東京医療保健大に木村亜美の像を建てよ! 〜メフィスト、ウィザーズを語る〜
どうして俺がこんなところに引っ張り出され、たった一人でウィザーズについて語るなんてことになってしまったのか、そのいきさつについては『トリスタン文書』の第2部を読んでくれ。
『文書』を読んでいない人でもある程度文脈をつかめるようにすでに『文書』で説明したこともあらためて話すかもしれないが、「その話はすでに聞いた」みたいな苦情は一切受けつけない。いいな?
もとはと言えば、”彼”がなかなか『バスケットボールの定理』第7部を公開しないのが悪いんだ。彼がそこで2021年のウィザーズについてさっさと語ってくれれば、なにも俺がでしゃばってくる必要はなかったのに、第7部のリンクに飛ぶための合言葉を暗号の形で公開するみたいな妙な仕掛けに熱中しだしたもんだから、この俺が召喚されてトリスタンとかいうバスケ選手なのかサッカー選手なのかよくわからんやつと対話することになったあげく、うっかり2021年のウィザーズに言及しようとしたら、こんなところに連れて来られてしまった……。
そもそも俺は悪魔だ。常に否定してやまぬ霊だ。その俺がなんで非の打ち所がないチームについて語らなきゃならないんだ?
「人はつねに愛するものについて語りそこなう」と言ったのは誰だったか……? まあいい。今度彼に聞いてみよう。
とにかく乗りかかった船だ。どうなることやら不安しかないが、ウィザーズについて俺の思うところを語ってみよう。俺は彼みたいに恩塚に特別シンパシーを感じてるわけじゃないが、彼女たちのことは嫌いじゃないんでね。
2021年のTHCUウィザーズ
アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNが20世紀の女子スポーツの中でトップ10に入る瞬間と呼び、パット・サミットのコーチとしての名声を不朽のものにした、1997-98年のテネシー大女子バスケ部(通称レディ・ヴォルズ)は、今なお語り継がれる39勝無敗という伝説のシーズンを過ごした。もし日本にこの年のレディ・ヴォルズに比肩しうるチームが存在するとしたら、2021年の東京医療保健大女子バスケ部(通称ウィザーズ)をおいて他にないだろう。
2021年のウィザーズと聞いて、何を思い浮かべる?
俺が思い浮かべるものはただひとつだ。
2021年は恩塚がウィザーズのヘッドコーチを務めたラストイヤーであり、この年のウィザーズは恩塚の大学バスケの集大成とも言えるチームだった。そして彼女たちは、春の選手権、秋のリーグ戦、冬のインカレの全大会において無敗で三冠を達成した。しかも勝ち方がエグかった。リーグ戦では拓殖大戦こそ16点差での勝利だったが、それ以外の全試合を20点差以上で勝ち、インカレでは決勝を含む全5試合で20点以上の差をつけて完勝した。
大学女子バスケ界屈指のタレントとスーパールーキー・アマカを擁する白鴎大はこの年3度ウィザーズと対戦し、白鴎大は上記三大会で3敗しかしなかった。この年の白鴎大も史上稀に見る優れたチームだったと言えるが、ウィザーズはさらにそれを上回った。
「学生最強」
その言葉に2021年のウィザーズほどふさわしいチームはないだろう。
THCUトリプティック(三幅対)としてまとめられた彼女たちの画像のうち、グリーンの絵にこの年のウィザーズの試合結果を載せているので、詳しくはそれを参照してくれ。
この年のウィザーズの偉業について語るとき、”彼”ならばたぶん恩塚が前年から進めてきたチーム改革の成果として語るだろう。それはそれで間違いではないと思うが、しかしそれだけでは選手たちの評価が十分ではないように感じる。
恩塚が2020年にそれまでの指導スタイルをほぼ180度変えてしまうような大変革を断行した勇気は賞賛されるべきだが、その後結果が伴わず、チームが弱くなったと周囲から批判される未来もありえたはずだ。
ところが恩塚はその新たな指導スタイルで歴史に残る最強チームを作り上げた。このチーム、この結果に貢献した選手たちの評価は恩塚に対する評価と同等になされるべきだ。
その中でも特筆すべきは、5連覇を達成した2021年のインカレでMVPを獲得したキャプテンの木村亜美だ。キャプテンを務めながらインカレでMVPを獲った選手は、ウィザーズの6度の優勝の歴史において永田萌絵と木村の二人しかいない。そして木村はポイントガードであり、スターティング5の中で唯一の4年生であり、あらゆる面でチームを引っ張ることが求められる中、見事その期待に応えた。
