032_ひとり温泉旅行 出発編
家を出発したのは、午後11時を過ぎた頃。私は約50km先の温泉旅館へ向けて出発した。
しんと寝静まった住宅街には、幸いなことに降雪はなく、道路は乾いていた。山道を歩く訳では無いが、冬用の靴ではなく軽量なスニーカーにしたのは疲労対策である。
少しでも装備品を軽くしたい。なぜなら、背負ったリュックには旅館で暇をつぶすための本が5冊入っているからだ。
リュックの中の本の、このチョイスを間違えた。本は1冊何キロもない。しかし、紙の束となるとそこそこの重さが出てくるのだ。それに、私が揃えた書籍は5冊中3冊がハードカバーであった。
しかも、600ページほどの長編小説である(その名は『同志少女よ、敵を撃て』)。そのほかにも、文庫本2冊に、部屋でくつろぐためのジャージが上下セットである。なんやかんやとリュックに入れていき、その総量は11キロになった。
重い。
非常に重い。
大きなリュックを選んでしまったのが、悪かったのだろうか。しかし、歩き始めた私に襲う後悔は、微々たるものであった。
そんなことよりも、これから夜通し休憩無しで、約50kmを歩くのだ。
こんな挑戦誰もしたことがなかろう、というアドレナリンで脳内はいっぱいだった。
良く見知った道路でも、夜の顔となると新鮮さが垣間見える。点滅している車道の信号に、日中は人が途絶えない駅の、照明が落ちている。駅はセキュリティのため、終電を送ると構内を締め切ってしまう。駅のロータリーにあるベンチには、この寒い冬空の下、酔っぱらいが寝ている。きっと南の国からきた人なのだろう。アルコールで火照った体に冬の夜風はさぞ気持ち良いだろう。しかし、うっかり寝てしまうと危ないのだ。一晩で凍傷した人をみてきた。吹雪けば、凍傷では済まされない。駅に隣接している警察官がパトロールを始めた。
私はそれを横目に、まずは海岸まで目指した。
私が辿ったルートは、最寄り駅から海岸まで行き、海岸から海が見える温泉旅館を目指すという経路だ。ほとんどが一般国道である。
日付が変わるまでの間に、JAFとパトカーを数えていた。交通事故は無く、一般車がハンドルを誤った単身事故が何件かあっただけであった。とても静かだった。冬の夜は、何の音も聞こえない。
私の実家は北国で、2月もとなれば積雪は優に3mを超える。一階の窓という窓には、外から板を嵌めて全面カバーし、つららによる破損を防ぐ。そのため、冬の1階はどこも暗く、明るいのはリビングくらいだった。
雪は、音を消す。高校生くらいの時、20時過ぎて下校したことがあった。私は駅前の図書館で勉強していたのだ。その頃から一人で作業するのが好きだったようで、気が付いたときには図書館が閉館の時間だった。幸い両親は仕事で家におらず、私は雪が降りしきる下校の道を歩いた。いつも登下校時に使っていた音楽プレーヤーは電池切れで、珍しく音楽を聴かずにただ歩いて帰った。1時間ほどであった。私を通り過ぎる車はあるが、それ以外に人の気配、動物や生きものの気配が何もないのだ。
空を見上げれば雪が飽きもせずに降っている。
道路に視線を落とせば、踏み固められた雪の上に、真綿の雪が積もっていく。その雪を踏むモサモサという音すら、その時何も聞こえなかった。
そういうときは、ふと疑問に思う時がある。
私は本当に、この世に実在しているのだろうか?
この雪のように、一時姿を結晶にして、あくる朝には液状となり、春には気化してどこかへ行ってしまうのではないか。いや、今まさにその変身の過程にあるのではないか。
寂しくなって、鼻歌を歌ったがすぐにやめた。渡っていた橋から川を覗くと、2級河川が凍っている。冬の夜はどこまでもどこまでも底が無く暗い。試しに雪玉を作って橋から投げたが、雪玉が壊れた音も破片もみることができなかった。冬の夜はなにひとつ音を見逃してはくれない。これが、静寂が支配している景色である。
16歳の私は、春の訪れとともに、いっそ姿かたちを変えてしまいたいと思っていた。飽きたのだ、この体に。人間と言う形に。もしかしたらもう、実在していた私は幾度の夏を経験したため、気化して周囲の人間には見えなくなってしまったのかもしれない。
しかし、今、こうして約50kmの道のりを、自分の足だけで歩いていくことに、ワクワクしている。
しばらく歩くと、パトカーが私の目の前に停まった。どうやら職質のようだ。
私は、ちゃんと実在していた。
成人済みで、約50km先の駅まで歩いていくと免許証を見せながらお巡りさんに伝えると、「なんかの訓練ですか?」と聞かれた。観光とは答えられなかった。
日付が変わると、パトカーもJAFも見当たらなくなった。コンビニさえも、閉店している。それもそうだ、みんな寝ている時間だ。
(続きます)
(しかし、まだ到着できません)