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マイコンセプトの解像度が上がり、あきやさんの神通力に改めて感服した話

※5700字を超える長文の自分語りです🙏
今年の4月に念願の自問自答ファッション教室で生まれたコンセプトは
「🎧努力していて個性があってスペシャリストな昭和歌謡のDJをして人を元気にする女将さん🎧」8月半ばの今現在、とくに変わらずマイ羅針盤です。


コンセプト的なファッションとは?

しかしですね、このコンセプトに関して己の解像度が低い低い。
例年にない猛暑のこの夏、休みの日は下記の2パターンを着回しております(平日は在宅ながら制服着用が義務)↓

着回すと言っても8割は右のパンツスタイルだ

↑これらが「🎧努力していて個性があってスペシャリストな昭和歌謡のDJをして人を元気にする女将さん🎧」と言われると違う。
(右は小物によってDJ感でそう)
Tシャツ以外は生き残った私のクローゼットの手持ち服だから、新しく決まったコンセプトにハマらないのは当たり前なんだけど、コンセプト活動(好きな、行きたい場所とかなりたい、ありたい像)が頭の中だけでぼんやりしているから、出力されるもの(=今現在の服装)が何かコンセプトからズレている気がする。
特に左の元鈴木さんワンピース

SERPENTINA(セルペンティナ)は
蛇と女性をかけ合わせた造語です
不吉なもの、誘惑するもの、悪魔の仮の姿とみなされることもあれば、再生と幸運のシンボルとされることもある蛇
そんな相反する意味を持つ蛇のように、
矛盾の中を前進する女性達にそれぞれの戦場で生き抜いてほしい
毎日を生き抜くための快適さを持ちながら、クラシカルで大胆なデザイン
SERPENTINAは強くしなやかに前進する女性を後押しします

ブランドのコンセプト

「毎日を生き抜くための快適さ」「クラシカルで大胆」とても良い。私もそうありたいし、ブランド名由来の蛇もパイソン柄とかBVLGARIのリングとか憧れます。
カットソー素材のものが多く楽なのにスタイルよく見えて、母子手帳からワインボトルまでまるっと入る(!)デカイポケット付きの機能性。
幼児二人を抱え、地方住まいなのに(地方だから?)ほっこりに見せたくない&シュッとスタイルよく見せたいちんちくりんの私はこちらのワンピースを着ることが多々あった。
しかしSERPENTINAの打ち出すセクシーさがどうも私のパーソナリティーにあっていない気がするな~と内心座りの悪さも感じていた。

何となくクリスタル(昭和)

今までのnoteにも度々書いているのですが、私のこれまでのファッション遍歴は青文字系と赤文字系で分けると圧倒的に赤文字系に偏っており、特に社会人になってからは神戸エレガンス(今は亡きJJbisとか姉Can)的な服装を好んでしており、アラサーで地元に帰ってからも何だかんだでブレたり寄り道しながらも引き摺っておりました。今で言うと東京カレンダー系ですかね?何となく都会的、OL的なきちんと感もあって男性にも困りませんよ系というか。

港区女子的なアレですね

実際の自分は男性との雑談も苦手でモテには縁遠く、たまに飲み会や合コンなどに誘われてもその空間が苦手で早く帰りたいと思う様なタイプ。じゃあ女子たちとカフェやショッピングを楽しむタイプかと言われるとちょっと違う。
つまり中身やライフスタイルは全然東京カレンダー系ではなかったわけです(イメコン的な意味で外見的にも違っていたわけですが)。
私は二十代の頃は関西の中でも都会ど真ん中で暮らしていたのですが、仕事が終わった後の一番好きな過ごし方は、一人で梅田~中之島の街並みや川沿いをブラブラしながら適当なカフェや立ち食い系に立ち寄り、ぼ~っと人間観察をする事でした。
キラキラした夜景や人で賑わう活気ある街は何だかエキサイティングだなと毎日ワクワクしていたのを思い出しました。

ハービス~フェスティバルホールまで
ぶらぶらするのが好きだった

私の「夜っぽい」を研究しよう

先日金曜日の夜に一人スタバの時間をゲットし、近所のスタバまで車を走らせる途中でふいに「私のコンセプトは昭和感が強いけれど、その中に『夜っぽい』ニュアンスがある、私の『夜っぽい』を研究しよう」と頭をよぎり、この田舎イチの繁華街のバーに行ってみた。田舎なので選択肢は少ないが、自分の中では渋すぎない良い感じの夜っぽさがある店の扉を開けた。
一人なので当然の様にカウンターに通され、目の前に同世代位のマスターと近くには常連さんらしきカップル。…正直居心地が悪い。初心者かつ車で来た私はバーにも関わらずノンアルコールと肉料理をサクッと頂いて、マスターとの会話を殆ど楽しむこともなく、そそくさと店を出てしまった。とんだお一人様デビューだ。
お店を出た瞬間の解放感よ…自分は時給の倍以上のお金を使って何をしてるんだと思うけれど、体感しないと分からない事だった。

