コナンと盗人たちの塔
ようこそいらっしゃいました。あなたはコナンを知っていますか?
この間の逆噴射映画祭りに参加された?それはようございました。コナンはニンジャスレイヤーの作者であるブラッドレー・ボンド=サンなども作品に通底する哲学の共通性を指摘しており、ニンジャスレイヤーに対する確かな影響を有する作品の一つです。
ニンジャスレイヤーのエピソードの中でも特に真っ向からコナン的要素を組み入れたものに「タワー・オブ・シーヴズ」があります。
今回はこのエピソードを中心に、ニンジャのコナン性について検証していこうと思います。
まず、「タワー・オブ・シーヴズ」は敵との闘いから始まります。ニンジャスレイヤーお得意のカットアップ手法ですが、ニンジャスレイヤーはサウザンドマイルの奇怪な攻撃の正体が掴めず翻弄され、塔から突き落とされます。
コナンは雑誌掲載の小説だったので、カットアップ手法の用いられた作品も少なくありません。
例えば、「魔女誕生」では、タラミス女王の目の前に、死んだはずの妹サロメが姿を現し、自らの魔女の印を見せつける衝撃的シーンから始まります。
この間アーリーアクセス版が出たコナンのゲームをご存じでしょうか?あのゲームも十字架に張りつけにされたところから始まります。これは「魔女誕生」におけるコナンの危機を意識したものです。
フジキドも「デス・フロム・アバブ・セキバハラ」で十字架張り付けになり、周囲にハゲタカが飛んでいたシーンから始まったことを覚えていることでしょう。
余談ですが、「魔女誕生」ではコナンはこの身に降り掛かった苦難でまさに死のすれすれまで追い詰められますが、ラストはまさにインガオホーともいうべき状況に帰結します。死神の皮肉を感じたい人には一読の価値があるかもしれません。
話を戻すと、今回の敵役であるサウザンドマイルは占い師です。
占いと聞いて普通思い浮かべるのは、新聞やテレビで毎朝やっている、見て「あ、今日は幸運だ」「あーダメだ」と呟き30分で忘れる程度の内容のやつかもしれません。
しかし、あのサウロンも世を忍ぶ仮の姿として死人占い師を名乗っていたこともあります。ネクロマンサーと言えば聞いたことがあるでしょう。時に占いは深淵から這い登る邪悪と結びつくことがあります。サウザンドマイルが人の命を糧にするのも頷ける話です。
さて、塔の上から落ちたフジキドはウォーペイントとホットなベイブじゃなかったフェイタルと遭遇します。
ウォーペイント=サンはどう見てもコナンをイメージしたキャラクターです。
彼とコナンを結び付けるもの、それは文明の外から流れてきたという出自、そしてケルト戦士めいた入れ墨、そして口癖の「犬め」です。
コナンの作者であるロバート・E・ハワードは祖母がケルト系で、若いころにハロルド・プリースと語らいケルトの歴史に注目しました。また、ケルトの血統が自らに与えてくれる自信について手紙で述べたこともあります。ハワードはケルトの戦士タロウ・ダブ・オブライエンやコーマックなどを描いています。
そして"Conan"は元々ケルト語に由来する人名です。そしてハワードの伝記のタイトルは「ザ・ラスト・ケルト」。
コナンでしばしば引き合いに出される文明と野蛮、それはローマとケルト、ニューイングランドとテキサスなどが重ね合わせられます。
いわゆる逆噴射文脈におけるメキシコがケルトと呼応するのも無理からぬことです。
ケルト=メキシコ……ケルトの鬱蒼とした森林と熱風吹きすさぶメキシコは一見かけ離れた土地ですが、共に真の男が命懸けで生き、闘い、そして死ぬにふさわしい地です。
ちなみにハワードの西部劇作品にメキシコ人があまり出てこないこと、出てきても扱いが悪いことはハワードの作品研究において指摘されています。
まあ、テキサス独立・合衆国併合の歴史的経緯などを考えると、無理からぬところでしょうか。
