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Mine

2024/12/04 5:36の日記

プレイ終了から少し時間が経ってしまったけど、今回は「龍が如く7」ストーリーのざっくり私感。
ピンポイントですが念のためネタバレありとお断りしておきます。

ここから22:50くらいまでの若とイチのやり取り。
キツい。
若の人生がしんどい。
その人生の何がしんどいって、自分が本当に心底望んでいたことが
結局最後の最期でなきゃ気づかないままの人生だったのが辛い。


コメント欄に「本当の自分をわかってもらいたかったなら自分も努力しなきゃ」というものがあって
たしかにそれはそうなんだけど、この広い世の中、「本当は自分が何を望んでいるか」がそもそもわかっていない人間だって確実に存在する。


若が作中しつこく「絆」めいたものへの嫌悪感を露わにしていたから我々プレイヤーには一目瞭然だけども。


イチの「心の根っこの部分で繋がっちまってるからなんだよ!好きとか嫌いとかそんな割り切れた感情じゃねぇ!」って言葉を聞いて
若は生まれて初めて自分が本当に望むものに気づかされてしまったのだと個人的には解釈した。


イチのこの言葉を聞いた若が、銃口をこめかみに当てたままはっきりと狼狽する。
憎まれ口さえ叩けない。
その若を見て、彼の人生の残酷さに思わず呻き声が漏れ出てしまった。


――


反射的に強く忌み嫌うものの中に、本当は自分が心の根っこに抱えていた願いの破片が紛れ込んでいるというのは
多分人間が想像するよりももっとずっとよくあること。
破片だから、バラバラだから本人もそれがもともとどんな形をしてたかすら分からない。


自分が本当に望むものを全てきちんと把握出来てますって人は、それ自体が奇跡のような事なんだよ、と思う。
繰り返すけど、世の中「これが本当に自分が求めてるもの」「これが本当の自分」が
バラバラに割れてもう何が何だか分からないって人は確実に居る。


自分は自分が本当に望むものがわかってて、そのためにたゆまず努力しています、という人は
若にとっての家族愛(というものに若自身が無自覚に込めていた願望)のように
ちょっと聞いたり見たりするだけでも虫唾が走るほど苛立つことってひとつもないのだろうか。
ひょっとしたらそれは、遠いむかしバラバラになった自分の願いの残骸かもしれないのに。


龍が如く7の話からは逸れてしまうけれど、わたしには少なくともひとつ、激しく嫌悪するものがある。
ある時は我慢したりある時は克服しようとしてみたこともあったけど、現状どうにもなってない。
今ではさすがに自分の中で折り合いをつけて「自分には不可能な事」として諦めてはいるけど
その事は自分にとってかなり強い劣等感にもなっていて、諦めてるけど破片はまだそこら中に散らばったままだ。
わたしのその事が原因で結局人のプライドを踏み躙り、結果傷つけたこともある。


人が聞けばそんなことでと言うだろうし、きちんと諦め切れてないだけでしょと思う人もいるかもしれない。
正確には諦めてはいて、でも「それを諦めなきゃいけない自分」を受け入れるのが辛いんだろう、というところで自分を納得させている。


むかし、その事を人に話したとき、自分でも特に意識せず
「(それが不可能な自分は)真人間では無いように感じる」と言ったことがあって
結局のところ唯一の敵はそんな風にさらっと言えてしまう自分の心なんだろうと後々痛感した。


――


話を戻して。
若の人生がしんどいと冒頭に書いたけど、それでもやっぱり、たとえ人生の最期にでも
若がずっと欲しかったものをあんな風に本気で全力で差し出してくるイチと人生が交わったことは
若にとってはこれ以上ないかけがえのない幸福な出来事になっただろうなと思った。


若は気づいていないけど、若を一番憎み拒絶していたのは若自身で
どんな事をしてでも、人として超えちゃいけない一線を踏み越えてでも欲しかったものを
「おまえにそれを手にする権利は無い」と払いのけてきたのは他の誰でもない若自身で。


たくさん人を殺めてきて、自分の大切な人の命まで奪った相手に
それでも尚真剣に怒って真剣に泣きながら「貴方と自分の未来」について訴えかける人間が
いったいこの世の何処に存在するだろう。


ただの気休めの「大丈夫」じゃない。
そんな相手と一緒に歩いていく腹を決めた上での「大丈夫」なんて
言ったことある人いますか。


若が自分自身ですら持て余すその自分の弱さと狡さと醜さのすべてを
イチは自分の目でちゃんと見て、理解して、その上で「大丈夫だから一緒に歩こう」とその手を差し出すんです、無防備に。


とんでもなくファンタジーで、現実にはあり得ないと分かってても
このシーンで泣いちゃう人が多いのは、みんな心のどこかで
気休めじゃない「貴方は存在していて大丈夫」が欲しいんだろうなと思う。


――


こういう作品に触れるたび、自分はどうしてこのシーンで、この言葉で泣くんだろうとか
激しく苛立つんだろうとか考えるクセをつけるようになってから
知りたくもなかった自分の願望や欲求が少しずつ形をなしていくのが
どれだけキツいか分かりますかね?


わたしの人生には今のところイチが存在しないから
自分で破片を集めなきゃどうしようもなくて
その間他の地雷もうっかり踏んじゃうし、少し片付いたと思ってもまだあちこちに散らばってる。
分かったと思ったら見当違いで、死ぬまでこれが続くのかと思うと眩暈がする。


ただ、たまに本当にただの気休めで「大丈夫ですよ」と言ってくれる人には
わたしもきちんと節度を持って「ありがとう。貴方もきっと大丈夫です」と伝えたい。
相手に対してきちんと無責任でいるということも、それは誠実さのひとつだと思うから。
それにわたしはその気休めに救われることだって確実にあったので
ここで言っても仕方ないんだけど、いつかわたしに気休めを言ってくれた人には
あのときはありがとうございました、と、時間が経った今なら素直に思える。


ってゲームの話からちょっと飛躍してしまった。
最後に繰り返しますけども、上の動画でイチが「心の根っこの部分で繋がっちまってるからなんだ!!!!」って言ったあとの若にしっかり注目して観て下さい。何回でも。
自分の願いに本当に気づく事の惨さとはこういう事なんだと腹落ちするまで何度でも。


で、自分もこのゲームプレイしてここの若の演技がキツいって感じたんだよ……ってかたは
わたしは勝手に無責任に仲間だと思っておきます。