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6年間在籍したLovegraphを卒業しました。そして、これからの写真人生。

標題の通り、6年在籍したLovegraphをこの2023年3月2日を以て卒業することになりました。公の場で名実の無い自分がこんな報告をしても余り意味がないと思いつつ、自分にとっては大きな節目となる出来事であるので気持ちの整理を込めてnoteを書いてみようかと思います。


1. なぜ卒業という決断に至ったか

周りからよく訊かれるのでいきなり本質っぽいところから行きますが、まず会社や組織に対するネガな意味合いで卒業を決めたわけでは一切ありません。

むしろ、私自身Lovegraphのカメラマン(以下、ラブグラファー)としては組織の中心で活動させていただくことも多く、2019年度には年間最優秀賞も頂いて、全国中の多くの仲間に恵まれ、端から見たら秀でて順風満帆なラブグラファー生活を6年もの間過ごさせていただいたと思います。

そんななか1年程前から真剣に卒業を悩み始めたのは「ラブグラフでの、フォトグラファーとしての自分の在り方」がきっかけでした。

2. 「写真家」と名乗ったあの日

ラブグラフでは毎年2月12日に「Lovegraphジャーニー」という会社創立記念パーティーが開催されます。そこでは年間の表彰者が数名選ばれるのですが、前述の通り自分はありがたいことに2019年度の年間最優秀賞(Best Lovegrapher)として受賞を頂きました。

現在ラブグラフは1,000名を超える集団になりましたが、当時はまだ400名程。それでも週末カメラマンとしてラブグラフに関わっていた自分にとって、光栄すぎてしまうくらいの賞でした。

受賞当時のTweet

情が厚すぎちゃう性格のため受賞の瞬間は嗚咽しながら泣き崩れていて、舞台では全体に向けて何を話したかはっきりと記憶がないのですが「偉大な先輩たちの背中を写真で見せられてきた。今度は自分がそういう写真で引っ張る姿を見せたい。」ということを言ったことだけはぼんやり覚えています。

登壇シーン(泣いててほぼ言葉出てない)

つまるところ「ラブグラフという枠組みを超えてより活躍していきたい、ラブグラファーではなく写真家の石川善一郎としてもっと戦っていきたい。」そんな風な意気込みだったのかと思います。
(何となくそれっぽいことが当時のインタビュー記事にもありました。)

3. もがき続け、空白を描いた3年間

自分の中で何かが止まってしまった

受賞直後の2020年2月下旬、コロナという言葉が世の中を伝い始めました。同時に巻き込まれるように本業の会社(前職)が急転。当時未経験からエンジニアに転職して歴が浅かった自分にとっては毎日付いていくのに必死で、ストレスフルな生活を送っていました。
(当時のことは人に言ってませんでしたが、精神科で適応障害と診断される程に病んでいました。今でもその時のことを思い出すのはトラウマ。)

コロナによって撮影機会を損失していたのは皆平等でしたが、自分は上記のことも相まって「写真について考える」とか「自分の写真に向き合う」ということがそれ以前に比べてすっかり出来なくなっていました。振り返れば、これが諸悪の根源だったのかもと思っています。

当時の余裕ない自分にとって、カメラを握るチャンスは週末のラブグラフの撮影に限られていました。
それでも受賞時の意気込みは忘れていたわけではなく常に「毎回ベストを更新するぞ!」という気持ちで全力でラブグラフの撮影に臨んでいました(技術ももちろんですが、ゲストへの想いもそれまで以上に)。

ラブグラフの撮影に対して、誰が何を言おうと誇りややりがいを持っているし、それは今も昔も1mmも変わりません。ですが撮り続けても撮り続けても、前に進めている気が当時は全くしません。

「前に進むって何なんだ」って話がそもそもなんですが、一意に決められる話ではなく、例えば自分の中の「代表作」がと言われるものが年月経ても変わらない状況も「前に進めていない」という実感の1つなのかと思います。

更にはその頃、追い打ちをかけるようにより凄いステージで活躍する人達を見て「妬ましさ」を覚えるという写真をやる上では1番良くない状況にも陥り始めていました。

何者かになろうとしていたあの頃

苦手なSNSを頑張ってみました。高度な写真編集を覚えようと講座を受けました。色んな表現を取り入れようと写真集を買い漁りました。スタイル変えようと機材を改めてみました。チームで企画して作品撮りをしてみました。どうにか出来た余暇にはフィルムカメラを持ち歩いてみました。

