怖いものは大きく見える 15分の1の師匠になるとき
私は怖がりです。
ちなみに怖いというのは、どういう状態でしょうか?
単純にいえば、怖いと感じているものは大きくなります。
想像してみてください。
すごいスピードで自転車があなたの方にやってきます。「ぶつかる!!」あなたの目は自転車を捉えます。このとき、恐らく自転車は大きくクローズアップされているでしょう。
また、心配なことが起こっているとき、その出来事はあなたの中で大きくなっているでしょう。他のことが考えられなくなっているかもしれません。
これは楽しいことも同様です。たとえば、明日、とても楽しみにしているイベントがあるとき。明日のことを考えていると夜寝られなったりします。このとき、あなたの中では、「楽しさ」でいっぱいです。
人の意識は、出来事を大きくしたり、小さくします。
当たり前のようですが、これに気づくのは簡単ではありません。ちなみに、あなたの中で、最近大きくなっている出来事はなんでしょうか?
私は毎月一回、藤田一照老師の「無心のマインドフルネス研究会」に参加しています。先日、参加していたときのこと。老師の姿が15分の1になったのです。正確には、15人分の1です。
これまで数年にわたって参加していますが、ずっと藤田老師の「圧」を感じていました。何を言っても否定されているように感じるのです。老師が怖い。ついには、言葉が出てこなくなりました。
参加するのが辛くて、研究会を止めようかとも何度も思いました。止めるのは簡単です。でも、こんなに苦しいのは、何か気づくべきことがあるのではないか。そう思って、この数ヶ月は何も話さず、ただその場に座っていました。
この日、研究会に参加されていたのは、15人くらいでした。参加していると途中で老師の姿がとても大きいことに気づきました。私の中で作り出していた師匠の存在の大きさが、実際の姿よりもとてつもなく大きくなっていたのです。
そのことに気づいたとき、周りが見えてきました。すると、師匠が15人分の1になったのです。15分の1だと、かなり小さいです。大きさだけでなく、声も小さく、距離も遠くなりました。心のセンターにおられたのが、目の端へと移っていきました。
このとき、はじめてその場にいられました。ようやく、一緒にいることが出来るようになったのです。
この瞬間、「私の目」から「わたしたちの目」へシフトしたのかもしれません。他の参加者や場の空気と自分が馴染んでいきました。それまで感じていた「師匠の圧」も消えていました。
「師匠に認められたい」と思っているとき、師匠の存在は大きくなり、その分、周りは小さくなります。
師匠が心のセンターに陣取っているとき、周りの存在を邪魔に感じます。他の参加者の意見もまったく聞けていませんでした。
これは「私の目」で見ている状態です。
そんな私に、いい考えが浮かんでくるはずがありません。
何を言うかが問題ではなかったのです。どうあるか。それが「わたしたちの目」でした。
あるお寺の坐禅会に参加したとき、ご住職が「松の木が松の木に見えるかかが禅の修行です」と話されていました。
「柳は緑、花は紅(くれない)」という禅語があります。柳は緑色。花は赤い。「そんなの当たり前では?」と思われるかもしれません。
ただ、人間は「先入観」や「偏見」など、さまざまな色眼鏡を持っています。そのとき、あるがままの姿は見えていないのです。
私も、師匠を尊敬しているだけに、存在が大きくなりすぎていたのでしょう。それが怖さであったり、余計な圧を生み出していたのです。
「苦しみ」は、そうやって生まれます。
ただ目の前に見えている姿が、本来の姿だとわかるのは、簡単ではありません。体験している世界をそのまま受け止めるという、訓練が必要です。
その訓練の一つが「わたしたちの目」です。
前回から「私」から「わたしたち」へのパラダイムシフトについてお伝えしています。
前回の記事はこちら
↓ ↓ ↓
IからWeへのパラダイムシフト 私の世界からわたしたちの世界へ
https://note.com/zen_akano/n/nae377711916c
ぜひ試して欲しいことがあります。
怖いと感じたとき、対象や出来事の大きさはどうなっているでしょうか。まずは、気づいてみてください。
もし大きくなっていたとしても、否定する必要はありません。気づいたら、周りへと意識を広げてみましょう。出来事や対象の大きさはどうなっていくでしょう。
また、何かにこだわっているとき、意識を周りへと広げてみましょう。こだわりは、意識が作り出した最たる現象です。何か特定の物事があなたの心を独占しているとき、それはこだわりという意識に占拠されています。
もしこだわりに占拠されていても、そんな自分を否定する必要はありません。まずは、ただ気づくことです。そして、今起こっているさまざまな出来事や周りの景色へと意識を広げましょう。それがどんなに大事な出来事でも、実際には、生きている世界の中では、ほんの一部なのです。実際には、こだわっている出来事のサイズはもっと小さいのです。
怖さやこだわりが本来の大きさになっていくとき、あなたの世界はどうなっていくでしょうか?
ぜひ試してみてくださいね。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。いかがだったでしょうか?
ちなみに、「すごいもの」も大きく見えます。逆にいえば、「大したことがない」ことは、ちっぽけに見えます。あるいは、見えてさえいないかもしれません。
若い頃、仕事で人とお会いしたときに、私のことにまったく関心がない人がいました。側に「すごい人」がいたので、私はまさに「眼中にない」のです。存在を無視されたと感じたとき、すごく腹が立ちましたし、「こんな風に人を見ることはしまい」と心に刻みました。しかし、自分も同じようなことをやっていたのです。
人というのは面白いもので、自分がされて嫌なことを、無意識のうちに誰かにもやっているのです。それが「私の目」の特徴です。相手の嫌なところは見えるけど、肝心の自分は見えていない。
自分がやってしまっていることに気づくのは、結構難しいです。私も30年近くかかりました(笑)
まずは、あなたの目が世界をどう捉えているかに気づくことからはじめてみませんか。
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