それだけでなく、木村は恩塚が20-21年に行った歴史的改革のシンボルになった選手だ。2021年に3度の優勝を成し遂げたウィザーズの写真にはいつも中心に彼女の笑顔があった。それは彼女たちのバスケット哲学、プレースタイルの象徴となり、この年のウィザーズの強さを語るとき、誰もが試合中の彼女の笑顔に触れた。それほどその笑顔は印象的だったのだ。
そして20-21年のチームの変化、選手たちのマインドの変化、恩塚の改革がチームに与えた影響、それがもたらす強さの理由などをメディアに語り、あの改革のスポークスマンを務めたのもキャプテンの木村だった。
木村は恩塚にとってのミューズとまでは言わないが(言ってるが)、2021年のウィザーズのキャプテンが木村だったことは、恩塚にとって間違いなく大きな幸運だった。もしもこのチームに彼女がいなかったら、ウィザーズはまったく違ったチームになっていただろうし、恩塚が行ったチーム改革もまた今とは少し違った形に帰結していたかもしれない。
パット・サミットは97-98年レディ・ヴォルズに在籍していた選手たちを見て、彼女自身が変化を余儀なくされたと語っていたが、木村は恩塚自身の変化(怒らないコーチへ)を大きく後押しし、彼に新たなコーチングスタイルに対する手応えと自信を与え、チームメイトにも影響を及ぼし、何よりチームを勝利に導いた。
もし俺がウィザーズのオールタイム・スターティング5を選ぶとしたら、PGは木村で決まりだ。もちろん彼女よりうまい選手は、ウィザーズの歴史の中にたくさんいるかもしれない。同年代で比較すれば、他大学やWリーグに彼女よりうまい選手はやはりいくらでもいただろう。だが、2021年の木村ほどチームを勝たせたガードはいない。
”彼”は基本的に自分が何もわかっていない素人だと思っているから、どこかのチームに対してああすべきこうすべきとか、誰か選手やコーチに対してああすべきこうすべきみたいなことは言わないだろうが、俺はそんなの関係なく言わせてもらうよ。
東京医療保健大は木村亜美の像を建てるべきだ。
いや、実際に銅像なり石像なりを作れって意味じゃないよ。現実に像を作るとなると費用もかかるしな。ただ俺は、彼女の像を建てるべきだと言ってるんだ。俺の言ってる意味わかるよな?
テネシー大のアリーナ脇にはパット・サミットの像が建ち、パデュー大のキャンパスにはジョン・ウッデンの像が建っている(ウッデン像の背後には、あの有名な彼の”成功のピラミッド”が見える。この像の前を通る時、パデュー大の学生たちはこれらの言葉もまた目にするわけだ)。
ちなみにウッデンはUCLAのコーチだったのでは?と思ったやつ。あんたは正しい。パデュー大はウッデンが選手としてプレーした大学だ。彼の像がユニフォームを着てるのはそういうわけだ。
遺産を継ぐもの
『文書』第2部で紹介したように19世紀にフランスからアメリカに渡り、9カ月間の視察旅行を行ったトクヴィルは『アメリカのデモクラシー』にこう書いた。
これはアメリカに限らず、あらゆる民主社会が共通に直面する問題だ。
『アメリカのデモクラシー』第2巻第12章の章題は「アメリカ人はなぜあれほど小さな記念碑とあれほど大きな記念碑を同時に建てるのか?」。
この問題もアメリカ人固有のものとは言えないだろう。
トクヴィルがこの世を去ってから27年後、彼の祖国フランスは独立100周年を記念してアメリカにあのバカでかい自由の女神像を贈呈した。
彼らはとにかく大きなものから小さなものまで記念碑や記念像が大好きだ。
あるいは記念式典。
『文書』第1部でも引用したが、NCAA.comが選ぶレディ・ヴォルズのオールタイム・スターティング5にも選出されたキャンディス・パーカー(70年代の往年の名選手や97-98シーズンの伝説のチームのエースなどで構成されるラインナップの中で現在36歳のパーカーは最年少のベスト5選出者だった)は、パット・サミットの追悼式典で上映されたビデオメッセージで、大学時代の恩師に向けてこう語った。(その動画はこちら)
パーカーが語るような意識があの国の人たちに彫像を造らせるんだろう。
ではウィザーズはどうか?
