029_ひとりインフルエンザ 後編
「インフルだね、B型。休んでね。5日間だから」
医者は明朗に伝えた。
私はがっかりしたのも束の間、もやしが腐っていたわけではなくてよかった、と安心した。
帰り道、上司にメールを入れ、出勤停止が下った。風呂に入る前に、台所を片付けた。腐っていたわけではないビビンバをビニール袋に入れなければならないことに、心が痛んだ。食品を捨てることが、貧乏にとってどれだけ辛い経験か、分かるだろうか。
風呂に入り、タミフルを飲んで布団に潜ると、ベッドごと回り始めた。車酔いしているようだった。嘔吐の気配がして、トイレに駆け込み、また布団に戻ると視界がグルグルと回り始めた。
私は初めて、命の危険を感じた。
インフルエンザだけではなく、病気になったらまず体を物理的に休めることが大事である。
しかし、なかなかこれができない。
家族と一緒に暮らしているのであれば、どんなに良かったことか。食べ損なった食事の後始末も、「残飯をビニール袋に入れて捨てておいて」と言えば、やってくれる(かもしれない)。
ひとり暮らしの部屋に、家事をやる人間はいないのだ。だから、ついあれやこれやと家事や作業をやってしまうのだ。
そんなことで体を休めなかった私はその夜、タミフルを吐き戻し、布団の中でうめいていた。感覚としては、車酔いをしているのに荒波の船に乗せられ、「自立しろ」と言われているようであった。まともに歩くこともできず、食べ物がどれかもわからず、そもそも時計も判別できない。
インフルエンザのワクチンは、毎年12月ごろに打ってはいる。しかし、このとき罹患したのは4月だ。もうワクチンの効果は無くなっている。
私は呻きながら布団の中で口惜しんだ。折角何千円もするワクチンを接種したのに、効果がないでは無駄ではないか。
その後、私はインフルエンザワクチンの接種をやめた。保険と思いながら律儀に毎年接種していたが、予約を取るのも摂取しにいくのも、一人暮らしには面倒すぎた。公衆衛生としては、ワクチンを打った方がよいのだろう。
しかし、それでインフルエンザに罹患しないというわけではない。ワクチンの効果は、罹患したとしても免疫があるから症状は酷くならない、ということだと、先のパンデミックで学んだ。
ベッドが回る、グルグル回る。意識酩酊の感覚は、まるで乗り物酔いだった。いっそのこと、三半規管を一時的に外してくれ、と懇願した。
意識が戻ったのは、深夜2時だった。症状が発生して何日目かは分からないが、とにかく深夜2時に起き上がった。理由は、部屋の電気が付いていて、眠れなかったからだ。叩くように壁の電気スイッチを切り、水道からプラスチックのコップに水を注いで飲み、ついでにベッドの近くの窓を開けた。
心地よい春の夜の風が、ベッドに倒れた私の顔を撫でた。胃に無理矢理流し込んだ水が、各臓器に血管にゆっくりと染みわたっていく。
治療には情報が必要だった。換気をして室内の二酸化炭素濃度を下げたり、こまめに水分を取ったりすることが大事であることを、何一つ知らなかった。
そして、家事など体を動かして働くなんてことは、してはいけなかった。自分は大丈夫と甘く見て、意識酩酊してしまっては、命の危険があった。
最後に、孤独を感じないようにした方がよい。しんとした部屋で、このまま死んでしまうのか、と考えると気が滅入る。この世を去るなら、コレクションしていたモノたちときちんと決別する。それができるまで、死んではならないと強く心を持つ。
何かを成し遂げたいという気持ちは、意外と孤独に打ち勝てた。
微熱程度まで体温が下がったころ、ようやく外出して食品を買い込んだ。まともなご飯をしばらく食べていなかった。寝込んでいる間は、消化に良い食品を選んで買う気力もなく、目が覚めて少しでも食べれそうなときは、ストックしてある鯖缶を冷凍ご飯の上にかけ、レンジで解凍して食べていた。もう少し体調が良いときは、冷凍唐揚げも添えていた。
冷凍食品は、食生活のセーフティネットであると悟った。