どれも大したことはしてないかもしれませんが当時の一杯一杯だった自分なりの試行錯誤です。しかし、結論どれも長続きしませんでしたし、どれをやっていても自分が抱えているモヤモヤが消える様子はありませんでした。

ある種の手段の目的化になっていて「これをやって何になるんだっけ」を明確にしていなかった上に「自分は何の写真を撮る人なのか」を心の中で決めきれていなかったのも原因です。

つまり、当時の状況を端的に表すならば「写真というものを武器にして、何者かになろうとしていたが、何者にもなれていない自分にうなだれていた」という感じでしょうか。

ただ、その状況は必然的というか、単に自分の思考放棄が招いたことだったかと思います。悩むだけで、考えることはせず、だから行動にも出せず、結果変わることの努力を何もしていない、なのに他人と比較して勝手にまた悩んでその繰り返し、本当にただそれだけのことです。

写真を撮るといえば基本ラブグラフだけでしたが、酷い時には写真を撮ることにも臆病になっていました。自分が撮った写真を、ゲストさん以外の誰かに見られることに恐怖心すら覚えていました。
ゲストさんは皆喜んでくれているのに、誇りある仕事を想いを込めてしているのに、自分の写真を自分が1番愛せていませんでした

2020年の撮影数は仕事とプライベート入れてたった30件。この2,3年、数はそんな変わらず。

4. 自分の中の写真の立ち位置

2022年を迎えてからも、特に状況は変わりませんでした。
この頃周りのフォトグラファーの友人達を見て改めて気付いたことの1つとして、本当に写真が好きな人達は当たり前のように日常生活の中でカメラを握り、ご飯を食べるように、いや息を吸うかのように日々撮影をしているということです。

「いや、お前もプロフォトグラファーやろ何当たり前なこと言うとんねん」と思ったそこのあなた、ある意味正解です。というかフォトグラファーたるものそれが正解であるべきと自論すら持っています。

ただ、元々カメラを始めた大学院の頃から、自分の中で写真は「私生活の『余白』を埋め、彩ってくれるもの」という存在でした(この「余白」というのは「心と時間の余裕」というニュアンスだと思ってください)。

見方を変えれば「『余白』が生まれないと自分は写真を意欲的に撮れない」ということです。
こういう書き方をすると「『時間ないから』と言ってやらないやつは時間あってもやらない」という話が連想されますが、無理やり休みを作って意図的にカメラを持ち出してみても、それだけでは心躍らない事実も自分の中では何度か確認済みでした。

「自分、写真をあんまり好きじゃなくなったんか」とも思ったりしました。

でも誰かと夜な夜な時間を忘れて写真やアートを議題に熱い話をすることは好きだし、誰かの作品に対する想いを知ったときには涙を流せるし、写真集や写真展で息を呑むような写真に出会ったら心臓の鼓動が聞こえてくる感じは今も昔も変わりません。

だからこそ自身に対し欺瞞な気持ちを抱くことなく、ただ純粋に、自分は写真が好きなんだと、淀みなく思えるんです。
こういうこと口にするのは恥ずかしいし、正直あまりしてこなかったし、上手く好きの理由を言語化は出来ないけど、どこか写真を始めたときから変わらない気持ちが、やっぱり自分の心の中には今もありました。

5. 転機となったきっかっけ

そんな心境の自分に転機があるのが大体こういう記事のオチかもしれませんが、人が生まれ変わったような出来事があったわけではありません。ただ、卒業という意思決定に至るまでに筋道となったきっかけのお話をさせてください。

1冊の漫画との出会い

昨年「左利きのエレン」という漫画に出会いました。友人からおすすめされて以来、人生史に刻まれるお気に入りの作品です。

(あらすじ)
凡人ながらも何者かになりたい一人の少年の朝倉光一と、繊細すぎるが故に前に踏み出せない天才少女の山岸エレンの出会いから始まる、広告業界とアート業界を舞台にしたクリエイター群像劇。光一とエレンが高校生だった1998年と、光一が駆け出しのデザイナーとして仕事に苦悩する2008年の、二つの時間軸が交錯しながら進行する。

出典:マンガペディア

天才になれなかった全ての人に贈る」という強気な作品メッセージが読み始めた当初から印象的でした。凡人側の朝倉の悩み葛藤は、少なからず当時の自分の胸中を言葉にしてくれた気がしました。

