第3章. 第4次産業革命
■ 資本主義のシステム構成
前章では、イギリスで「産業革命」が起こり、「資本主義」が成立する歴史
を見てきました。
それは、あくまで「イギリス」という国の特徴を反映した出来事でした。
それが何故、国際的なシステムとして拡散したのか?
ここではこの問いに答える前に、「資本主義」をより良く理解するために、
「資本主義」を構成する諸要素との関連をシステム構成図として、図示して
おきましょう。
■ 「産業革命」の波及
さて、最初イギリスで始まった「産業革命」は、その後世界各国へと波及し
てゆくのですが、それは様々な様相をともなった過程でした。
イギリスの「産業革命」は、その後、石炭と蒸気機関とによって本格化し、
「資本主義」が急速に発展して工業社会への転換を最初に成しとげますが、
イギリス政府は、当初その技術が他国に流出することを望みませんでした。
1774年には機械輸出禁止令を出し、他国や植民地への機械輸出と技術者
の渡航を禁止したのです。
翌年アメリカ独立戦争が勃発、続いてフランス革命とナポレオン戦争という
激動の時代を経て、1825年にその一部を解除し、43年になって、よう
やく全面廃止しました。
これによって、ほぼ1830年代からヨーロッパ各国の産業革命が開始さ
れ、まず1830年に独立を達成したベルギーが産業革命の段階に入ります。
さらに7月王政時代のフランスの産業革命が続き、ついで40年代にドイツ
の産業革命が、60年代にはアメリカが産業革命期を迎えたのです。
アメリカとフランスについて言えば、「産業革命」に先立ち、「市民革命」
による「自由主義」の思想が先に普及しました。
「経済学の父」として「アダム・スミス」の名を不朽のものにしたのも、イ
ギリスの支配から独立を求めたアメリカでの事です。
この様に「資本主義」思想は先に伝わっていたのですが、産業資本家の資本
蓄積が充分でなく、かつアメリカでは黒人の「奴隷制」が、またフランスで
は、1793年まで続いた「農奴制」によって労働賃金が低かった事などが
「産業革命」の進展を阻害したと考えられます。
ドイツとアメリカの産業革命では、当初から重工業部門を中心としており、はじめから第2次産業革命としての性格を有していました。
ロシアの産業革命は、ようやく1860年代に農奴解放によって社会の近代
化をはかり、先進国の技術を採り入れて上からの産業革命を進め、1890
年代になって工業化が進みましたし、日本の産業革命も1890年代以降の
日清戦争・日露戦争の時期からです。
この様に、イギリス以外の国の「産業革命」は、それぞれの国内事情によっ
て様々な過程を辿っており、けっしてそれは国内で内在的に発生したもので
はなくて、主に軍事的な理由から、国家的な事業として展開されたと云う事
ができます。
私達は「世界史」を教科書によって最初学ぶのが普通なので、「資本主義」
の事を「自由主義」や「民主主義」と同義語の様に感じている人が多いので
すが、それは明らかな誤りなのです。
日本の「資本主義」は、次期壱万円札の肖像に決まった渋沢栄一が活躍した
明治初期に遡るのですが、「自由主義」や「民主主義」が根付くのは、大正
デモクラシーの時代を経て、第二次大戦後になってからの事です。
それは、戦後アメリカの影響によるものなのです。
従って、「資本主義」とは「自由主義」や「民主主義」と直接的に関係する
ものではありません。
イスラム圏の王政国家や、「香港デモ」で騒動の中国の様に、「資本主義」
の仕組みを取り入れた「非民主主義国家」も数多く存在しています。
この様に、政治制度としての「自由主義」や「民主主義」の普及が限定的な
のに対して、経済制度である「資本主義」が世界各国に波及しているのは、
何故なのでしょうか。
端的に言えば、それは「国際通貨制度」と「自由貿易主義」との関連です。
そして、これこそが現代世界経済で大問題の「保護貿易主義」と対立するのです。
人々が「資本主義の終焉」を予感する理由の一端が、ここにある事がご理解
頂けたでしょうか。
■ 「産業革命の発展」の歴史
次に現在の「第4次産業革命」に至る、「産業革命」の歴史について見てお
きましょう。
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