彼が昨年、W杯を戦うバスケットボール女子日本代表へのエールとして書いたウィザーズのインカレ初優勝時のキャプテン森田菜奈枝の物語を読んで、彼女たちはこう言った。
(彼が書いたのは彼女たちの先輩の話で、彼はただその先輩や恩塚のインタビューを読み、物語の形に再構成して語り直したにすぎない。でも、もしかしたら彼女たち自身が語り継ぐべき物語を欲していたのかもしれないとも思う。その物語を彼女たちはすでに持っていたにもかかわらず……。もちろんそれは盛大な勘違いかもしれないが。)
2021年、木村キャプテンに率いられたチームが掲げていた3つのスローガン
1) いつも笑顔で
2) ワクワクが最強
3) 人に夢を与える
昨年12月、インカレ6連覇を達成したシーズンの締めくくりに、彼女たちはなんと言ったか?
この言葉には、上の3つのスローガンがすべて含まれている。
スローガン(3) の”夢”の項には様々な言葉が代入可能だ(つまり恩塚の言うプレゼンターになるということ)。木村は「”感動”を与えたい」と言った。昨シーズンもウィザーズの多くの選手が、見ている人に”勇気”をあるいは”元気”を与えたいと語って試合に臨んだ。
だが、2022年には監督も変わったんだ。ウィザーズに恩塚はもういない。もう「ワクワク」なんて言わなくてもいいだろう。なぜ彼女たちは、今も「ワクワクが最強」と言い続けてるんだ?
俺が思うに(あくまで俺個人の見解にすぎないが)「ワクワクが最強」という言葉は、恩塚ひとりだけのものじゃない。それは、彼女たちの偉大な先輩が偉大なシーズンを過ごした時に口にしていた言葉だ。
木村の笑顔はチームを初の日本一に導いたやはり偉大なキャプテン、森田菜奈枝から代々受け継がれたものであり、それは現チームの古木梨子に色濃く受け継がれてもいる。
彼は『定理』第6部で、2020年はじめのウィザーズを描写する際に、「伝統校ではないがゆえの脆さ」と書いた。彼の目には当時のウィザーズがそう見えた。そして、「自分たちのプレーがうまくいかなくなると歯止めがきかずにチームの雰囲気まで悪くなってしまうのを彼女たちはどうしようもなかった」と書いた。だが、今のウィザーズに「伝統がない」と言えるだろうか? 今の彼女たちには「うまくいかなくなったとき」立ち返るべき場所がある。それが伝統校の強さだろ?
なぜこの原稿の最後にCHARAの ”Tiny Tiny Tiny” が引用されているのか?