かといって朝倉と自分が全く重なった存在かというとそうではありません。自分なんかよりも朝倉の方がよっぽども寸暇を惜しんで努力し、数々の天才たちと向き合っている登場人物として描かれています。そんな朝倉でさえ「何者にもなれなかった」と挫折し苦悩を抱えながらも前を向く姿に心打たれたのを覚えています。

あまりこの作品について語ってしまうとネタバレしてしまうので、これ以上触れることは控えます(気になる方、いやフォトグラファー含めアーティストの皆さんには特に読んでほしいなと勝手に思っています)。

気付いたらスクショばかりになってた

SNS等の普及により「天才vs凡才」のような優と劣の構造が目に付きやすくなってしまった現代、他人と比較することもかつてより容易になったと思います。例に漏れず自分も「自分=凡才=劣」と勝手に方程式を立てて写真に対する行動を抑制していたのも確かでした。

もっと言えば何かやったけど劣っていると思われたくないと言う、つまらないプライドみたいのがあったのかもしれません。ダサいですね。

そんな自分がこの作品に触れ「他人と比較しなくなった」という状態に改善されたのではありません(正直まだまだこの病気は治りません)。
しかし「黙ってやり続け、例えどんな状況でも自分やっていることを誇れよ」という作中のメッセージが、意味もなく走り抜けてきたと思っていた自分に刺さったのは事実です。
(文字で書くと至極当然なことに影響受けているようで恥ずかしい)

涙流したシーン

恩人の言葉、そして写真

自分がラブグラファーになる前に写真の「楽しさ」を教えてくれ、自分がラブグラファーになった後に写真の「深さ」を教えてくれた恩人が居ます。

彼もラブグラフの黎明期を支えた1人でありながら、現在は写真家として活動されており自分が昔から尊敬する人でもあります。

そんな方から前述した2020年2月の受賞後に、お祝いとして額装した写真を頂きました。

「写真家の写真家に対する最大の賛辞は写真である」
当時、こんな素敵な言葉を添えながら。

2020/03/12:写真を贈ってもらった日

もちろん頂いた写真は部屋に飾らせてもらってました。が、写真を見る度にどこか後ろめたさも感じていたのも本音で、理由は前述の通りの前に進めていない苦悩が故でした。

ですが、写真というのは不思議なものだと思わされたのは、昨夏引っ越した時のこと。
人を招けるようなもう少し広く明るい家にしようとインテリアに拘っていた中で、あの写真をどこに飾ろうか悩み、結果ダイニングテーブルに添えるような形で置くことに決めました。

23/09/25:飾った途端何か「撮りたい」と思って珍しくカメラを出した

このダイニングは日中よく陽が差し込み、部屋中が明るくなります。それまでやや暗い部屋の片隅に置かれていた写真だったのに、今の家に飾り直した途端見え方がグッと変わりました。

目に触れる頻度、見え方、そういったものが変わった中で
この写真をもらったときに酒酌み交わしながら添えられた、もう1つ言葉を思い出しました。

「悩んだ末に迎える希望の光とか、明るい未来とか、この写真はそんな意味」

一言一句その通りの言葉だったかは、記憶が確かではありません。ただこのような写真に込められた想いを聴かされたことはしっかり覚えています。

2年以上という時を経て、身近にあったこの写真にどこか励まされた気がしました。同時に、やっぱり写真って偉大だなと思わされたし、こういう写真こそ自分も残していかなくては、と写真に背中を押された気がしました。

6. 自分にとって「ラブグラフ」とは

自分にとって写真は「私生活の『余白』を埋め、彩ってくれるもの」という存在です。この記事執筆のために初めてきちんと言語化しているものの、きっと写真を始めた当初とニュアンスは変わっていません。

前項で記したきっかけから、少しだけ前を向けた自分がいま考えていることは「これまで向き合えてこなかった自分」です。振り返れば色んな感情から逃げてきてばかりでした。だからこそ、このnoteを書いてまた少し前を向くことを決意しました。

そんな振り返りの中、自分にとってラブグラフとは「自分の人生全てを彩ってくれる存在」であったと思います。少しだけ、ラブグラフへの想いも書かせてください。

■同じ志を持った仲間に恵まれました。
全国どこ行ったって会う人に困らないくらい素敵な友人がたくさんできました。年齢や地域、性別を超え、大人になっても青春出来てしまうような時間を一緒に沢山過ごしてきました。泣きながら、写真の話もたくさんしてきました。尊敬も出来る、一生の友達も出来ました。この組織やコミュニティがなければ、今の自分はありません。

大人が全国から100人くらい集まって本気でやった泊まり込みの運動会
ラブグラファー同士のイベント写真は数え切れないくらい

■素敵で優秀な本社メンバーに恵まれました。
「幸せのプロ集団」を支える中枢として自分も業務委託で本社のお仕事に携わらせてもらいました。正直本業の傍らでやっている非力な自分に対し、ラブグラフに対する熱意とか想い1つだけで仕事を任せてくれました。素敵で、優しく、優秀なメンバーと共走出来たことは自分の社会人生活の宝です。

本社のお仕事卒業時、皆さんと。
Photo by masa.

