2022年夏 北海道旅行記(前編)
はじめに
2022年8月某日、私は高校時代の親友とともに北海道&東日本パスを用いて北海道旅行を敢行した。2年前の記憶であり、一部曖昧になっているものもあるが、これを自分の記憶に思い出としてとどめて置くのはあまりにももったいない素晴らしい経験であったため、こうして記録することにした。なお、ここに記す時刻や費用などはすべて正確なものではなく、この記事を参考に読者がされた行動の責任は一切取りかねることを明記しておく。
旅の始まり
早朝の4時頃であっただろうか。私はこの手の旅行ではもはや恒例となった極めて短時間の睡眠から強引に起床し、眠い中揺れる視界を頼りに集合場所の大宮駅へと向かっていた。道中のコンビニで軽めの朝飯を調達するのも恒例である。普段は寝起きが悪く、このときも例によって寝起きは最悪でいやいやと起床したにも関わらず、これからの旅程に心が踊り、足取りはぼんやりとした頭とは不釣り合いなほどとてつもなく軽いのも、いつものことである。案の定というか、これから旅をともにする親友もまた、とても眠そうな表情であった。私達は軽く挨拶をかわし、これから始まる壮大な旅行に胸を躍らせた。
5時半頃、運命の一本目の列車がやってきた。宇都宮線(東北本線)宇都宮行きの一番列車。私達を北の大地へと誘う、1人めのランナー。まだ目を覚ましていない関東平野を快走するこの列車に、まさか北海道まで普通列車を乗り継いで目指そうというものがどれくらいいるのか、想像すると不思議な気分であった。
宇都宮駅到着時、最初の事件が起こる。これから踏破するはずの岩手県内で豪雨が発生しているため、岩手県内の路線の一部が運休していると言うのだ。北海道に無事に上陸できるか、少しの暗雲が立ち込める。ここで私は選択を迫られた。1つは、旅行を諦める。2つ目は多少強引でもルートを変更して突き進む。簡単に北海道上陸を諦められない私は、天候の回復を祈りつつ、当然2つ目の選択肢をとり北への旅路を急ぐことにした。そんな心配とは裏腹に、黒磯行き、新白河行きと列車を乗り継ぎ、私達は関東をあっさり脱出し福島県に入った。黒磯出発時の車窓に一気に緑が広がる様は、何度経験しても、普段の生活圏から離れる非日常感を強く感じられるので好きだ。時刻は朝の8時半頃。部活だろうか、日常利用の高校生の姿もちらほらとみられるようになっていた。
昼間の東北
太陽も高く昇り、気温もだいぶ高くなってきた。郡山からは福島行き、仙台行きと乗り継ぎ、更に北を目指す。うまいことボックスシートを確保できた私達は、カードゲームにふけりながら福島県、宮城県をかけていった。仙台駅には12時過ぎくらいに到着したと思う。ここでしばしの昼飯休憩。松屋のカレーライスを食べた。私も親友も、散財するのは北海道に上陸してからのお楽しみにしておこう、ということで話があっていたため道中ではなるべくサクッと食べられるモノにとどめておくことにした。仙台でもまるで変わらないチェーン店の力を感じつつ、鈍行でお昼までに到達できるなら仙台ってぜんぜん近所だよなぁ、なんてことを考えていた。実は仙台は以前にも18きっぷを用いて旅行したことがあり、これもこれで楽しいものであった。しかしこの当時はまだ18きっぷ旅行(限界旅行ともいう)に慣れていなかったため、仙台までの道のりは果てしなく長いものであるように感じていた。しかし、2回目ともなり、さらに午前中に到達できるというのであれば、こんなのはぜんぜん近所だと思うようになっていた。慣れって不思議なモンですな。
カレーライスを腹に押し込み、まだまだ北上の旅路は続く。小牛田行き、一ノ関行きと乗り継ぐにつれ、大都市仙台の賑わいは少しずつ鳴りを潜め、県境を跨ぐのどかな風景に変わっていった。