更にハワードのケルト性について迫りたい方には、ナイトランド・クォータリーvol.02に「ケルトの原像と、破滅的ヒロイズム――フィオナ・マクラウドとRPGから、ロバート・E・ハワードの“昏さ”を捉える」というタイトルのコラムがありますので、こちらを参照してみて下さい。
ウォーペイント=サンはザ・ヴァーティゴ=サンとの冒険行の際に新しいニンジャソードを手に入れてご満悦だったそうですが、剣もまたコナンを象徴するアイテムの一つです。
コナンはキンメリアの部族の出身ですが、若き日にヒューペルボレアの軍勢に囚われ、奴隷生活を経験したことがあります。
奴隷の宿舎から脱走し、たまたま逃げ込んだ洞窟で古代の王族の遺骸とその遺品を発見した時、彼は死者の膝に置いた剣を拾い、こう思います。
「このつるぎの力で、戦士としてのあらゆる望みのかなう道がひらけた!いまは、キンメリアの曠野から出てきた半裸の若者にすぎないが、これによって世界への道を切り拓き、血潮の河を徒渉して、地上の諸王と同位の高位に達するのも夢でなくなった。」
――「洞窟の怪異」
彼にとって剣とは単なる武器ではなく、自らの未来を決定づけ指し示す象徴でした。
ちなみにこの「洞窟の怪異」はハワードの手によるものではなく、コナンの編集・出版・紹介に尽力したディ・キャンプとリン・カーターによって書かれた模作ですが、私は個人的に気に入っています。
ウォーペイント=サンがニンジャソードを手に入れたというニュースの後に本編に登場したというのも、示唆的なものを感じます。
さて、フェイタル=サンですが、皆さんコナンといえば、囚われの美姫を助けるために大胆に敵に切り込んでいくようなイメージをお持ちかと思います。
実際、そのような話も多いのですが、コナンと対するヒロインの中には、彼に匹敵するほどの手練れも存在します。
例えば、コナン最愛の女性の一人とされる「黒い海岸の女王」女海賊ベーリトは、掠奪の最中にコナンと運命的な出会いをし、共にスティギアの海岸を震撼させました。
海賊行の中で獅子アムラの異名を得たコナンは、最終的にベーリトと悲劇的な別離を経験しますが、彼女は自らの誓った言葉に従いコナンを――
あのひとを囲む黒い影が、
血に飢えた口をあけ、
雨よりも濃く、赤い滴をしたたらす。
だが、この愛は、死の呪いより強く、
地獄の鉄の壁にしても、
あのひととのあいだをひき離せぬ。
――ベーリトの唄
映画版の展開がベーリトを意識したものであることは間違いありませんが、「血の爪」に登場する映画版のヒロインと同名のヴァレリアという女性もコナンと共に戦った強者です。
なお、「血の爪」というタイトルですが、特にフェイタル=サンと関係はありません。というか"Nails"は爪ではなく釘の誤訳です。(作中に出てくるのは敵を殺害した数を示す緋色の釘)
三人は目的は違えど塔の屋上に用事があり、一時的な同盟を組みます。
コナンも古代の遺跡などに冒険行に繰り出す場合、時にはその場で出会った人々と手を組むことがあります。
時には裏切られ、時には喜びを分かち合い、時には別れを悼み、それらはコナンの物語に刺激を与えるスパイスと言えるでしょう。
三名のうち二名の目的はサウザントマイルの秘蔵する宝石"炎の髄"です。
コナンも"象の心臓""グワールルの歯""ココラの星""アーリマンの心臓"など、貴重な―その中には恐るべき魔力を秘めたものもあります―宝石を得るため冒険に挑戦してきました。
ニンジャスレイヤーら三忍はいよいよ塔の登頂に挑戦します。このシーンの直接的な元ネタは恐らく映画版ですが、小説にも同じように不落の塔に宝を求めて挑戦する話があります。
「象の塔」はコナンの若き日の物語ですが、盗賊の街ザモラに聳える象の塔に住まう神官が隠し持つ宝石"象の心臓"を狙い、先んじて塔に挑む機をうかがっていた盗賊王タウルスと共に、鉄鉤のついたロープ一本で登頂を行います。