■優しいゲストさんに恵まれました。
週末カメラマンだったので6年居て僅か121組のゲストさんしか撮影はできていません。それでも「ぜんさんの写真が好きで」という理由で高い指名料にも関わらず多くの方にご依頼頂きました。学生カップルから撮り始めた2人が結婚してとか、前撮り撮った2人に3人目4人目の家族が増えてとか「誰かの人生に寄り添った写真を撮りたい」という想いは自然と叶ったし、何より撮影通してゲストさんに成長させてもらいました。

遡ってみたらゲストさんとの写真ありすぎた。
これこそ愛でしか無い。

こうやって書いていると、自分は知らぬ間にラブグラフに人生の全てを満たして貰っていたのかもしれません。しかも6年もの間。

だから写真を撮る余白がなかったという訳ではなく、埋める余白もないくらい充実な6年間だったんだと思います。でも欲が出て、更に多くのものを求め、勝手に潰れていった自分が居たのも事実です。

ある意味ラブグラフに甘え尽くし、胡座(あぐら)をかいていた自分に対し
1度兜の緒を締め直す刻が来たのだと、自分と対話することで気づけた気がします。

それに対しての決意が、この度の卒業になります。

7. そして、これからの写真人生

写真よりも優先度が高いもの

こんな大見出しにしておいてなんですが、大前提ラブグラフを卒業した途端に寝食忘れるほど写真にのめり込むわけではありません(というか多分それは出来ません)。

まず大前提、本業のお仕事やそれに関わることにもう少し腰据えます。エンジニアという傍らなかなか世間に対し分かりやすいアウトプットを出してこなかったのも大いなる反省なので、今後は(noteじゃないかもしれないけど)Tech系の執筆も頑張ってみようと思っています。

まだまだエンジニアとしては未熟な立場ですが、こっちの方でもやりたいことが少しずつ明確になってきたので最近は楽しんで余暇に勉学に勤しんでいます。
(今後はTech系の方々とも交友増やして知見を広げていきたいと思っているので、もし奇跡的にこれをご覧になっている界隈の方いましたらゆるっとお話し出来れば嬉しいです。)

淡々と、強かに、そして楽しんで

ただ自分の中で写真でしか埋まらない隙間も、きっとあると思っています。

2023年を迎えてからこうやって自分と向き合う時間を得て、自分の写真について考えることもかつてより増えました。いま、あの思い悩んでいた時期に比べたら写真がずっと楽しいです。

かといって以前のように写真家として名を馳せてやろうとか写真通して何者かになってやろうという野心に燃えている訳ではありません。
むしろ「こんな風に撮ってみたい」とか「こうやって表現してみたい」とか、なんだかカメラを持ち始めたあの頃のような初々しい感情に溢れています。

しばらくは前述した「これまで向き合えてこなかった自分」をテーマに、淡々と、強かに、そして楽しんで、写真を撮れたらなと思っています。

写真の発信について

最近お会いする方々には「卒業後にはインスタに写真あがってくるんですよね?楽しみにしてます!」とお声がけ頂くのですが、結論Instagram(@zenichiro0419)は辞めます。

ただでさえ写真に臆病になってSNSにあげることをどこからかパッタリやめていた立場ですし、フォロワーを増やした先の明確なビジョンも自分にはありません。
加えて「ラブグラファーだったzen」が事前情報になって見る写真にバイアスが掛かってしまうのなら、現時点ではあの場を再活用して写真を発信していくことはまた自分の首を絞めるのかなと思っています。

決してラブグラファーだったことを後ろめたく思ってるわけではなく、1度自分の写真生活を周りの目等を気にせず集中したいのが理由です。

かといってネットの世界を断絶するわけではないし、これまでの自分と向き合って対話する意味でもこういったネット上のアウトプットは断続的ですが場所を選んでしていこうと思っています。
ただ、それはzenという名前ではない何者かもしれません(含んだ言い方ですが、深い意味はありません)。