一ノ関以北では、路線の管轄が仙台支社から盛岡支社へと変わり、それに伴い電車のカラーリングが緑と赤のツートンから紫に変わる。列車の姿形(色も含め)が変わると、やはり遠くに来たことを強く実感させる。列車は岩手ののどかな風景の中を、2両編成という可愛らしい短さとは裏腹に爆走し、軽く一眠りをする間にすぐに私達を盛岡まで連れてきてくれた。
予定変更、更に想定外
ちょっと面倒な話をひとつ。東京から関東、東北を突っ切り青森を目指す在来線は盛岡までは「JR東北本線」なのだが、盛岡より北は「元JR東北本線」である。難しい言葉では「並行在来線」とかいうが、簡単に言うと新幹線が開業した際に、そこで並行する在来線の収益が見込まれないため、地元の自治体主導の半官半民の会社に路線を譲渡した(押し付けたともいう)ものである。そのうち岩手県内の区間はIGRいわて銀河鉄道という会社が、青森県内の区間は青い森鉄道という会社がそれぞれ路線を営業している。
さて、盛岡に到着した私はしばし途方に暮れた。そんなIGRいわて銀河鉄道線が、先にも述べた豪雨のせいで運休しているというのである。どうしたものか。
私は路線図と時刻表を必死に眺め、そしてIGR、青い森での踏破を諦め、花輪線を用いて大館へと迂回する代替コースを使うことに決めた。この迂回コースでもなんとか深夜には青森に到着出来そうである。やれやれ。マックでのしばしのおやつ休憩の後、私達は本来の予定では全く眼中になかったはずの花輪線の大館行きの列車に乗り込み、無事に今日中に青森に到着できることを祈った。
そんな、妥協の結果乗り込んだ花輪線であるが、私はその美しい、幻想的な車窓に驚くこととなった。どこまでも続く緑のなかに、世界から切り離されたようにどこかさみしそうに、しかし人の帰りを待ち続けるという任務は決して忘れない、逞しさすらも感じる人工物が、ぽつり、ぽつりと現れては消えていく。夕刻、空が紫色に染まり始めたころに停車した十和田南駅、ここでは列車の進行方向が変わるためにしばしの停車時間があった。私はこのごく短い時間、この片田舎の、紫色の空に飲み込まれてしまいそうな小さな駅とその周辺で起きたドラマを夢想していた。終点の大舘に到着するころには日は完全に沈み、私も親友もお腹を空かせていた。グーグルマップを頼りに食事処を探すと、何やら地元に根差した良い雰囲気の店があるではないか。疲れた体に熱々のあんかけラーメンのしみることしみること。
舌を火傷しつつも、私は迂回コースを選ばなければ決して出会えなかった絶品に舌鼓をうちながら、これからの予定を少し確認した。
さて、大館駅に戻るとさらなる事件が起こる。なんと、乗車予定の青森行きの列車が車両の不具合により運転できないというのだ。せっかく迂回路を選んでなんとか北海道を目指そうと頑張っているというのに、一筋縄ではたどり着けないというわけか。どうすることもできない絶望に直面した次の瞬間、駅員に衝撃の言葉をかけられることになる。
「有効な切符をお持ちのお客様、お代金はこちらで建て替えますのでタクシーをご利用ください」
ここに来て、移動手段がまさかのタクシーになる。大館から青森までの、深夜の長大ドライブ。せっかくなら鉄道で青森まで踏破したかったのだが、背に腹は代えられない。私と親友は、青森へと向かうというおじさん2人とともにタクシーに乗り込み、暗闇の高速道路を駆け抜ける。