木村が2021年3月の「今のバスケット界に広めたいマインドセット発表会」というイベントで恩塚に続いて登壇し、「人生の扉を開く方法」というタイトルの発表を選手を代表して行った記事を読んだとき、もしかしたら無意識にあの「不思議な扉を開く」曲のことを想起したのかもしれないし、木村が右手の人差し指を高く掲げている写真を見たときに、あの曲の歌詞が思い出されたのかもしれない。
”Tiny Tiny Tiny” は、彼女が生まれてくる子供との親子の絆を歌った曲であるというのはほぼ間違いないだろう。実際その歌詞は親が子に語りかけているように、そしてバースが変わると子が親に語りかけているように聞こえる。
けれど今、あの日本のポップ音楽史に残る不朽のクラシックをあらためて聴き直してみると、俺たちはその歌を先達との絆の歌に読み替えることができる。偉大な先輩が後輩たちに向かって語りかけ、彼女たちが前に進み続けることを後押しする歌に読み替えることができる。
彼女たちがチームの歴史を想起する瞬間ーーその「合言葉」が過去への扉を開く。その合言葉を口にすることで、彼女たちは同じ言葉を使っていた偉大な先輩たちといつでもつながることができる。
そのときに彼女の彫像は必要ない。
だがそれでも、もう一度言うが、東京医療保健大は木村亜美の像を建てるべきだ。その顔は、あのニューヨークに建つ女神のような仏頂面じゃないぜ。
2021年のTHCUウィザーズと聞いたら、俺は彼女の笑顔を思い出す。
無敗で三冠を達成したあのチームがただ強いだけのチームだったならば、彼女たちがあんなに楽しそうにプレーしていなければ、俺は今ここまで彼女たちにコミットしていない。
すでにチームを去った監督や先輩たちとの絆を忘れない彼女たちの言葉を聞かなかったならば、ウィザーズをレディ・ヴォルズと並べて語ろうなんて思ってない。
そんな彼女たちを見ていると、結局のところ恩塚の教育プログラムがよかったということなんじゃないかとも思うし、もしかしたらバスケットボールという競技自体が持つ教育的効果が優れているということなのかもしれない。あるいはその両方か?
パット・サミットは、ただ強いチームを率いたために偉大なコーチと呼ばれているわけじゃない。サミットは "Definite Dozen" と彼女が呼ぶ12の行動規範を設定し(それはウッデンの成功のピラミッドのサミット版みたいなものだ)、その規範はバスケットコートだけに適用されるものではなく、教室の中や卒業後の人生にも適用できるものだと考えた。そして彼女のプログラムは完璧に機能した。38年におよぶテネシー大でのコーチ生活で彼女が指導した選手たち、NCAAの資格を有する122人のレディ・ヴォル全員が学位を取得した。その卒業率は驚異の100%だ。
テネシー大にサミットはもういない。それどころか、この世のどこにもいなくなってしまった。だがテネシー大のキャンパスでは、ありし日の彼女の姿をいまだに見ることができ、彼女の教えはチームの伝統として現役選手たちの口から今でも聞くことができる。
ウィザーズの場合、恩塚自身ーー今もなお大学時代の恩師である日髙哲朗への感謝と敬意をことあるごとに表明し続けてやまない彼自身ーーが、彼女たちにとって最高の教科書だったのかもしれないし、加えてウィザーズにはチーム内に彼女たち独自の殿堂がある。そこでは殿堂入りした選手たちの写真やシューズやユニフォームがショーケースに入って展示されている。それもおそらく恩塚がチームに持ち込んだ伝統だろう(と思う)。もしかしたら、今の彼女たちの意識が形成される上で、この”ウィザーズの殿堂”が果たした役割、教育的効果は大きかったのではないかと考えてみる。
こんな、サーバーが吹っ飛んだら一瞬で消えてしまうようなネット上の文章や画像と違って、実際に”ブツ”があるというのは強い。
レディ・ヴォルズの歴史を見れば明らかなように、ずっと勝ち続けられるチームなんてない。
彼女たちが笑顔を忘れてしまったとき、ワクワクする気持ちを失くしてしまったとき、人に何かを与えようなんて思えなくなってしまったとき、そこに先達が残したものがあることが、どれほど彼女たちの助けになるか……。それが無敗で女王となった偉大なチームのものであればなおさらだ。
彼女たちが、「もしなくしても……」
「前へ……前へ……」
だからやっぱり、東京医療保健大に木村亜美の像を建てるべきなんだ。
俺の言ってる意味わかるよな?