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午後三時の猫

午後三時くらいの陽の光を浴びると小学生の頃を思い出す。

五・六時間目ぶっ通しの体育の授業、土ほこりが黄色く舞うだだっ広い運動場、赤白帽を留めるゴム紐の塩っぽい味、全く登れなかった雲梯の鉄の香り、紫外線に白く粉を吹いた一輪車の破けたサドル、体育すわりをして何かを待つ手のひらに食い込む、砂利と白黒にキラキラと光る雲母の粉。そして先生の話を聞くとも聞かずとも、顔を上げればもう1日が終わるようなあの黄色く斜に落ちた光。

あの夕陽になりかかる午後三時の光を、小学生の僕はたぶん、全く怖いとは思っていなかった。一日は当たり前のように赤くなり、陽は落ちて青く昏くなり、水風船を校庭で投げて遊んでは、家に帰りテレビを見て蛍光灯の夕餉を終え、畳の部屋の中央の布団に転がって常夜燈を点けてすやりと眠って、また明日。次の朝日も、次の陽も、次の夜も、それが来ることを全く疑いもしていないあの頃。それから何十年を経て、いま僕はあの光のことを、とても怖いと感じる。もはやお前は後半戦に突入したのだと告げんばかりの黄色い陽は、残り時間をただ僕に突きつけ、罪悪感と後悔のみを膨らませてくる。

午後三時の黄色い陽の光を避けて日陰を選び、人との距離を気にしながら歩いた先に通りがかったのは緑に茂ったお寺だった。お寺にはお地蔵さんがあり、線香が焚かれ、少しの距離をとって静かに会話をするマスクの老婆が二人いて、そして猫がいた。お寺で飼っているようだった。

猫は僕を見て、ナーと鳴いて、向こうに歩いて、そして寝そべっていた。僕はそっと近づいて、ちょっとしゃがんで、首をなでた。猫は完全に寝ころんで、あくびをして、うとうととした。風向きが変わり、線香の香りがこちらまで漂ってきた。見上げるとあの黄色い陽の光が、緑の葉の間から木漏れ日となってちらちらと漂ってきた。

ナー、ねー、ねこー、あの光怖くない?そう訊いた僕に猫は全く応えずに、またあくびをして、こちらをみてまた撫でろと催促をした。明日が来ることを疑いもしてないのか、明日が来ないことをも疑いもしていないのかはわからなかった。猫はただ気持ちよさそうに寝そべっていた。

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Canon EOS M2 + EF-M22mm F2 STM



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