Instagramを辞めるとこの6年もの間で繋がってきた方々と連絡ほぼ取れなくなっちゃいそうなんですが、都内近郊で元気に生きているとは思うので軽率に今後ともお付き合いの程よろしくおねがいします。

強いて言うなら、コロナで長らく出来ていなかった展示をどっかでやりたいなと思っています。時期未定ですが、やります(宣言)。

8. 結び

「卒業するし少し気持ちの整理がてらnote書いてみるか〜」くらいの軽い気持ちで書き始めたところ自分でも読むのが嫌になるくらいの長文になってしまいました。物書きをするのは実は昔からとても苦手で、もしそんななか懲りずに上から下まで読んでくれた人が居たなら本当にありがとうございます。

前述したように、本当に充実した6年間のラブグラフ生活でした。いい大人が20代後半から新たに青春させてもらって、死ぬほど何かに夢中になって泣いて笑って考えぬいた時間を多く過ごし、きっと息絶える時にもこの6年を思い出すんだろうなと本気で思います。

ラブグラフはCo-CEOの駒下が「写真を通して世界を平和にするんだ」なんて子供の夢みたいなことを創業時からずっと発信している会社です。でも、その写真の可能性を信じ、全国中から集まってきた仲間たちで紡いできた尊い組織でもあります。
その組織の一員だったことを誇りに思いますし、その組織の中で写真を撮る立場だけでなく人として成長させてもらったことばかりです。この環境をゼロから作ってくれた創業者の駒下、村田、宮村の3人には特に感謝しても感謝しきれません。

これからの自分がどうなるか、自分でもはっきりしないところがありますが、この6年間で培ってきたことを糧に写真はもちろん、写真以外のこともより頑張っていきたい所存です。

それでは、改めて、ラブグラファーのzenを6年間ありがとうございました!
またどこかで!

おまけ①

どこからか写真に対して臆病になってSNSにも撮った写真を掲載しなくなった、というのは上の方でも記載しました。なので「こんな写真撮ったんだよ見てみて〜!」というのをからっきり友人にすらしてきませんでした。

ですがこのタイミングで自分がラブグラフで撮ってきたアルバム達を見ていったら、このゲストさんとはこんなことあったなぁとか、撮影のときこんな想いを伝えてくれたなぁとか、思い出して愛に溢れることばかりでした。

だからこそ誰に隠すわけでもなく、自信持って色んな人に見てほしいです。
これらは「ラブグラファーのzen」の等身大の写真です。ありのままをご覧ください。
(ただ恐らくこのnote発信後に卒業処理して以下のリンク先は見れなくなっちゃうと思うので、残り数日限定です。すいません。)

おまけ②

お世話になったラブグラフなので、堂々と宣伝させてください。

今現在、自分がJOINした時期とは違って研修育成の期間がとても充実しています。「ラブグラフ素敵だな」や「ラブグラファー良いな」という気持ちがあれば門戸は開かれているので、ぜひ何かに挑戦して自分を変えたいとか写真を通して誰かを幸せにしたいと思っている方は、ぜひ1度採用ページをご覧になってみてください。

また写真を始めてから心が豊かになったり世界がきらきらして見えることが増えました。大学院まで理系で出ているような人間が答えのない写真という世界にここまでずっぷりハマるきっかけとなったのは、Lovegraphアカデミーという写真教室によるものです。自分の写真の全ては、ここからが始まりでした。

2016/11/13:カメラ買って間もない頃勇気出して1人で参加した。
でもこの日無かったら本気で今ないなぁ。本当楽しかった。

かつては1dayの受けきり教室で自分も責任者を務めてたりしたのですが、現在は月額制でメンターがつくようなオンライン写真教室になっていてよりしっかり写真を楽しく学べる場になっています。
超がつく初心者の方も安心です。「写真って、楽しい!」という感情をどこよりも植え付けてくれる場所だと思っています。興味ある方はどうぞ!

もちろん本家の出張撮影の方も!
ぜひ1回は特別な日に使ってみてください。「写真撮られるの苦手…」と思っていても終わってみたら「楽しかった!」ってなるのがラブグラフの良いところであり凄いところ。
写真はいつか「残しておけばよかった」と思う日が誰しもが来ると思ってますが、そういう後悔を出来る限りしてほしくない。だからこそ大事な家族、友人、パートナー、ペットなどなどとご一緒にぜひ素敵な写真を残してみてください(おひとりさまのプランもあるよ)。

きっと、素敵な撮影体験ができると思います!


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