この間、私と親友はいろいろなことを語った。将来の展望、面白かったゲームの話、バイト先の愚痴……。様々な言葉が、高速道路を囲む闇へと消えていく。やがて、タクシーは思ったよりもすぐに青森駅のロータリーへとたどり着いた。到着は22時頃。想定外の移動手段を使いまくったわりには、本来の計画からわずか1時間程度の遅れで本州の最北端へと到達できた。その日はちょうどねぶた祭りの最終日だったらしく、駅の近くの公園には祭が終わったあともなお、名残惜しそうに余韻に浸る少年少女の姿があった。
私達は駅から徒歩5分という好立地の銭湯につかり、1日目の疲れを癒やした。想像以上に賑わっていたのが印象的であった。この銭湯で10分程度サウナに入ったのだが、たったこれだけの時間に、サウナに設置されたテレビに5回もパチンコ屋のcmが流れたのもまた、印象的であった。風呂上がり、キッズスペースに投げ出された、やけにくたびれてしまったぬいぐるみを横目にコーヒー牛乳を一気飲み。さて、この旅の準備運動もようやっと終了である。
真夜中の津軽海峡
青森駅から真っ暗な海辺を20分程度歩き、フェリーターミナルに到着。深夜2時発の青函連絡フェリーのチケットを買った。ターミナルでは威勢の良いねぶたが私達を出迎えてくれた。本州を離れる名残惜しさ、ついに北の大地へと足を踏み入れる高揚感。私は妙にそわそわと浮足立っていた。
1時間ほど待つと、乗客を案内する放送が流れ出した。
ついに、本州から足が離れた。再び陸地に足がつくのはおよそ4時間半後、そこは北海道。
カーペット敷きの船内で、リュックを枕代わりに雑魚寝。眠りに落ちる直前、10時間くらい前、宮城県は小牛田あたりから電車にともに乗っている二人組みを見つけ、おや、と感嘆する。彼らもまた、雨にも負けず風にも負けず、IGRの運休にも奥羽本線の運休にも負けずにしぶとく北の大地を目指す同行者であったのだ。彼らの姿は札幌到着の直前まで私達の目の前にあり続けたのはまた別の話。
揺れる船内の寝心地は思ったほど悪くなく、旅の疲れも手伝ってかあっさりと眠りに落ちていた。ふと目を覚ますと空は明るくなっていた。デッキに出てみると、船はちょうど早朝の函館に辿り着こうというところであった。
旅を始めて実に24時間半、2日目の早朝6時。私たちはついに、北の大地に到達するという第一の目標を成し遂げた。
無事に船はフェリーターミナルに停泊した。ここから函館の中心部を目指し、市街地を進んでいく。早朝にも関わらず国道は案外車通りが多く、街の活気を感じた。
北海道のグルメ
旅行に行く前、私たちは旅先でどんなことをしたいか、大まかに計画を立てていたのだが、その中でも特に、私はどうしても函館の朝市に立ち寄りたかった。なんでも、そこでは生きたままの新鮮なイカを目の前でさばき、それを提供してくれるというのだ。新鮮な食材はうまいに決まっている。趣味は食べ歩き、今までにも美味しいものにまんまとつられ続けてきた食いしん坊な私としてはこんな情報を逃すわけにはいかないのである。函館駅から徒歩2分くらい、本当に駅前の観光客からすれば理想的すぎる立地である建物に入ると、とれたての海鮮をアピールする元気な声が飛んできた。その中で私がどうしても食べたかったイカの踊り丼に狙いを定め、お店を吟味する。丼1杯2000円。朝飯にしてはなかなか良いお値段でいらっしゃる。しかし、ここまで来てこんなつまらないことで怯んでいては意味がない。私達はグルメに一切の妥協をかけずに散財しようと誓いあったではないか。
はたして1杯2000円のイカの踊り丼は信じられないくらいの美味であった。丼を渡されながら「醤油かけると動きます」という言葉に半信半疑になりながらも醤油を回しかけると、傷口が染みるのかやや苦しそうに脚を動かすではないか。どうもコミカルな動きに思わず感嘆の声が漏れた。
