バスケットボールの価値を高める 〜カナダの戦略〜
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今回は最近書いた原稿について、どうしてそれらの原稿を書こうと思ったのかという執筆の動機をざっくばらんに書いてみようと思います。
まず、「バスケットボールへの狂おしい愛 〜ラブ・レター・フロム・カナダ〜」を書いた動機について。
カナダのバスケットボール事情に関してはほとんど何も知らなかったのですが、リム・トゥ・リム・エキシビション・ゲームのカナダ戦をきっかけに興味を持って、カナダバスケットボール協会のホームページを覗いてみたところ、「マッド・ラブ」キャンペーンにとても心惹かれました。
これまで『トリスタン文書』ではアメリカのバスケットを参照してきましたが、バスケットボール大国アメリカよりも、その周辺にあるカナダの方が私たちの置かれている条件に近く、参照した時に得るものも大きいのではないかと思ったり、カナダバスケットボール協会が日本代表とのエキシビションゲームについて、「カナダと日本という環太平洋のライバル関係を祝う試合」だと書いていて、カナダに親近感を覚えたことも、あの原稿を書こうと思った理由として大きいかもしれません。(環太平洋の「リム」とバスケットのリムをかけて、あの親善試合は「リム・トゥ・リム・エキシビション・ゲーム」と命名されたわけですね。)
とにかく私たち両国は似たような条件下で、似たような問題に直面しているようです。
カナダにも “ヘイター” がいて、カナダバスケットボール協会は、「(ナタリー・アチョンワは)ヘイターにダンクを叩き込む」と記し、アチョンワは、「やつらを黙らせて」と書き、カナダバスケットボール協会会長は、「コートの内外でこの国の次世代の女性リーダーたちを鼓舞し、彼女たち一人ひとりが果たす重要な役割を評価する」と語ります。
これらの言葉は、この国においても責任ある立場にいる女性、大きなプレッシャーの中で自分の責任を果たそうとしている女性を勇気づけるでしょうし、ナタリー・アチョンワやデニス・ディグナードが子供たちに向けて書いた手紙(マッド・ラブ・レター)は環太平洋のライバルである私たちにも希望を与えてくれるものだと思うのです。
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そんなわけで、このところカナダバスケットボール協会のホームページを眺めていたのですが、そのメニューバーには以下の6つのメニューがあります。
・TEAM CANADA(男女、世代別および 3x3 の代表選手一覧)
・DEVELOPMENT(コーチおよび審判のライセンス、ジュニア・アカデミーやアンダー世代の大会について)
・SAFE SPORT
・NEWS(ニュース)
・SHOP(アパレル・グッズ販売)
・ALUMNI(歴代カナダ代表のリスト)
当然、3番目にある「SAFE SPORT」ってなんだ? というのが気になります。
「SAFE SPORT」のページを開くと、一番初めに “Look Beyond”(視野を広げて)と題された以下の動画が埋め込まれています。
ロッカールームで試合の準備をしている選手へのトラックインに始まり、ベッドルームで自分を馬鹿にするグループチャット(「あんな試合の後じゃ、彼女は学校に顔を出せるわけないね」「彼女、今までにバスケしたことあるの?」「今すぐやめたら?」)を見てしまう少女、車の中で両親に試合中のミスを責められる少年、試合後の体育館で審判に怒りをぶつけるコーチを映し出した後、無人のロッカールームのトラックバックで終わる動画の後には次の文章が続きます。
2022年6月3日、男子プロバスケットボールリーグのオタワ・ブラックジャックス対スカーバロー・シューティングスターズ戦のハーフタイムにカナダのスポーツ大臣立ち会いのもと、「セーフ・スポーツ」キャンペーンは開始されました。
虐待やハラスメントも、私たちが共通して直面している問題のひとつと言えるでしょう。カナダが「セーフ・スポーツ」キャンペーンを始めたのはわずか一年前ですが、一方、JBA(日本バスケットボール協会)は、同様のキャンペーンをもう何年も前から実施しています。JBAのホームページを見てみましょう。ニュース一覧の過去記事を遡っていくと、2019年3月11日のニュースに、このキャンペーンの概要が載っています。
バスケットボールにおけるハラスメント撲滅への取り組みは日本の方がカナダより3年先行しています。
そのことをカナダバスケットボール協会は知っていたでしょうか?
