甲子園の土を掻き集める高校生の姿、だの。ホテルの地下駐車場からまともな稼ぎでは買えそうもない車に乗って、サングラスやマスクをして出てきた芸能人とか。
スポーツ・オリンピック(競技大会)。ライブハウスにレースクイーン。商業写真は報道写真にもなりうるものだ、とばっかり思ってたんですけど…どうやら違うみたいです。
写真週刊誌フライデーは、1984年11月09日の創刊。先行のFOCUSが1981年。で、FLASHがそれに続くわけですが。「写真週刊誌」に見る、「写真」→「写真」→「面白おかしく書いてある記事」という流れで。
時には記事を読んで二度見したり。あるいはかえりみる事もなくページをめくる合間合間を飾る写真こそが、元祖「報道写真」であり。戦前戦後の「LIFE」や「TIME」、わが国ではアルス社による「カメラ」「芸術写真研究」誌であったわけです。
グラフ誌や被写体を特化して発刊されるものは、また別のジャンルとなりますが。商業写真、良くも悪くも売れる写真。芸術としての写真は、切り離された客観的な印象を記事で輔弼する報道写真の写実性と、深い縁を持っている…というお話でございます。
実際、写真だけを写真週刊誌から切り離してならべてみて…切り離す前に読んだテキストが思い浮かぶかどうか。知ってて文字に表してこそ、はじめて撮られた写真にストーリーがついちゃうわけですな。
これ、「組写真」というんだそうです。
「報道写真」に於いて記事となる文章は必須で、文章に誘われるが如く写真が意味を持たされることになります。
また、逆に。
なんの脈絡もない…たとえば、今日は2019年04月25日のZoomZoomスタジアム、広島×中日戦の写真を並べております。
先発・ロメロと広島は大瀬良。この日は接戦だったのか、勝ったのか負けたのか…もー忘れてますけど(笑)これらの写真はキャンプションや添付のテキストによっては「報道写真」にもなります。
ところが、添えられる言葉(あんまり得意じゃないんですけど)が、詩だったり。思い出話だったりすると写真の意味が変わってきます。これ「群写真」と云うそうです。
「組写真」が「報道写真」であると説いたのは、「名取洋之助」。「群写真(むれしゃしん)」と自身の写真を位置づけたのが「東松照明」。
昭和20年代半ばから30年代にかけて、「渡辺 勉」氏が「報道写真」を変える「新しい写真」の旗手に、「東松照明」氏を掲げた所。憤然と反応した大御所「名取氏」。
実際に採り上げられた「東松」氏、三者の間で取り交わされた「報道写真」をめぐっての、写真論争でございました。(わりと著名らしい)
写真の位置づけに関して、戦前世代と戦後世代の方の趣が異なってきた時のお噂。やがて、巨匠や商業写真家の写真が「作品」として。売りもの・買いものとして活況を呈する以前のオハナシです。
かつて、絵画の巨匠ドラクロワは世紀の発明写真による芸術的な起用に関して…写真が余さず現実を描き出すことと比して「絵は描かれた結果から精神が精神に対して話しかけるのであって科学(写真による表現)が科学(映し出された被写体と観るモノ)に話しかけるモノではない」
と、語ったとか。
写真に絵は勝てるのか、絵は写真を打ち負かしたのか…。絵はがき(写真)を元に描かれた絵はドラクロワ先生…どう評価するんだろう。
ド:
「馬鹿もん!『絵』として描かれた時点でそれは『絵』じゃ!」とか?
く、くるしい…。卵が先かニワトリが先か、的なことですな。(笑)
本日ここまで。広島vs中日戦を「群写真」にてお届け致しました。(中日だったんですね…オソマツ様)