中年のノスタルジー

駐車場に行く前に、折角なので繁華街を少しぶらぶらする。金曜日夜なのに街を歩く人が少なく、暇そうなホストの数の方が多かった。
今から数十年程前はこの繁華街で両親が居酒屋を開いていて、田舎だけど街はもっと人とネオンと活気に溢れていた気がする。
今じゃ考えられない話だが、私が小学生に入りたて位の頃はバブル期で週末はどこのお店も満員、繁華街の道には占い師や露店が並んでいてお祭りの様だった。
まだ小さいので学校帰りはそのまま繁華街の店に帰って、お客さんが来るまでは空いている座敷でお菓子を食べたり宿題をしたりした。外が暗くなりお店がお客さんでいっぱいになる頃、私と妹はお店を追い出されてお店の前で遊んだり露店の人と話をしたりしていた(今だと警察が来る話である)。
いつもいる露店の人が、マイクというアメリカから来たお兄さんで、ミッキーやドナルドなどのディズニーの絵を売っていた(本物だったのかは怪しい)。こんな田舎の繁華街で怪しいミッキーの絵を売る商売が出来ていたのもバブルだったからだろうな。
90年代に入った頃、マイクはお店を畳んで国に帰る事になったらしく、子供たちがお世話になったからと母が露店からミッキーの額縁を記念に買ってくれた。三角帽子の魔法使いミッキーで、ミッキーの周りがオーロラでキラキラしていた可愛い絵だった。

このミッキー。絵は私が選んだ

私たちは寂しいと思いながらもアメリカの距離感とか別れを理解できていなかったので、特に泣いたりはしなかったと思う。ふと、ミッキーの絵が気になり母にラインしたら、何と数年前に処分してしまったらしい(哀)。ちょっと…!そりゃお金を出したのは母だし、最近まで思いださなかった私も悪いけどさ。

「私の夜」の解像度が上がる

その後駐車場までの道中にラーメン屋の屋台を発見し、夜遅いのにも関わらず灯りに惹かれてフラフラと入ってしまう。愛想の良くない店主さんが作るラーメンは意外とアッサリしていて美味しかった。
干渉してこない店主と生ぬるい夜風にふかれながら繁華街の街中で一人で食べるラーメン、とても居心地の良さを感じた。
「解放感」「風通しの良さ」「素朴さ」、もしかしたらこれが自分の大事にしたいところかもしれない。

前回のあきやさん講演会で出てきた「#カフェのワーク」、コンセプトに昭和歌謡が入っていて、私自身も自問自答教室で「(五億円貰えるなら)昭和歌謡がかかるお店」と答えていたのもあって、「懐かしのレコードが聞ける昭和的なカフェ」「昔ながらの純喫茶」にも行ってみた。
しかし正直自分的に居心地が良いとか好きだな~とまではならなかった。私の好きな渡辺真知子や大橋純子が似合う空間なのに…。
どうも窓のないor小さな窓の閉じられた空間は苦手だ。地下にあるお店も得意ではない(お洋服屋さんとか、長居しないお店なら大丈夫なのですが…)。常連さんで固められ過ぎているとか、昭和歌謡が好きだけど昭和の価値観がガチガチ過ぎるものとか…多分「内輪」とか「ムラ社会」を連想させる閉塞感があるものが自分的にダメらしい。
そういう意味ではホテルのラウンジの方が景色も綺麗で程よい距離感で過ごしやすかった。

↑結局「#カフェのワーク」で一番居心地が良くて落ち着いた空間がここ。どこまでも広がる広大な畑道の中にポツンと一件建っているオシャレなカフェ。この意外性と、お喋り禁止のため静かに自分の時間を過ごせること、目の前は解放感溢れる大きなガラス張りで、のどかな大自然を味わえるのが魅力。
夜の屋台や大阪の夜景とは真逆だが、「解放感と非日常感」が共通していると思う。

私的な「夜っぽさ」って、レトロでコテコテの昭和的な空間ではなく、かといってリッチでいい女的な都会のネオン的なものでもなく、屋台とか縁日みたいな解放感のある場所でノスタルジーと非日常を感じられるものって事なのかな。子供の頃に両親の店の前で遊んでいた、露店が並ぶ繁華街の夜の風景も何だか縁日みたいな非日常感があったのを思い出した。縁日だけど、「真昼や夕方のサイダーや綿菓子」とかじゃなくて「夜、提灯の灯りに照らされたお面やスーパーボール」です。
ノスタルジックで童心を感じさせながらも、少し妖しげな非日常感がある、解放的で開かれた空間、私の夜ってこれだなと思いました。

私のPinterestの一部
香港、台湾、シンガポール、京都…バラバラだけど
湿度高めだけど開放的で、ノスタルジックな
アジアの夜、みたいなイメージです

↓自問自答教室まではコンセプトがフラフラしていたのですが、noteのはじめの方で
「身軽に旅するお寺の研究家」
「全国津々浦々、美人画展を開催する流しのキュレーター」
と暫定コンセプトを出しており、旅=解放感や風通しの良さを求めていた気がします。
「アジアの湿度」と「解放感」、矛盾ぽいけれど両方大事な感じがします。

