第2章. 資本主義と産業革命
■ 錬金術と産業革命
「産業革命」は、何故最初イギリスから始まったのでしょうか?
この章では、まずこの問いから始めようと思います。
イギリスの産業革命は1760~1830年代まで比較的長い期間に渡って
斬進的に進行しました。
技術的には、ジョン・ケイによる飛び杼の発明などの技術革新が進み、紡績機による織物の機械生産が可能になったことが、その始まりです。
また一面で、イギリスの宗教事情も関係しているといえるでしょう。
カトリックは神学に関わる神秘性で成り立っており、科学を否定したことで
錬金術などは公に役立つ技術に発展しませんでした。
一方、プロテスタントは神秘主義を否定したことで、呪術的な印象の錬金術
を否定していました。
イギリス国教会は、プロテスタント系ながらカトリック的要素を含んでいた
ことで、錬金術も社会的に認められ、近代科学へと発展して、産業技術が育
まれたと云われています。
しかし、「なぜ産業革命はイギリスで始まったのか?」
この問いに対して、単に錬金術が近代科学へと発展していただけでは、説明
として十分ではありません。
近代科学だけが、産業革命に必要な条件ではないからです。
■ 人間から機械へ
業種の側面から言えば、産業革命は繊維業界から始まりました。
ジョン・ケイの「飛び杼(1733年)」、ジェームス・ハーグリーブスの「ジェニー紡績機(1769年)」、リチャード・アークライトの「水力紡績機(1769年)」、サミュエル・クロンプトンの「ミュール紡績機(1779年)」などが代表的な発明品です。
人間から機械へ ― この疑問に答えるには、産業革命からさらに数百年歴史
を遡らなければなりません。
イギリスでは13世紀に『マグナ・カルタ』が制定されました。
これは無謀な戦争に辟易した貴族たちが、国王の権力を制限し、法で縛るも
のです。
14~15世紀、ヨーロッパではペストが大流行しました。
ペストによる農民人口減少で、貴族達は深刻な労働力不足に直面しました。
荘園で働いていた小作人たちは、よりよい待遇を領主に求めるようになり、
それが叶えられない場合には、別の荘園へと逃げるようになったのです。
こうして、イギリスでは封建的な秩序が弱まり、自分の土地を自分で耕す
「ヨーマン(独立自営農民)」が登場しました。
筆者は「資本主義」への源流が、この独立自営農民にあると考えています。
その後、15~16世紀になると、貿易が本格化してきます。
当時のイギリスにとって、いちばんの輸出商品は毛織物でした。
しかし、イギリスは小さな島国なので、羊を飼うための土地が足りません。
そこで、地主(ジェントリー)は小作人から強引に農地を没収し、柵で囲い
込んで中で羊を飼い始めます ― これを「囲い込み運動」といいます。
この乱暴な囲い込み運動こそが、資本家と労働者誕生の契機となりました。
つまり、土地を追われた農民たちは労働者に転化し、その労働者達は毛織物
工場での「工場制手工業」(マニュファクチュア)に吸収されていきました。
つまり囲い込み運動は、労働者階級を誕生させると同時に、工場という生産
手段を所有する資本家階級も誕生させた訳です。
(資本の本源的蓄積)
こうして作られた毛織物が、その後重商主義時代の、主要な輸出品目の一つ
になりました。
16世紀、ヘンリー8世によるカトリック教会との決別も、封建制の崩壊に拍
車をかけました。
きっかけは妻との離婚なのですが、カトリック教会ではそれを許しません。
そこで彼はローマとの関係を絶ち「イングランド国教会」を立ち上げました。
このとき、全農地の約1/4を管理していた修道院の所有地が没収され、下級
貴族や商人たちに売却されたのです。
このような封建秩序の弱体化により、土地の所有者と小作人との関係も変化
しました。
あらかじめ決めた固定的な率で、長期間の契約を結ぶことが一般的になった
のです。(小作人→労働者)
ヨーマン(独立自営農民)はもちろん、新たに土地所有者となった貴族や商
人たちは自分の土地への投資に真剣に向き合いました。
土地からの生産量が増えれば、収入増に直結したからです。
また長期契約の存在によって、小作人達も生産性の改善に取り組みました。
領主に納める収穫量が決まっているのなら、収穫を増やせばその分の利潤を
自分の懐に収めることができたからです。
(農業の資本主義化)
このような生産性の向上が数世紀にわたり続いた結果、18世紀のイギリスの
農民は世界でも飛び抜けて豊かな生活を手に入れていました。
ここで思い出して欲しいのは、産業革命が繊維業界から始まったことです。
当時のイギリスでは、農民でもお茶のような贅沢品を消費できるようになっ
ていました。
年に1回はシャツを新調しようと考えるような、消費財の市場が成立してい
たのです。
(市場経済の成立)
また、産業革命における発明の数々が「労働を機械に置き換えるもの」だっ
たことを思い出してください。
当時のイギリスは世界でもっとも賃金の高い地域だったのです。
賃金が高かったことから、労働者を雇うよりも、機械を使うことで利益を
出すことができたのです。
古代ギリシャやローマでは、奴隷制が経済を支えていました。
労働力は無償だったので、機械に置き換える動機は働かなかったのです。
さて、「安価な労働力の利用」という点では、イギリス東インド会社の事業
も無視できません。
当時はインドでのイギリスの植民地支配が進展していたころで、イギリス東
インド会社が人件費の安いインド人を使って、インド産の高品質な綿織物を
大量に欧州に輸出し、ぼろ儲けしていた時期です。
(商業貿易資本の資本主義化)
このため、イギリス国内の織物業者は、市場を奪われて、業界滅亡の危機に
立たされていたのです。
そこに目を付けたのがジョン・ケイでした。
苦境に立っていたイギリス国内の織物業者もジョン・ケイの飛び杼に飛びつ
き、最終的にはインド産よりも安く生産することに成功したのです。
飛び杼のために、会社は持ち直したどころか逆に大発展しました。
しかしながら、ジョン・ケイは機械化によって失業した労働者に襲撃され、
フランスに逃げ出すなど悲惨な目に会って、失意のうちに死去しています。
機械化によって人手が少なくて済むようになったからです。
初期の産業革命では、労働者の失業者数は増えてしまったのです。
イギリスの失業した労働者達が救われるのは、産業革命がさらに進展して、
鉄鋼業などで大量の労働者を必要とするようになった後の事です。
■ 資本主義の錬金術
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