さてそんなイカは、動くゲソにばかり注目が行きがちではあるが、クリスタルのように透き通る半透明の身にも感動させられたことを述べておこう。よく見かける、普段流通しているイカというのは白い実であるが、先程まで生きていた新鮮な実は半透明で、イカ特有の生臭さがなく、歯応えもサクサクととても心地よいものであった。列車の時間の関係でやや慌て気味の朝食となってしまったが、一発目からとてつもない美味に感動させられてしまった。これからの旅程が一気に楽しみになった。
時刻は朝の8時頃。北海道の第一ランナー、長万部行きの列車に乗り込む。函館駅をでてしばらくは現地の高校生がちらほらとみられたが、やがてその姿は消え、ほとんど私達のような旅行客と思しき姿のみになっていた。窓を開けると風が心地よく、のんびりと景色が流れていく。しばしのうたた寝で、終点に到着。ここから先、札幌方面へと向かう列車は2時間弱来ないので、ここで少しの観光と昼飯休憩を挟むことにした。列車を降り駅舎に併設された土産物屋を覗くと、カニをモチーフとした奇妙な風貌のゆるキャラが私達を出迎えてくれた。なるほど、この町の名産はカニか。昼飯はすぐに決まった。
長万部駅は函館本線と室蘭本線が分岐する駅で、かつて機関車の付替などに用いられたであろう沢山の線路、それらを抱え込む広い敷地を擁する拠点駅であり、この町が交通の要衝として栄えたのは想像に難くなかった。かつては鉄道に関わる職員が駅の周辺に多数住んで、今よりもさらにこの町は賑わっていたのだろうか、と想像しながら町を歩く。どうも駅の裏手に日帰り歓迎の温泉旅館があるとのことなので、そこでひと風呂浴びることにした。閑静でのどかな町の印象からは想像がつかないほどの熱湯風呂で、図らずともカラスの行水になってしまった。源泉をそのまま流してくれているのだろうか。
熱い風呂は短時間でも血流がよくなり、疲労回復によい。軽くなった足取りで、私達は駅前の弁当屋に向かい、かにめしを食べた。
うまい。感想はこれに尽きる。カニの豊かな香りの、ご飯と合うこと合うこと。カニの旨味と香り、これが長旅で疲れた体にするすると入ってくる。先程の温泉と合わせてこの旅の疲労はリセットされたも同然だ。エビやカニをどうしても食べられなかった幼き日の自分にこれを食べさせてやりたい。そして食わず嫌いが如何に愚かであるかを体験させてやりたい。……でもなぁ、その時の自分はロブスターのグロテスクでいかつい見た目がトラウマになって甲殻類食えなくなってたんだよなぁ……。
札幌への到着
長万部から倶知安行きに乗り込み、さらに札幌を目指す。正直、この旅行中に最も北海道の雄大さを感じたのはここであった。長万部を出発すると、列車はほどなく森の中へと入っていく。線路のギリギリのところまで生い茂り、車体を撫でる木々はまるで人類の文明の侵入を拒み、我々ヒトが如何に地球において新参者であるかをわからせようとしてきているようであった。車窓は一面の緑であったが、駅が近づくとちらほらと民家が現れ始める。そして駅を発車すると、程なくして車窓はまた緑で埋め尽くされる。なにより驚いたのは、この区間ではしばしばスマホが圏外になってしまうのだ。私は人間の文明圏からしばし離れ、自然の支配する大地をしばし眺めることにした。
終点の倶知安に到着し、この先の小樽行きへの乗り換え待ちのためしばらく待機。ここを目的地とする観光客と思しき人々が何人か駅から出ていったが、大半はそのまま札幌方面へと乗り継ぐ旅客であった。ここで天気が少し荒れ、空が暗くなり始めた。なんでも北海道を豪雨が襲うとのことだった。なるほど、倶知安から小樽の間では、雨が窓を激しく叩き、札幌の観光を滞りなく行えるか少し不安を感じさせた。しかし、終点に到着する頃には雨足は落ち着き、パラパラと小雨が降る程度となっていた。