「タワー・オブ・シーヴズ」と非常に似た雰囲気の話であることがご理解いただけると思います。
塔への登頂中の会話もまた、コナンめいたアトモスフィアが感じられます。
ウォーペイント=サンは「カネを盗んだところで、オヌシの嫌う文明社会の中におらねば、使うあてもなかろう」とフェイタル=サンにその生き方の矛盾を指摘されます。
文明の悦楽を享受しながらも、それに耽溺して己を失うことなく、野蛮を保ち続ける。これはまさにコナンの生き様そのもので、作中でもたびたび触れられるテーマです。冒険の成果として得られた金銀財宝は、次の物語までに飲む打つ買うの三拍子で手元から失せているのが定番ですね。
余談ですが、磁力靴クローンヤクザや脳髄シリンダーなど、コナンとは無関係なものの、いかにもパルプ小説に登場するようなガジェットが詰め込まれているのもこの作品の特徴と言えます。
塔の屋上に辿り着いた三忍は、いよいよサウザンドマイルへと挑みます。
サウザンドマイルの正体は、人の形を保たぬ恐るべき姿です。
この姿は「石棺の中の神」が元ネタと断言してしまっていいでしょう。
セトは夜の闇の悪霊と聞いた。
――「石棺の中の神」より
その一族は、王子、この地上をあまねく支配したが、いまはピラミッドの底深く、暗黒の穴蔵のなかに眠っている。
金箔を捺した衝立のむこうに横たわっていたのは、人間の躰ではなく――きらめきながら、とぐろを巻いた、首を失った巨大な蛇の死骸だった。
人面蛇身の冒涜的な怪物、それはまさしくコナンが戦ったスティギアの恐怖に他なりません。
コナンは時として超自然的恐怖に出くわし、その肝胆を寒からしめることがあります。先天的な恐怖はコナンほどの猛者ですら一瞬たじろがせ、身体の自由を奪わせます。
それは怯懦ではなく、自分の目を疑わずに、人知を超えた存在に対する衝撃を素直に感じるからで、安易な妄想に逃げ込んだり、為す術もなく立ち尽くしたりするわけではありません。
剣が通じる存在であるなら、コナンは己を縛り付ける呪縛を打ち破り、憤怒と共に獲物を振り下ろします。
さて、サウザンドマイルは爆発四散し、それがキョート経由でネオサイタマのカネモチのもとに密輸されて来た棺と関係した存在であることが仄めかされています。
「石棺の中の神」では、人顔蛇はスティギアのセト神の祭司トート・アモンに関連する存在でした。
ニンジャスレイヤー第四部で真っ先にこの世に再臨したリアルニンジャはセト・ニンジャ……これが意味するところが何なのか、それは私にも分かりません。
「タワー・オブ・シーヴズ」は意外にも爽やかな結末を迎えるわけですが、この雰囲気もまたコナンに通じるところがあります。
コナンの冒険行は時に大きな見返りをもたらしますが、また時には手元に残った金貨2枚を冒険を共にした仲間と呵呵大笑しながら分け合うこともあります。「多くの黄金を所持するのは、躰をなまらせるにすぎんというのが、あの男の信念なのだ」とは、「ネルガルの手」での言葉です。
冒険はひと段落するのものの、しかし、コナンの胸中にあるのは、次なる冒険への闘志であり、新たな掠奪と活躍の予感であります。
「ますます闘志が湧いてくるさ」という結びの一言は、twitter小説らしい短い表現ながらも、ウォーペイント=サンの「らしさ」をより一層引き立てています。
直接的な描写ではないので省略した部分もありますが、「タワー・オブ・シーヴズ」とコナンの関係性については、それなりに検証できたかと思います。最後にコナンの一節をもって締めくくりたいと思います。
「野蛮な状態こそ、人間本来の姿だ」(中略)「文明社会の方が不自然なんで、気まぐれな情勢の産物といったところだ。いつだって、最期の勝利は野蛮のほうにある」
――黒河を越えて