子どもの虐待と、日本全体に蔓延する社会的ネグレクトについて
久々の投稿。日々の作家+運営している洋裁教室の業務に追われて居たのもあるが、いろいろだ~っと大量に見えてきた今、実に記述しにくい状態に。意図的ではないが・・外面的には冬眠状態です、ハイ。
さて昨年末から話題になって居るのであるが、 #ClimateStrike (気候ストライキ) を皆さんはご存知であろうか。
スウェーデンの16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさん がたった一人で、国会議事堂前に座り込みをしたところから始まった社会運動だ。
マガジン9の記事に詳しく書かれているが、12月に 国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP24)で 当時15歳の彼女が行った演説がふるっている。
「あなたがたは、子どもが何よりも大切と言います。でも その未来を奪っています しかも かれらの目の前で」
で始まる見事なスピーチを聞いて、唸る大人は多いのではないだろうか。
彼女は鋭く指摘する。
今すぐ動き出さないと危機的な状況なのに、ごく少数の人達が莫大なお金を稼ぎ続ける現在のシステムをなぜ、変えないのかと。
言い訳をしている時間はもうないのだ。
日本国内でも、もう内部崩壊と呼んでもいい状況が起こっている。
つい先日の小学校4年生のこどもが親に殴り殺された事件には愕然としたが、今や児童養護の仕事をしている人を「なにやっているんだ」と言える様な状況ではない。過去15年間で30倍以上に増えたこども虐待の増加に、社会養護の枠が追いついていないのだ。
京都市内でも学級崩壊の話は、普通にママ友さんから話を聞くことがある状態だ。教室内で答案用紙が紙飛行機になって行き交うが、状況を無視して一人授業を続ける教師。。隣の教室がその状況でも、お隣の教室の先生は助けに行かない。
こういう環境から、子どもたちは何を学ぶだろうか?
平穏無事と見える「普通」の学校であっても、同じだと思う。つい先日、あの悪名高い「放射線読本」を娘が持って帰ってきたが、一人の親としてこれを平気で配布できる学校を完全には信用しにくい。
先ず、今現在の「危機」から目をそらして、何が問題なのか知ろうとしない大人たち。
分かっていても行動しようとしない大人たち。
それこそが、子どもたちに対する巨大な暴力となって居るのだと思う。
「社会的なネグレクト」という、実に厄介なものが、自分の目の前に横たわって居るのを感じる。
確かに今はじまった話ではない。バブルがはじけた30年前、第二次世界大戦が終わった70年前、明治が始まった150年前。。
今は同様の区切りの時代、大きな分岐点なのだ。そこを踏まえたうえで、自分が何が出来るのかを考えて行動したい。