小樽に到着する直前、これまで緑に支配されていた視界が急に開け、函館以来だろうか、建物が密集した街が姿を表した。終点の小樽に到着。ここからは明らかに人の数や流動が違った。今まで乗っていた、森のなかをことこと走るたった1両の気動車とは対象的に、札幌都市圏の混雑にも対応する6両の長大な電車に出迎えられ、札幌へのラストスパートをかける。新千歳空港行きの快速列車、これが2日におよんだ長い長いリレーのアンカーを務める。
快速列車は軽やかに、小樽の市街地、海岸線、札幌の住宅街を駆け抜ける。やがて、背の高い建物が現れ始めると、ゴールはもうすぐであった。
2日目の17時頃、出発から実に35時間。ついに札幌駅に到着できた。
夕方の札幌
札幌にたどり着いた私達は、とりあえず繁華街の方へと向かうことにした。思ったよりも高層ビルが多く立ち並び、また道幅も広く、かなり賑やかな印象を受けた。夏休み期間中というのもあり、人通りもかなり多く、街の活気を感じられた。
ほどなく歩くと、大通りを経て、札幌最大の繁華街、すすきのにたどり着いた。ここで親友の買い物に付き合って、オタク向けショップを何軒か回る。ゲームマニアの彼が言うには、地方のショップにたまに掘り出し物があるらしく、それを見つけるのが嬉しいのだそうだ。最近は多忙を理由にアニメを見れなくなり、残念ながらキモオタクのキモの部分だけが残ってしまっている私は、高校生くらいの頃になんとかついていけていたアニメとか、何故あるのかわからない、幼い頃直撃世代だった特撮作品のグッズを見かけては、少しの感傷に浸る時間となっていた。
親友の買い物が終わり、私たちはカプセルホテルにチェックインした。青森をフェリーで発つ直前にネット予約をしていたため、すんなりと入ることができた。
荷物をロッカーに放り込み、フリースペースで晩飯をどうするか親友と相談すると、彼はジンギスカンを食べたいと言い、さらに評判のいい店を既に調べていると言うのだ。いいじゃないか。私は二つ返事でそれに賛成し、貴重品だけを持ち再び札幌の繁華街ヘと繰り出した。評判は嘘では無いようで、店の前では数組の待機があり、実際に席につくまでにしばらく時間がかかった。しかし、待てば待つだけ食欲が焦らされ、食事にありつけたときの感動も増すと言うものである。30分ほど待っただろうか。席に案内され、とりあえずドリンクだけ先に注文し、乾杯。
さて、待ちに待ったジンギスカン。私が最後に、かつこれまでで唯一ジンギスカンを食べたのは、中学の林間学校であった。はっきり言って、記憶に残っていたその時の数段上を往く味であった。記憶に残っていたそれは、独特の臭みがあったのだが、それがなく食べやすい。柔らかさと、特有の甘さがタレとよく絡み、ご飯がとても進む。牛ロースを思わせるような、肉の旨味を感じさせる赤身の歯応えもまた、絶賛したいポイントである。北の広大な大地で健やかに育った肉というのはこんなにも美味しいのかと、北海道のポテンシャルを感じずにはいられない晩餐となった。
羊肉をたらふく食べ、夢見心地でホテルへと戻る。丸2日かけて札幌へと到着したが、道中だけでもこんなにもたくさんの出来事があり、そしてそれらひとつひとつに感動があった。しっかりと思い出を噛みしめ、翌日以降の日程にも思いを馳せながら熱いシャワーを浴びる。濃密すぎる旅程に疲れが溜まっていたのか、横になってから意識が消えるまではすぐだった。
思ったより長くなってしまったので、前編はここまで。
後編 (整備中)