Une Semaine à Zazie Films 週刊ザジ通信【1月19日㈬~1月25日㈫】
1月23日㈰、新文芸坐で『MONOS 猿と呼ばれし者たち』が、『ジャッリカットゥ 牛の怒り』とのカップリングで、boidsound上映されました。私は残念ながら伺えなかったのですが、ザジからは4名が参戦。日曜の夜にもかかわらず場内は大盛況だったそうで、皆、作品の世界にどっぷり浸かってきたようです。『MONOS~』は、音が命の映画でもあります。昨年11月の松本CINEMAセレクト主催の爆音映画祭での上映、そして今回のboidsound上映に引き続き、今後もサウンドを重視した上映を働きかけていきたいと思っています。ご期待ください!
新文芸坐では、本日26日㈬20:00~『ジャック・ドゥミの少年期』の日本国内における弊社の上映権満了に伴う“日本最終上映”も行われます。昨年12月にはジャック・ドゥミ監督作品『天使の入江』の“日本最終上映”もやって頂きました。ここのところザジのライブラリーは上映権満了ラッシュ。アラン・レネ監督作品『ヒロシマ・モナムール 二十四時間の情事』も上映権の終了間近に伴い、2/12(土)~ シネマ尾道にて上映して頂くことが決まっています。
たまに目にする“日本最終上映”という言葉、ご存知の方も多いとは思うのですが、この機会に説明させて頂きますね。この言葉、正確に言うと“(とりあえず今のところ)日本最終上映”という意味である場合が多いです。日本に支社があるようなメジャー映画会社(ディズニーやワーナー)が権利を保有する外国映画の場合を除いて、我々のような独立系配給会社が扱う外国映画には、「契約期間」というのが存在していて、通常は最低5年、平均的には7年から9年、買付け費が何十万ドルもする高値になると、10年以上の長期間を確保出来ることもあります。その契約期間が終了するタイミングでの上映が、“日本最終上映”ということになります。
ただ、あくまでもその会社が原権利者と交わした契約が切れるだけで、日本に向けた権利自体が消滅する訳ではないので、その会社が権利切れの期間を経て再契約を交わしたり(たとえばうちの場合は、アニエス・ヴァルダ監督の『落穂拾い』の上映権を、10数年の空白の後に再度取得しています)、もしくは他の会社が買い付けた場合には、再び映画館で観られることも有り得ます。その場合は「アレ?“日本最終上映”って言ってなかった?」とお思いになるかもしれませんが、権利が切れる時点では、次の契約者が決まっていなかったので、“日本最終上映”という言葉に偽りがあった訳ではない、という解釈をして頂ければ幸いです。
では、権利を延長し続ける作品(うちの場合はジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』や、ルネ・ラルー監督の『ファンタスティック・プラネット』等)と、手離さなければならない作品には、どんな差異があるのでしょうか?クラシックに限らず、ほれ込んで買い付けた作品はどれも自分の目の黒いうちは持ち続けていたい気持ち山々です。しかし権利の延長はタダではありません。新たな契約金が必要となります。なので、延長した期間内に新たな売上をどれだけ生み出せるのか?を慎重に見積もる必要が生じます。ゆえに延長を諦めざるを得ない作品も出てきてしまうのです。こちらを延長して、こちらは諦める…。あぁ、なんとシビアで残酷な選択をせねばならないのでしょう。全作品を延長出来る潤沢な資金があったらいいのに…。
…というワケで、上記の“日本最終上映”作品は、いったんザジの手を離れます。新しい嫁ぎ先(配給会社)が決まればそれも良し、ザジが再取得するタイミングがあれば尚良し。しばらく時を経て、これらの作品が上映されているのを見つけたら、「あ、新しい会社が買ったんだ」、「おっ、ザジがまた契約したのね。最近儲かってるのかな(笑)」とか、いろいろ想像してくださいね。
しかし、“悲しい別れ”ばかりではありません。何本かの作品をまとめて再延長する場合、「今回この作品の延長は諦めるけど、その代りに新たにこの作品をパッケージに入れて契約したい」と申し入れ、ザジが過去に扱ったことのない作品を加えて、ライブラリーの活性化をはかる場合もあるのです。実は今回、契約締結が間に合えば当通信で発表したかったクラシック作品があったのですが、最終OKをもらえず発表することが出来ませんでした。う~ん、残念!
texte de daisuke SHIMURA