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僧侶相談サイトでの呟き 随時更新

R7年2025年1月22日 水曜日 
自分用まとめ

ここに書き込んだものを載せていく。
5chや相談サイトでは「童天」という名で書き込んでいる。
5ch掲示板ではコテハンにトリップが付いているので、成りすましは直ぐに分かる。ちなみに二年くらい近寄って無い。

童天

男性/30代
「細胞は一秒毎に生まれ変わってるから常に新しい自分」
これは全く誤った見方なのに持ち出す人は多い
人の常識や営みから離れ切った自己を見出していきたい
私の「一日」「他人」「世間」「呼吸」「信仰」
その消息を知るには
多くの人には坐禅や初関なり冥想は不可欠なんだろうと感じた(文字数

仏教に「行」は無い
風と火は真円の形をしている
必ず真円に沿って吹く
風には形が有る事を私は知っている
それは真円に沿って吹かれる
坐禅して当人が高められるということは絶対に無い

童天

男性/30代
僕が虚言妄言の類を喋っていないと信じてくれたのは
二人の臨済宗僧侶だけ
一人は妙心寺派、一人は南禅寺派
色んな人に会ってきたが
違った視座で見られる人は少なかった
多少会話したら大体把握できるもんである
臨黄ネットや曹洞ネットなどを見て色々と回った
僧侶にも色々いて面白いものです

童天

男性/30代
死にたいと愚痴る人は腐るほどいるが
彼ら彼女らはなぜ坐禅しないんだろう?
というのは長年の疑問だった
この疑問を臨済宗の副住にぶつけたことがある
「そんなに死にたいと本当は思っていないんでしょう」
と答えていた
僕も同様に考えている

童天

男性/30代
「めばえ」という番組では
今年1月20日までに4421人の赤子が映ってきたようだ
捻くれた見方をしてしまう私は
そのうち何人が精神を病んだり自死を選ぶ羽目になるだろう?
とボンヤリ考えてしまったりする
期待する周りと現実の自分に溝が生じては三毒の煮え湯を飲まされる
人は大変だなぁ

童天

男性/30代
数息や随息を真剣に何年かやると
陽は輝かず風は吹かず雨は降らず
進歩無く退歩無く風景の変わらぬ場所に出る
扇に表裏無しという世界に出る
「童天…とうとう頭が…」と思われるだろう
坐禅では常識だったりする
S福僧堂に5年掛塔した副住なり別寺の住職なりは私の話が分かってしまうのである

あおぞら

童天様、こんにちは。
釈尊も不可思議なものを4つ挙げられていて、それらは考える人たちに狂気や悩害をもたらすから考えるべきではないと言われてますね。童天様のは2ですね。
1 目覚めたもの仏の境界
2 禅定している者の精神統一(定)の境地
3 行為(業)の果報
4 世界についての思惟

童天

違いますね
坐禅の行為者はいないんです
「禅定している者」とか「精神統一」って話じゃない訳なんですね
住職からも「ほとんどの人には理解できないから無暗に語らないのがよい」
と釘を刺されたものです
難しいですよね
8年認められなかった私がやっと認められた初関の手紙を渡したときの話

あおぞら

ああ、そうなのですね。
その話は『増支部経典』第四集第8章「虚論をはなれること」の中にある釈尊の言葉を引用したものなのです。でも言葉の限界はありますね。
そんな瞑想によって知る世界から観るとこの世の中、いかに雑多な<想い>と<言葉>とで溢れかえっていることが自ずとわかりますね。

童天

ただし3 行為(業)の果報を「行為者不在であるから気にしなくていい」
となると駄目で世法によって裁かれもする
仏法的視座に依りすぎると身勝手妄想になる
中道は「定見を持たず」ともいえます
坐禅するしかないですね
>「雑多な<想い>と<言葉>とで…(ry」
ですね…世俗は大変です。

あおぞら

禅定というのは一人で行じる自己完結の世界ですね。世俗では他者との関わりの世界に入ります。自身の身口意も縁起してきます。そんな中私は八聖道の、特に「正思惟」という不害心が鍵ではないかと思っています。人はどこかで禅定の世界に触れた経験があるのでその重要性が理解できるのだと思います。