おそらく(私がカナダバスケットボール協会のホームページを覗いてみたように)日本代表について知りたいと思ってJBAのホームページを訪れたカナダ人もいたのではないかと思います。日本語がわからなくても、今はページ丸ごとブラウザが翻訳してくれるので、言語の障壁はほとんどなくなっています。
ですが、JBAのホームページを見たほとんどのカナダ人が(それどころか日本人でさえも)「クリーンバスケット、クリーン・ザ・ゲーム ~暴力暴言根絶~」キャンペーンの紹介ページにたどりつかないのではないか。それはとてももったいないことだと思います。
もし、カナダバスケットボール協会がJBAの推し進める「クリーンバスケット、クリーン・ザ・ゲーム ~暴力暴言根絶~」キャンペーンの存在を知っていたら、日本代表との親善試合の前もしくは後に両国民に向けた何らかのデモンストレーションが行われたのではないかと想像してしまいます。「マッド・ラブ」キャンペーンの展開などを見るに、カナダバスケットボール協会の広報担当が日本との試合を両協会が協力して互いの国でハラスメント撲滅キャンペーンの認知を広げる機会として利用しようとする可能性は大いにあったんじゃないかと……。
ヘイター、すなわち選手やコーチ、チームスタッフ等への差別的言動の問題、虐待やハラスメントの問題、カナダも日本も同様の問題を抱えているのですから、それらの問題に対するカナダの取り組みに日本が学ぶところは大いにあるでしょうし、逆に日本の取り組みについて知りたいと思うカナダ人もいるはずだと思います。
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カナダバスケットボール協会の「セーフ・スポーツ」のページには、とにかく膨大な資料が掲載されていて、さらに先住民族とイヌイットの支援を専門とするヘルプラインの電話番号や、トランスジェンダーの人々の福祉を専門とするヘルプラインの電話番号まで載っている充実ぶりなのですが、そこには5年おきに定められるカナダバスケットボール協会の長期計画(2020-2024年版)の資料も置かれていて、これがなかなかに興味深いものだったので以下にリンクを貼っておきます。
まずデュオトーンの表紙の美しさに目を引かれますが、1ページ目の見出しの文言も気合が入っています。
「カナダバスケットボール 2.0:コートの内外におけるバスケットボールのリーダーを育成する」
これです。(「2.0」と聞いて誰もが思うであろう野暮なツッコミはやめておきます。おそらく、そこにはパンデミック以降という意味も込められているのだろうと推測できるので。)
そして次のページに載っている「我々の会長からの手紙」もすごいことになっています。
「親愛なるカナダのバスケットボールコミュニティの皆様……」で始まるカナダバスケットボール協会会長からの手紙の一部を抜粋します。
こういう人々と私たちは戦っているのか……。
そして、「勝つための計画:成功の四つの柱」が示されます。それは、
1. 安定した資金調達
2. 連携(アラインメント)
3. 関係(リレーションシップ)
4. コミュ二ケーション
の四つです。
4. コミュ二ケーションの戦略については以下のように解説されています。
最後の女子バスケットボールに特化したキャンペーンというのが2021年に始まる「マッド・ラブ」キャンペーンになったということですね。
また、会長からの手紙の文言も、ウソやはったりとは言いませんが、「組織をまとめ」、カナダにおけるバスケットボールの「価値を高める」ためのストーリーの一部と捉えるべきだと思います。
だから、「カナダはバスケットボールの国です。」と書いた直後に「私たちがバスケットボールの国であるという事実にはもはや議論の余地がありません。」と改めて強調する必要があったのでしょう。
JBA も、組織力を高め、バスケットボールの価値を高めるための啓発活動に取り組んでいると書いていました。彼らにも、これくらいのハッタリをかましてもらいたいですね。野球伝来150年にはかないませんが(そもそもバスケットというスポーツが誕生したのが130年前ですし)、日本にバスケットボールが伝わってから110年以上の歴史があるのだから、私たちにもいろいろなストーリーの可能性があるでしょう……。
(それと余談ですが、もしカナダバスケットボール協会が、日本には映画館の観客動員数1,000万人を超えるバスケットボールの国民的物語があると聞いたら、彼らは相当うらやましがるでしょう。)
カナダバスケットボール協会の情報発信のやり方を見ると、ホームページのデザインひとつとっても、国内におけるバスケットボールの価値を高めようという彼らの情熱とそのための戦略が感じられます。そこにもまた、私たちが参照すべき点は大いにあると思います。
この5カ年計画を策定するにあたり、カナダバスケットボール協会は8ヶ月にわたる、1対1の対話、少人数のグループディスカッション、ワークショップおよびアンケートを行い、数百人の人々が関わったといいます。
