人物④:嫌いな人よ 安らかに その1
4人目の人物評にして少し大きな山を迎えることになる。
この人物に対しては1回では終わらず2回に分けて書こうと思う。
理由は明確だ。この人物がまさに今、癌で亡くなろうとしている。
今これを書いている時点では生きている。
おそらく、今月には亡くなるだろう。亡くなった後に2回目を書きたいと思う。
タイトルの通り、僕は彼女のことが嫌いだ。
正確には嫌いという言葉では伝わりきらないと思うので補足する。
同じ会社で働く60歳手前の女性で、この会社の創業時から勤めている、いわゆるベテラン社員だ。
彼女に対する気持ちとして一番大きいのは、会社にとって不必要、という気持ちだ。つまり、早くいなくなって欲しい、という存在だ。
僕の性格上、そういう人に憎しみや怒りという負の感情を芽生えさせるのはもったいないと考えるので、いたって平熱のつもりだ。
そういうニュアンスでの“嫌いな人”である。好きな要素が1つも無い人と言っても良い。
ただ、毎回それを説明すると面倒なので、以下では“嫌い“という言葉にそこらへんのニュアンスを含ませておきたいと思うのでご容赦願います。
だから、彼女のことを死んでほしいと思ったことは、もちろん一度もない。僕の世界からいなくなってくれさえすれば好きに、自由に生きてくれていて問題ないと。
前回、第3回目の人物でも記載した表現だが、彼女は“悪人“というわけではないのだ。(ただ、同じ会社に勤める者としては害が生じているので、”害人”といっても良いだろう。)
そんな彼女から癌であることを聞かされた時、正直なところ「これでいなくなってくれる」と思って喜んだ。でも、死ななくてもいいのにな、と小さく同情した。そして悲しくはないことも自分の心に確認した。
癌であると公言した彼女と同じ職場で働く日々を1年以上続けたことになる。結構、レアケースじゃないでしょうか(笑)。
さすがに癌(それもレベル4)が発覚してからは大人しくしていたが、それまでの彼女は本当に害人であった。
・自分の気分が最優先。
・相手のミスは認めない。それでいて自分は人よりも多くミスをする(経理というポジションで)。
・怒鳴る、叫ぶ、罵倒する、陰口を言う。しかも頻繁に。
・人を見下す。決めつける。価値を押し付ける。
僕は半分冗談で、第1回目の登場人物の5倍ひどい性格と説明したことがあるが、多くの人が納得してくれた。しかも、悪い面が5倍なのと、第1回目の登場人物がもっている愛嬌やユーモアが皆無の人なのだ。
・・・結局、また人の悪口を書いているだけになってきた(本当に僕の会社の同僚たちはどないなってるんねんw)。
話を今回の本線に戻す。
人が死にそうになるという時期の周りの人の様子が面白いと思ったのだ。
(なので、今回は人物評というよりは、この人物にまつわる人間模様という感じか。)
今年の5月過ぎからは彼女もほとんど出社できなくなり、自宅勤務に切り替わっていった。
1か月に1回程度、書類を受け取りに来たり、FAXを送るために来たりしていたが、夏にはそれもできなくなり、旦那さんが休みの日に来るようになった。
そして先週、旦那さんから会社に連絡があり、彼女が入院し、あと1、2週間であると告げてきた。
社長とその奥さん、そして経理の責任者(社長の奥さんのお姉さん)が東京本社から駆け付けてきた。(大阪で創業した会社で、今は東京を本社に移転している)
その後、「会いに行きたい人は行っておくとよい」とお達しがあった。
大阪支社のメンバーのうち、12年以上一緒に働いている女性は行きたいと言い、つられてその後輩の女性も行きたい、という話になった。(僕は入社して5、6年程度)
他のメンバーもじゃあ皆で行こうか、ということになり、僕も行ってきた。
そして、すでに退社して5年、あるいは10年ほど経っている元社員にも連絡を入れたら、是非あっておきたいということで、連絡を入れた1時間後に病院に行ったり、横浜から駆け付けたり、という方々も現れた。
彼女が害人であることは、社内(元社員も含め)ほぼ100%の人が理解している。
それでも、だ。死ぬ前に一度会っておきたいというのだ。
もちろん僕なんかより付き合いも長いこともあり、良い思い出もあるのだろう。
でも、僕以上にみんなの方が彼女からの被害を受けていたし、本人がいないところで彼女のことを悪く言っていた。
それでも、死ぬ前に一度会っておきたい、という。
一緒に過ごした時間が長く、そして濃密な、苛烈な思い出は、やがて時間が経てばすべて“良い思い出”になるのかもしれない。
病室ではほぼ意識のない本人を真ん中に、思い出話も盛り上がる。(旦那さんに気を使いつつなので下劣な話は出なかったが)
・忙しいとき、仕事手伝ってくれたなぁ、とか
(⇒ある程度、当たり前のことで、皆がそうしているとは思う。)
・我慢強かったなぁ、とか。
(⇒いつも体調が悪そうだった。でも病院には行かず、しんどいアピールをしていた。そして機嫌が悪かった。)
・悪口好きやったなぁ、とか。
(⇒これはそのままww)
そんな様子を見て、思った。みんな思い出が好きなのだと。
良いことも悪いこともひっくるめて、その延長に今の自分があり、今の幸せに繋がっているのだと。
逆に言えば、今の自分を認めるためにも、過去の思い出達をいとおしく思っていく必要があるのだと。
人が死ぬ、という時、その人との関わり方が多ければ多いほど、深ければ深いほど、自分の思い出を肯定するためにも、その人の死を美しい目で見つめたいのかもしれない。
そして、そんな風にして思いがけず(僕からしたら)人が集まってくれているのを目の当たりにし、彼女の最後はとても恵まれたものになったのかもしれないと思った。
希望通り、最後まで仕事をやり続けられたし(ここ半年はさらにミスが目立つようになったし、働ける時間も限られていたのに、給料は変わらなかった)、こうして今まで深く関わってきた社員が集まってきてくれて、良い思い出を語ってくれた。
もしかしたら、良い悪いは別として、彼女が一生懸命に生きたご褒美なのかもしれない。
人の最後の期間というのは、改めて不思議なものだと感じた。
そして、やはり思うのは、この人の人生はどうだったのだろうと。
幸せだったのか、そうでもなかったのか。
お見舞いに行った時の様子や、旦那さんの口ぶりから、我々社員以外に、お見舞いに来る人はいなさそうだ。そういえば、本人から友達の話を聞いたこともない。お子さんもいらっしゃらなかったので、地域との繋がりも無さそうだ。出身は北海道で、兄弟はその地にいらっしゃるようだが、あいにく地震の影響で来られないのかもしれない。あるいは別の理由で来ないのかもしれない。
そんなことを、お通夜やお葬式を通してぼんやり見てみたいと思いつつ、
彼女とのお別れの気持ちでいる。
嫌いだったけど、安らかにね。
良い旦那さんに看取られて、素敵な最期になりますように。
企画会社の社員。ある日、苦手な人との電話中に発疹が出てきて、全身に広がったため、皮膚科に駆け込んだところ、ストレス性の蕁麻疹と診断される。気持ちを落ち着かせるためにnoteを始める。