そこでコンセプトの職業です

屋台をやるのか、静謐な高級旅館なのかは現時点で決められないのですが、地下の純喫茶やスナック的な場所ではなさそうです。
風通しの良い場所で、日本各地や外国からの観光客など色々な人に一期一会で触れ合う感じをイメージしている。やはり「むきむきみっちゃん🦀」に帰結するのか?
昭和歌謡はノスタルジー&令和にはない非日常感を味わうためにコンセプトには引き続きいてもらいたいです。

★コンセプトが誕生した自問自答ファッション教室のMyレポ

あきやさんの千里眼

自問自答教室での楽しみの一つは、あきやさんから頂くブランドリストでした。
リストはブランドのジャンル別?に幾つかゾーニングされているらしく、どこにあきやさんがマーカーで線を引いてくださるかは各個人によってバラバラかと思いますが、私は幾つかのゾーンにバラけながらも、ある二ヶ所のゾーンにわりと偏っていました。
ひとつは綺麗め寄りで装飾やプリントが特徴のガーリーなコンサバ系?ゾーン(※私の主観です)、そしてもうひとつは雑誌で言う「大人のおしゃれ手帖」系ゾーンでした(※あくまで私の主観で、あきやさんは全然違う意味で並べていた可能性も普通にあるので)。そしてこちらの「大人のおしゃれ手帖」系ゾーンは、あきやさんが「この辺全体ですね~🌻」とそのゾーンをマーカーでぐるんと囲ってくれたのを思い出しました。(※あきやさんは「このリストは鵜呑みにしないでくださいね~」と、決してリストに囚われすぎずに自分のファッションに向き合う事を推奨されてはいましたので、私もリストで新しい扉を開きながら自分の頭で考えることを辞めないようにしたいと思います)。

これまでスタイルをマシに見せたい、ほっこり素朴に見せたくないのコンプレックスで服を選んできた私にとってはやや鬼門的なブランドも入っていたのですが、これは「雫ちゃん現象(びっくり試着チャンス)」かもしれない。

因みにあきやさんがマーカーを引いてくれたブランドのコンセプトを調べてキーワードを書き出してみると、
①「百年後も続く」「長く変わらない」「伝統」などのタイムレス系
②「少女のような気持ち」「ノスタルジック」などの童心系
③「美しい手仕事」「工藝、アート」
④「旅」「異国文化」
⑤「高揚感」「幸福感」

二度目の登場

Pinterestと世界観近くないですか…!?
教室でのZARAワンピースを来た私は全然↑こんな感じじゃなかったんですが、あきやさんは長年の経験から色味なものが見えているのだろうなと思います。

自問自答教室では言葉が不充分だったかと思いますが、あきやさんのこのnoteに涙し、自分もコンセプトについてもっと深掘りしようと考えた結果、少し解像度が上がった気がします。
でも教室で「結果か過程か?」で圧倒的に過程派だった私はもっと過程にこだわって、自己評価靴や自己紹介バッグを買う前に掘らなければいけない気がします。

「演歌チャンス」ではなく「試着チャンス」

自分に言い聞かせたい事がある。
後2ヶ月程で退職する、演歌を理由に高い靴を買う絶好のチャンスだけど、曲が決まらなければ無理して買わない。コンセプトだけでなく、実際の仕事を何とかしたい私は少なくとも自分が納得する働き方(今より良い&納得できる方向)に向かうまでは演歌なんぞは出てこない気がします。
もうすぐ到来する無職期間は、「演歌チャンス」ではなく「試着チャンス」なのだと…!
解像度の上がったコンセプトに「非日常」「解放感」「触れ合い」が滲んでいるのに、現場の風を感じて実物に触れないまま、日常生活を送る自宅でスマポチして買ったものは自分に合うコンセプトではないですよね…。

とはいえ、正直地方民の時間&交通費のハードルは高い。
北陸某県の私の例だと
◎金沢→往復1,500~3,200円(車、高速有り無し)、6~7時間滞在可能
◎名古屋→往復12,000円位、4~5時間可能(車)
◎京都→往復13,000円位、MAX6時間可能
◎大阪→往復17,000円位、MAX5時間
◎東京→往復33,000円位、MAX4時間(日帰りだと割に合わない)

金沢だけで一足入魂ものを買える気はしない。
次に交通費が安い名古屋も5回行けばそこそこ良いものが買えて、10~15回ほど行けばもう演歌シューズやバッグが買えてしまう。
でも人生の時間は有限、交通費が演歌ものに近くなっても(流石にある程度の上限は設ける予定)、少しでも時間があるうちに試着の経験をつんでおかないと、一生迷ったり悩んだりで終わってしまいそうなので、腹をくくらないといけないな。

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花筏(はないかだ)
読んでくださるだけでありがたいので、結構でございます…!