Kritik関連原稿① 最低賃金論題
0.はじめに
CoDA2019最低賃金論題(一回立論制)の否定側クリティークへの1AR原稿です。NCではKritik、1NRではフレームワーク+メリットへのターンアラウンドという構成でした。Kritikの議論に関してはサインポスティングの内容から再構成していただければと思います。原典については再確認はしていないのですが、全部オンラインのエビデンスです。クォータの時の対策原稿2つと一院制の時にも使ったクリティーク関連資料も別のページで続けて投稿します。
個人的にはKritik批判の議論が全体的にあまり成功していないと思っており(したがって以下の反論は私がそう思ってるというわけでは必ずしもないです)、理論的・実践的な検討を加えた投稿もしたいのですが、年内はルソーを読まないといけないのでいつになるかわかりません。この投稿がKritikをめぐる議論が深まるきっかけになればと思います。わからない点、議論したい点などがあればコメント・連絡していただければと思います。
1.原稿
否定側フロー。論点A、投票の枠組みについて。このラウンドでは議論の背景にある考え方の良し悪しで判断すべきではなく、政策決定パラダイムを採用すべきです。
1点目 否定側も認めるように、ディベートには民主主義に資する市民を育成するための教育的な意義があります。そして、政治的決定というのは、米軍基地問題のように、誰かが利益を得る一方で、誰かが負担を被ります。ディベートでは、自らの立場を離れて客観的に論じることで、こうした国民の中の負担の分配を考え、より良い民主的な決定をするトレーニングをすることができます。そして、最低賃金を論じるに当たっては特にそれが重要です。
経済産業研究所 鶴 13
最低賃金がしばしば政治的にも好まれる政策手段であるのは、誰がマイナスの影響や負担を直接被るか事前にあまり明確でないため、「ただ乗り」が起こりやすいためであろう。(中略)最低賃金上昇は「フリーランチ」ではなく、誰が追加的な負担をしなければいけないという認識に立つと、どのような立場の人・企業に負担がよりかかるのか常にモニターする必要がある。
最低賃金引き上げは現状の選挙の争点になるような、今現実に私たちが判断を求められている問題であり、市民としてより良い民主的な判断をするために政策決定パラダイムをとるべきです。
2点目 否定側の考え方の良し悪しを考えるアプローチは、政策決定パラダイムに比べて、教育的意義に乏しいです。否定側のアプローチは利益と負担を考えた政治的決定という現実的な議論ができない上、政策決定パラダイムでも考え方、例えば今回の立論なら重要性の「市場の適正な競争のために国は介入すべきだ」といった考え方を論じられます。そして、それを超えて抽象的な理想の議論では現実にある困難な問題の解決に対応できず、民主主義に資する議論とは言えません。
立命館大 佐野 16
非理想理論を唱える論者の多くは、理想理論が、現実の社会状況に対して有効な行動指針を示すことができないことを批判する。そもそもわれわれが正義について議論を行うのは、現実社会の中で適切な行動指針を必要するからであって、抽象的な机上の空論を欲しているからではない。ロールズをはじめとする多くの正義論者たちは、理想の正義を構想する際、正義を実現するための適切な条件が揃っていることを前提にしているため、現実の困難な状況において具体的に何をなすべきか、という問いに答えていないというのである。
肯定側も理想を論じること自体は否定しません。理想を論じつつも、現実に何を支持すべきかを考えることこそが市民として私たちがすべきことであり、ディベートで養うべき能力です。ここで1NRの思想をまず先に議論すべきという話を見てください。否定側は具体的にどういう思想を論じればいいのかという話を全然できていない上に、政策決定パラダイムをとる肯定側が否定側より思想的に浅いなんてことを全然言えていない。そうである以上、否定側は自らのアプローチの優位性の論証に失敗している一方、肯定側は政策決定パラダイムの優位性を証明しているので、このラウンドでは政策決定パラダイムが取られるべきです。
それでは、相手側の議論に反駁します。ただし、今回肯定側のスタンスは先に示した通りで、否定側の枠組みでも肯定側の勝ちであることを示すために反駁します。
論点B
1点目 否定側は個人と企業の問題を取り違えているので「生産性」という言葉の使い方が肯定側と否定側で違います。肯定側が言っているのは生産性の低い「企業」がなくなった結果、「個人」の生活がよくなるという話で、否定側が言うような個人をターゲットにした優生思想的なものにはつながってきません。
2点目 ターンです。肯定側の思想の背後にあると否定側がいう、競争を活性化し、生産性を引き上げて、国全体で分配するパイを増大させるという思想は良いものです。なぜなら分配するパイを増やすことで、結果的に例えば障害者の支援など持続可能な社会保障ができるようになり、論点Cで目指すような、誰でも無条件に生きられる社会につながります。
内閣府 2000
経済成長が社会保障制度を支え、社会保障が需要創出を通じて経済成長に寄与するという相互の密接な依存関係を考えれば、将来にわたり持続可能な社会保障を維持していくため、望ましい社会保障制度を維持し得る活力ある経済の実現が求められる。(中略)経済を支える企業には、社会保障の意義を十分理解し、今後とも雇用や社会保障の負担の面で、社会的責任を果たすことが求められる。
3点目 否定側は「思想の部分を議論しよう」と言っていましたが、本当に民主主義的な決定に資するような議論をするべきというなら、生産性で個人の価値を序列づけするような思想が単に存在しているだけでなく、「なぜその思想が生じているのか」という部分を立証するべきです。なぜなら、そうでなければ解決策を見つけ、生命が無条件に肯定される社会へとディベートを通じて近づくことができないからです。では実際にはなぜそのような思想が存在しているのか、それは一人一人の暮らしが苦しすぎるから、他者へのバッシングに走ってしまうからです。生活保護バッシングの例。
東洋経済オンライン 18
2012年頃から生活保護バッシングが激しくなったのは、「自分だってフルで働いているのに、生活保護以下じゃん」という人がいるからですよね。(中略)こんなに嫌な思いをして働いているのに「あいつらは何もしないでおカネをもらっている」みたいなバッシングが強まったのは、全体の低賃金化と、ブラック労働化のような、社会全体の労働の地盤沈下というものがあると思います。
労働条件を整備し、社会全体のパイを増やすという思想こそが、論点Cで言うような生命が無条件に肯定される社会につながるわけで、この部分はむしろ肯定側の投票理由でターンが成立します。
2.コメント
①どのようなパラダイムを取るべきかを論題との関連性で議論すべき、②否定側の枠組みのもとでどのような反論をするか検討すべき、ということを考えていた記憶があります。
①に関しては、最低賃金に関してはむしろKritikという形式で論じた方がいいという議論もできるような気がします。「最低賃金の実証研究の是非については賛否両論のエビデンスが跋扈しており、ディベートの試合という短い時間の中で研究の前提を十分に説明し、かつそれを一般市民が判断できるとは到底思えないので、目指すべき社会の議論をすべき」といった方向性の議論が考えられるように思います。