それは、116人の選手、コーチ、スタッフ、委員、父母と先生と生徒の会のメンバー、企業パートナー、パフォーマンスパートナー、寄付者、歴代代表チームのOB/OGを含み、会議には、審判、選手、エージェント、コーチ、カナダ政府、カナダオリンピック委員会、オリンピック関連NPO、保護者、大学スポーツ統括団体、企業パートナー、カナダバスケットボール協会の歴代役員など50名以上が参加し、アイデアを出し合ったとのことです。
たしかに、「バスケットボールの国」というだけのことはありますね。
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最後に、「渡嘉敷来夢はここで終わりじゃない」を書いた動機について。
現役の日本人選手の誰か一人にフォーカスする文章はこれまで書かないようにしてきたのですが、なぜあの原稿で渡嘉敷選手について書こうと思ったかというと、Bリーグアワードショーで河村勇輝選手がMVPと新人賞をダブル受賞したとき、過去にその偉業をなし遂げた長谷川誠氏と渡嘉敷選手のことを誰も話題にしていないように感じたからです。
アメリカだったら、誰かが偉業を達成すると、過去に同じ偉業をなし遂げた名選手に再び脚光が当てられますよね。たとえば、誰かがシーズン平均のシュート効率 50-40-90 を達成するたびに初めてその記録をマークしたラリー・バードや、女子選手で初めて 50-40-90 クラブの一員となったエレーナ・デレ・ダンをはじめ、クラブに所属する偉大な選手たちのことを人々は思い出し、彼らの偉業があらためてメディアで賞賛され、彼らの名前はアメリカのバスケファンから忘れられることはないでしょう。
河村勇輝がMVPと新人賞をダブル受賞したこの時に、誰かが長谷川誠や渡嘉敷来夢に触れるべきだし、「歴史を築いてきた人々を忘れるな。われらの時代の偉業を忘れるな」と書いてしまったからには、「現役の日本人選手について書くのは……」なんてためらっている場合ではないと思ったのです。
文章の内容は、「奪還」だとか、「レガシー」だとか、「物語」はまだ終わっていない、というような、これまで『トリスタン文書』で何度も書いてきた文言の繰り返しにすぎませんが、それでも彼女のストーリーを書く価値はあると思いました。それは、渡嘉敷選手が言った言葉だからこそ誰かの心に届くということがありうると思ったからです。キャンディス・パーカーやケイトリン・クラーク、ナタリー・アチョンワが言ってもピンとこないかもしれない言葉が、「私たちのヒーロー」渡嘉敷来夢が言った言葉ならば、この国の子供たちの心に響くということがあるかもしれない。
それと、あの原稿の中で私は渡嘉敷選手が日本のバスケを変える未来を今でも夢見ているように書きました。彼女は今月末に始まる女子アジアカップの代表からは残念ながら外れてしまいましたが、来年のパリ五輪に彼女が出場する可能性は十分にあるでしょう。
女子日本代表の恩塚亨HCは東京医療保健大の監督時代、渡嘉敷選手のプレー面のみならず態度や振る舞いを模範とするように医療の選手たちに言っていましたし、「渡嘉敷選手の素晴らしいマインドを多くの人に知ってもらいたい」と、日頃から彼女のコート内外での言動に触れ、「渡嘉敷選手はチームメイトにエネルギーを与えられる存在」だと繰り返しメディアに向けて語ってきました。
なので、今回のアジアカップにおける選手選考のポイントを聞かれた恩塚HCは、高いエネルギーで最初から最後までプレーし続けられ、自分だけでなく周りの人にも影響を与えられることに長けた選手をピックアップした。と話した後で、渡嘉敷選手について触れることを忘れませんでした。彼は、渡嘉敷選手にそれがなかったということではなく、彼女はチームのために常に声をかけてくれて、高いモチベーションで頑張ってくれた。と、彼女への感謝を述べた上で、アジアカップにおけるチームコンセプトにハマる選手を選考した結果であると、彼女の落選理由を説明しています。
渡嘉敷選手のマインドに対する恩塚HCの評価は今も変わっていない。そして、悔しさから目を背けないことで彼女はこれから先も、もっともっと強くなれる。ならば、一年後、パリのコートに立っている彼女の姿を思い描けない理由はない……。私はそう思っています。
(もっとも、私が実際のところどう思っているかなんていうのはどうでもいいことで、重要なのは、その文章がバスケットボールの価値を高めるためにどれだけ役に立つのかということでしょう。それが日本におけるバスケットの価値を高めるためになると思えなければ、ナタリー・アチョンワの手紙をわざわざ日本語に翻訳したり、渡嘉敷選手の獲得タイトルとそのシーズンを逐一調べてまとめたりなんてことはしていないでしょう。)
というわけで、リム・トゥ・リム・エキシビション・ゲームやBリーグアワードショーにインスパイアされて、予定になかった原稿を立て続けに書いてしまいましたが、次回こそは、『トリスタン文書』の続きを、2008年北京五輪のリディームチームの話を書きます……。たぶん。