あおぞら

すみません、訂正です。今、「不害心」と書いてしまったのですが、「無害思惟」のことです。アヒンサーのことです。正思惟には「出離思惟」「無瞋思惟」「無害思惟」と3つあるのですね。謹んで訂正しお詫びいたします。

童天

詫びるほどの事では無いですよ…(焦)
何を書いてるのか言いたいのか、よく分からなかったですけども
あおぞら氏が、あおぞら氏として咲き誇れる道を進み
豊かに生きられることをこの場で私、祈念いたします
童天 至心合掌 三拝

あおぞら

ああ、有難うございます!
ややこしいことを言ってすみません。
道元禅師は「坐禅は三界の法にあらず」と言っておられますね、仏の世界に属するということです。無矛盾なものは寂滅し、この世から消滅していきますね。
童天様が今後ご健勝にて道を完成されますことを心より願っています。 至心合掌

童天 
男性/30代

阿羅漢(解脱者)が不慮の事故に遭い、記憶障害を患って
仏教的な知識や職務を完全に忘却したとして
自身の聖者としての位階も忘れてしまったとして
彼は他の人に頼られ以前と同じく聖者のままなのだろうか?
聖者の所以は記憶に依るのか?目には見えぬ何かか?
行為のみを見られるべきなんだろう

童天

男性/30代

21歳の時に得度したいと伝えた事がある
独学に限界を覚え始めていた
海岸で何度も救われることを祈っていた
その4年後に
「25歳からでも間に合うと思いますけどねぇ!」
と一喝された
22歳で悟りを求める心は失せていたので断っていた
強い動機が無いと人は厳しい環境で耐えられない

童天

男性/30代

ハスノハのお坊様が開いてる瞑想会に初めて参加した
今ここ あるがままに集中してみると
色々と力みが分かった
これからは青信号がチカチカしてても走らずに済みそう
急いで何か得するなんて本当は無いものだから
走って間に合って得した気分になるのって危ない
赤信号とは至る所にあるみたい

釋 孝修

瞑想会にご参加いただきありがとうございました。


嬉しくなってスクショ撮っちゃった。また行こう。

童天

男性/30代

悟りを得るというよりは「新たな視座を得る」という言い方が適当だと思う此の頃
「刹那生滅(世法的見地)」と「前後裁断(仏法的見地)」の差異に気付けるという事
地図の専門家にならず私は只々登山家であり続けたい

童天

男性/30代

「何処にも往けない事が私には分かった」
「まぁ待て…君は彼の世、地獄や極楽に赴くであろう」「否」
「じゃあ現世へ留まり続けるというのか?」「否」
「輪廻する」「否」
「君は今ここにいる」「否」
「じゃあ、いないのか?」「否」
「君は気が触れているぞ」
僧は西へ去り、私は東へ去った

童天

男性/30代

自分の立つ場所から見て
周りの全てが綺麗な花畑だとして
自宅へ帰るためには
必ず花を踏みつけていかなければならないとして
命と尊厳を踏みにじらずには
どのように歩いて帰れば良いのだろうと
そもそもどう歩いてここに辿り着いたのだろうと
ワタクシ悩むこの頃である

童天

男性/30代

マイヤーズ・ブリッグス・タイプ指標(MBTI)でINFP-t型、仲介者だった
この診断がどこまで当てになるか分からないけど
人生ハードモードのタイプらしい
坐禅の才能?あったのはツイてたから良かった

童天

男性/30代

大慧書と問答集(自著)と禅林句集と坐蒲さえあればマダマダ修行出来る気がする
精進しよう
きっと気付ける事は沢山ある

童天

男性/30代

本日、令和7年2月15日 マインドフルネス瞑想の講義に参加した
アメリカ人口のうち14%もの人(4000万人)が
マインドフルネス等の瞑想を経験しているそうである
瞑想に関する論文数は増えていっている事
妊娠中の母親が瞑想すると乳児に強い影響が出たという論文の話など面白かった

童天

男性/30代

カウンセリングについての本を色々読み始めた
「プロカウンセラーの聞く技術」や「新カウンセリングの話」など色々
話すにもラポール(信頼関係)を築けて心を開いて貰えないと厳しい
第一に宗教者一般には
生死の迷妄を断ち切った視点の獲得こそが肝要であるが

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