素直になれないあなたへ 区別しないという生き方
コンテントとプロセスについて今回もお伝えします。
私たちは、日々の生活を区切っていることに気づいているでしょうか?
コンテントとは、物事の見える側面です。コンテントの言葉は出来事や目標を表現します。実は、コンテントというのは、物事を区切るという特性を持っています。
こちらは、コンテンツの一日の例です。
朝起きる。準備をする。通勤する。仕事をはじめる。会議をする。昼食を食べる。営業のプレゼンをする。嫌な上司に報告をする。家路につく。夕食を食べる。好きな本を読む。お風呂に入る。寝る。
目的やテーマによって、行動が分けられています。ここに好きな時間、嫌な時間などさらにジャッジが加わります。私たちは無意識にテーマとジャッジで時間や行動を区切っているのです。
コンテントの一日は、みなさんが普段過ごされている一日です。物事やテーマに分けて、いかに時間を上手に使っていくか。意味のあるテーマを効率的に能動的に取りくめる人がビジネスパーソンとしては優秀とされています。
ただ実は、コンテント中心で生きていると、かなり疲れます。また自分のエネルギー状態に敏感な人は生きることに息苦しさを感じます。
もともとコンテントは区切られているので、一時的には頑張れても、長続きはしません。コンテントを続けようとするとどうしても無理が生じるのです。
この心や身体の疲労を無視していると、エネルギーが枯渇して燃え尽きていったり、病気になって強制的にストップがかかったりします。
コンテントで区切ることは一見すると当たり前の生き方に思えます。しかし、今回はそれ以外の生き方があることをお伝えしたいのです。
本来、この世界には区切りはないのです。本来つながっているものをぶつ切りにして、この世界を捉えているのです。いかに区切りがなく生きるか。
それがプロセスで生きるというあり方です。
前回の記事でお伝えしましたが、プロセスは自分の中で起こっている気持ちや身体の状態であり、関係性の中で起こっているエネルギーです。
前回の記事はこちら
自分という世界の旅 まずは世界の端までいってみよう
実は、プロセスはコンテントとは違い、区切りはないのです。ずっと流れています。
プロセスを生きているというのは、今の気持ち、今の身体の状態、周りの状態などに気づき続けているというあり方です。なので、どこにいても、何をしていても、自分や周りの状態に気づいているということでは同じです。
テーマで区別しない生き方といってもいいでしょう。
私自身コンテント重視で生きてきました。コーチングのセッションではプロセスを扱います。また坐禅を組むときには、プロセスも感じるようにはしていますが、それでもまだ大半の時間はテーマや目的で生活していました。
「流れをテーマで区切っている」
そのことに気づいていなかったのです。
先日、食堂に車で向かっているとき、さまざまなことを考えていました。
人繰りをどうしようか?新メニューをどうしようか?また、今後の運営の方向性をどうしていくか?
そのとき、食堂を特別視していることに気づきました。食堂をことさらに他のことと区別していたのです。
食堂にはさまざまなテーマがあります。お金や損得へのこだわり、人間関係の難しさ、今後の運営方針をどうするか・・・
考えるほど悩みは増えます。また、自分へのこだわりが強くなります。そうして、息苦しくなっていくのです。
ただ、このときは別でした。食堂を特別視していることに気づいた瞬間、他と区別しないあり方という世界が顕れたのです。
それがプロセスを生きるということだったのです。
テーマではなく、自分に起こっていることをただ感じる。周りからのエネルギーを受けとりながら、身体が動きたいように動いてみる。
その日は、プロセス中心で過ごしてみました。
まず考える時間が減りました。すると、肩の力がぬけて、軽く動けるようになっていました。
もちろん、胸がキューッとなることも、肩に力が入ることも、辛いことも、嬉しいこともありますが、流れているプロセスは、どこにいても、何をやっていても、一緒なのです。
プロセスで生きていると、食堂への特別感が薄れてきました。結果的に執着やこだわりが減っているので、以前だったらとても苦しかったことが、穏やかになっているのです。
塊で捉えていたのものが、薄くなって透明な感じになっているようにも思います。
コンテント以外の生き方があります。一切を区別しないというプロセスを生きる道があるのです。
これは禅のあり方ともつながります。歩いている時も、食べているときも、寝ているときもすべてが坐禅であるとされています。坐禅とは、プロセスを感じて生きることと近いように感じます。ただ常に坐禅のあり方でいることは簡単にはできません。だから、修行が必要なのです。
あなたは、自分の思考や感情は好きでしょうか?
好きでないという人は、コンテントから生まれている区切られた思考や感情が強い可能性があります。
ちなみにコンテントで区切って生まれる感情と、プロセスから生まれてくる気づきは違うのです。
コンテントで区切っている世界にいると、思考的には安心します。ただ、これは他と切れているので、感情や身体は切れた感覚を生み出します。
それが寂しさ、孤独、不安、自己を防衛する言葉たちです。
一方で、プロセスという流れを感じていると、思考は違和感を覚えて抵抗を示すかもしれません。
ただ、区切りがないプロセスは身体や心に優しいのです。プロセスとつながっていると、安心感、他者への思いやり、自分にこだわらない言葉たちを生み出します。
この感情や言葉に出会うと最初は恥ずかしいと感じる人が多いです。でも、嫌いに感じる人はいません。
食堂の例のように、人は、テーマで区切り、好きなこと嫌いな事を特別視する特性(エゴ)を持っています。これが良い悪いではありません。ただこのエゴは放っておけば、肥大化していきます。
気がつけば、区別とジャッジと好き嫌いでがんじがらめになっていくのです。
そしてこのコンテントの区切りは人に対しても、自分に対しても苦しみを生み出します。
プロセスはこの世界を流れているエネルギーのもともとの姿とつながっています。もともとはひとつであり、区別はないのです。
いきなり「ひとつ」に戻れる訳ではありません。大事なことは、生きる方向です。
区切ってエゴを肥大化させる方向か、ひとつに戻っていく方向か。
あなたはこれからの人生をどちらの方向で生きたいですか?
次回はスポーツについてお伝えします。実は、スポーツこそ区切りが顕著に表れるのです。区切っていては、本来のパフォーマンスを出すことは難しいのです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
私は苦しみに敏感です。
苦しみは辛いだけだと思ってきました。なんで楽しく生きられないのかと。
これまでnoteでは、これまで何に対して人は苦しみを覚えるのか、違和感を覚えるのかということをお伝えしてきました。これはコンテントから生まれる苦しみを言葉にするアプローチです。
プロセスで生きていると苦しみが反転します。
実は苦しみを敏感に感じるというのは、違和感に対して素直だということだと気づいたのです。素直に生きるという世界が見えてきました。
素直とは、世界を「素」で受け止め、「直」に感じるということです。
コンテントの言葉で生きる苦しみを表現すれば、「私が抱える苦しみは辛い」です。
プロセスで表現すると、「世界とともに素直に生きる」です。
プロセスを大事にするというのは、私なりに辿り着いた一つの答えなのかもしれません。
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