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Histoire De Zazie Films 連載⑬    ライトスタッフ、あるいは、再び人気業種に返り咲きはあるか?

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前回の記事はこちら☞ 連載⑫カンヌ映画通り
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突然ですが、映画配給会社って一昔前は人気業種だったのをご存知ですか?もちろん今も大手の会社に新卒で就職するのは狭き門なのに変わりはないでしょうが、90年代後半頃はザジのような知名度の低い小さな会社でも、アルバイトを募集すると凄い数の履歴書が送られてきたものです。2003年には、いわゆる月9枠のドラマで「東京ラブ・シネマ」(江口洋介に財前直見!)なんて配給会社を舞台にしたラブコメディも放映されていた時代です。てなワケで今回はザジフィルムズ、31年の社員ヒストリー。個人のプライバシーもあるので、あまり具体的には書けませんが、書ける範囲で行きます!

1人で創業したのは連載1、2回目で書きましたが、その後は3年目にデスクとして、営業をアシストしてくれる人が入り、第3回目で亡くなったことに触れたHが存命の頃、フランス語学校でスカウトしてきた当時就職浪人のOが入り(前回の連載に登場した“餃子職人”)、少しずつメンバーが増えて行きました。そして97年、『女は女である』配給の前年に、3回目に登場したS女史が合流し、やっと会社としての体を成すに至ります。

99年、求人誌でいうところの“業務拡張のため”にアルバイトを募集。実に300通を超える履歴書が送られてきました。男性約100人、女性約200人の中から、男女一名ずつを採用しました。200倍の倍率を経て入社した女子は3年ほど働いた後転職しましたが、100倍男子は2年アルバイトの後、正社員に昇格し、計7年以上勤めてくれました。彼はその後フリーランスを経て、映像の宣伝関係の会社を設立。最近マジでザジを吸収してくれないか?と、相談しに行こうかと思うほどの成長ぶりです。

ザジを通り過ぎた人々。アルバイトの人たちを入れると結構な人数になるかもしれませんが、正社員に限ると、31年の間に退社したメンバーは9人。“卒業生”たちのその後の進路もいろいろですが、前述の100倍男子のように起業した人もいれば、お母さんになって子育て中の人、フリーのパブリシストとして活躍している人…。皆、元気でやっているようです。

96年にバイトで入った当時就職浪人のOは、いまだにいます(笑)。あれから、もう25年近くが経っている、ってことですよね。今や二人の子供のお父さんで、何年か前には家も建てたようです。私は生涯賃貸住まいなのに…。亡くなったHの最後の弟子、みたいな人なので、ここまで一緒にやってきましたが、特に深い絆で繋がっている実感は、お互いにありません(笑)。
が、2011年3月の東日本大震災の直後、世間がまだまだ騒然として通常業務に戻っていなかった頃、たまたま一緒に退社して駅に向かう途中、何の流れだったか、Oがぽつり言ってくれた「こういう時に、ザジに勤めていられて良かった」という言葉は、何より嬉しかったし、その時は結構弱気になっていたので力づけられました。

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現在のザジは、劇場関係の仕事は、すでに中堅と言って差し支えない配給宣伝スタッフ3名で回しています。私が会社を始めた頃には、まだ2歳だか3歳だった人1名、お母さんのお腹の中にいた人1名、姿かたちも無かった人1名、という布陣。もはやジェネレーションギャップ云々という年の開きではありませんが、なんとか頑張ってコミュニケーションを取れている(と思っている)感じです。

が、最近は社員と一緒にカラオケに行くこともなくなりました。私の専門は70年代歌謡。新曲も80年代半ばでアップデートが止まっているので接点の見出しようがありません。気を遣って元歌を聴いたこともないであろう懐メロを歌われるのが、堪えられません。そこの歌い方、違うから!(笑)

※上の謎の画像は、2011年3月11日、梱包したチラシが積みあがった重たい棚が崩れて、壁に激突して空いた穴です。誰も怪我しなくてよかった!

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