家内の死に立ち会った時、「自分は一体何と逢えなくなったのか?」を永遠に捉え損ねた。

それは「自分は一体、何を家内と見做していたのだろう?」という問いと同義であり、

その問いの忖度無い答えはとても残酷な物であると考えている。
そうでない答えは願いが混じった物だとも。

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