かわいいかわいいヨッシーのお話。
ヨッシーはかわいい。
物心ついたときからずっと、俺はヨッシーが好きだった。
丸っこいからとか、声がほんわかしているからとか、単純な理由もちゃんと出てくるけれど。
それ以上にヨッシーへ触れているだけで、心身に癒しを与えてくれて、安心感を覚える。
こうして大人になった現在でも、ヨッシーと一緒にいればつい日常感あふれるスナップ写真を撮ったり、憂鬱で落ち込んでいるときにはヨッシーと戯れて、感情を出して泣いたりする。
(そもそもぬいぐるみには感情も声もないから、傍から見ればただ独り言を喚いているようにしか見えないけど、できるなら突っ込まないでほしかった。)
去年の2月半ばに相棒……むらさきヨッシーを手に入れるまでは、ポケモンのブラッキーや、3色のピクミンたちと共に、あちこち鉄道旅をしていた。
勿論むらさきヨッシーがいる今も、彼らは大切な家族であることに変わりはない。
まあリュックの容量に限界があるから……ってのもあるけど、だからこそ……ヨッシーを愛する俺としては、むらさきヨッシーと2人でいろんな旅を満喫している。
ヨッシーは家族。
ところで「ヨッシーを愛する」と書いておきながら、本当の意味で100%ヨッシーを愛しているのかと訊かれると……答えはNOである。
俺は元々"少ない努力で最大の成果を挙げる"ために、無駄なところはとことん省きたがる、損得勘定の強い合理的で冷酷な性格である。
具体的に証拠を述べるなら、マリオメーカーなどで「コースクリアへ向けてヨッシーを乗り捨てる要素がある」場合、それが必要悪であれば何の躊躇いもせず容赦なく乗り捨てる。
俺の単なる思い込みというか、1個人による偏見かもしれないが……
本当にヨッシーが好きすぎる人は、「(こんなヨッシーを殺めるコース含めて)作者なんか大嫌い!」って心身否が応でも感じるはずだ。
例え公でもプライベートでも、自らの犯した過ちに対して、真面目に何とも思わないという点については、俺自身が生まれ持った発達障害ゆえの感情の欠落と示すべきか。
……まあ、流石にリアルで他人を殺すなんてしないよ?自由でいられなくなるから。
ヨッシーは好きだ。
好きとは言うものの、他人と比べれば知識量も、スマブラでの腕前も、好きだからこその努力も経験値も、あらゆる面で1番に劣っている。
それでいて何かで補うようなことは面倒だからやりたくない。勉強不足云々以前の問題である。
だからヨッシーには日頃の感謝を込めて恩返しをしたくても、俺自身はそれ相応の立場にないと自虐してできないままだ。
時々「今日も1日ありがとう」って頭を撫でるくらいならできるけど、精々それくらいかな……うん。
最近は障害者専用の就労支援事業所A型へ再就職したので、通勤用のリュックにむらさきヨッシーとブラッキーを詰めて、職場と自宅を往復する日々を送っている。
モラル的にぬいぐるみなんて持ち込んで良いのかよって突っ込みはさておき、帰りに寄り道してティータイムを満喫したり、公園でのんびりくつろいだり……
それこそ日常が充実してるように見えるかもしれないが、ハッキリ言っておくと私はれっきとした独身の非リア充です。
……ところどころヨッシーから話が逸れてしまってるが、記事として大丈夫だろうか?
気を取りなおして、俺の大事なむらさきヨッシーは、匿名で使っているTwitterアカウントのアイコンにしてマスコット、いわば看板的な存在である。
独自に企画した未開拓のフロンティアをはじめ、むらさきヨッシーが色々な列車の風景を拝む動画を、YouTubeへアップロードしたりもしている。
フォロワー……というか、とある界隈のみんなには事情があるから何も話すつもりはないけど、そこはどうでもいいか。
メンタルを壊して、日常仕事問わず現在進行形で溢れ出る無気力に悩む(もうそろそろ俺はうつ病なんじゃないかって思ってる)今日この頃。
金欠やコロナでどこにも旅行へ行けないのもあって、大好きなむらさきヨッシーと再び夢と希望溢れる鉄道旅へ出られるのは、まだまだ先になりそうだ。
おでかけなんてできなくても、俺達はずっと一緒だよ……ヨッシー。
むらさきヨッシー「ヨシー!」